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2005年7月~2006年11月 ベトナムのハノイに住んで、ベトナム生活を満喫しました。 帰国後は、身の回りのこと少し更新しています。良かったらお付き合い下さい。
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2006年9月9日(Sat)

以前にも書いたことがあるかもしれませんが・・・
ローカルの食堂で私が驚いたことを書きます。

日本ではどの行為も、非常識と言われることですが、
ベトナムのローカルでは常識です。

①ゴミを床にバンバン捨てる。
 箸を拭いた紙ナフキン、骨つき肉の骨、果物の種、
 カボチャの種(ベトナム人はおつまみに良く食べます)の皮
 とにかく何でもテーブルの上に置かず、床に捨てます。

②「おしぼり」の入っているビニール袋を凄い音で開ける。
 無理に、「パン」と大きな音が出るように開けます。
 時々、その音にびっくりします。
 しかも、支払い時に請求書を見ると、おしぼり代が加算されています。
 店で出てくるおしぼりは、タダではありません。 

③爪楊枝を食後に使う (これは日本でも使いますが)
 女性でも手で隠すことなく、シーシー 使います。
 しかも、そのまま"木枯らしもん次郎"のように口にくわえたまま、
 店から出てきます。

 江戸時代に「武士は食わねど、高楊枝」
 ご存知のように、これは武士が貧しくて食事が出来なくても、
 食べたふりをして 爪楊枝を悠然と使い、食べたことを
 アピールすることです。
 ベトナムの場合は、「自分はお腹が一杯になるほど食べた」と
 自分は貧しくないと、世間に知らせたいのでしょうか?
 (これは、私の勝手な解釈です。)

④床に座って食事をする時、女性でも立て膝やアグラをかいて食べます。

※中高級店では、決してこういう行為はありません。(念のため)
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2006年9月8日(Fri)

Kさんのお知り合いの方が、日本から3組ハノイにいらっしゃっています。
その1組の方を、今日お昼から私がアテンドしました。

と言っても、その方々は、したいことがはっきりしていて、私はただご一緒するだけでした。
ブラザースカフェで昼食 → ホウマウドンでフットマッサージ →
アオザイを着て変身写真 → ホテルへ

ただの観光ではなく
クマタカ

2008年4月 第5回アジア猛禽類ネットワークシンポジュームをハノイで予定されていて、それの準備に滋賀県から来れたのです。

私より年上のYAMAさん(女性)は、クマタカの生態調査のため、最近25mほどの木に登ったそうです。
そして、日夜、木登りの訓練をしているとか・・・
しかも、獣医師の仕事が別にあり、ボランティアでなさっているとか。

""凄い! そのエネルギー!""

滋賀県でヘリコプターにも乗って調査をされたそうです。
生息、繁殖の有無から行動圏の広さなどを調べられるとか・・・

公認会計士のご夫妻もボランティアでこのネットワークに参加されていて、今回ご一緒させていただきました。

ハノイにいると、色々な日本人の方にお会いします。


2006年9月6日(Wed)

ビール
ベトナム産ビール
Dai Viet の黒と白

ハノイビールより少々高め。なかなか美味しいですよ。
インティメックスやユニマートに売っています。




先日 ハノイへ来た私の友人からメールが届きました。

「・・・初ベトナムは、あんまり、観光化されていなくて、良かったけれど、やはりカルチャーショックは色々とありました。・・・・」

一年経った今でも、私もいろいろショックがあるので、初めてのベトナムは、かなりカルチャーショックがあったのでしょうね。

でも、私がご案内したところは、ベトナムの中では、観光化されている所ばかりだったのですが・・・

私も、一年経って、かなり感覚がベトナムナイズされて来ているのかもしれません。
日本に帰ってついていけるかしら・・・?


2006年9月5日(Tue)

新1万ドン札
上が新10,000VND札、下が旧10,000VND

写真に撮るのに少ししわになっていたので、アイロンがけをしたら、縮んでしまいたした。
紙ではないのですね。
銀行に行って新しいのと取り替えてもらうのに手数料が必要かもしれません。
バカな私。

新札は、500,000VND,100,000VND,50,000VND、20,000VND、10,000VNDです。
昨年から今年にかけてどんどん新札がでました。
しかし、どの紙幣にもホーチミンさんの顔があることには変わりありません。


2006年9月4日(Mon)

少々疲れが来ました。歳かも・・・
ホイアンの町の中を、歩かずにシクロで回ることに・・・

チケット売り場で75000VND(550円)のチケットを買います。
ホイアンチケット
5枚つづりになっていて、博物館や中華会館がいくつかなる中から選んで拝観します。右端をはさみで切ります。

シクロのオッチャンお任せの2時間コースとなりました。
半年前、子供達と資料を読んで行くところや回る順番を決めたコースとほぼ同じでした。私達良い線行ってたかも・・・

①關公廟(かんこうびょう・Quan Cong Mieu・クアンコン廟)
1653年に建てられた中国様式の寺。武の神様の関羽が祀られています。
クワンコン廟 クワンコン廟2

クワンコン廟3 クワンコン廟4
左:真赤な顔の関羽(ガラスに見えにくいですが)
右:仏花 蓮の花びらの形を綺麗に整えていた 

②ホイアン歴史文化博物館 Bao Tang Lich Su Hoi An
クアンコン寺の直ぐ後ろの建物。ホイアンの歴史が分かる。
歴史文化博物館 歴史文化博物館6
かつて寺だった建物を博物館として利用。(明郷佛寺と出口の門にかかれています)

歴史文化博物館2 歴史文化博物館3
                      日本人墓地の石碑も展示
歴史文化博物館4 歴史文化博物館5
左:沈香
右:「日本とベトナムの先人の交流をたたえ、
   両国の恒久の平和と交流を誓う」 
    ベトナム日本文化交流協会 理事長 ブ・カク・リュウ
    日本ベトナム文化交流協会 理事長 杉良太郎
                   1998・10・20   
  と石碑に書かれていました。

③進記家(しんきけ・Nha Co Tan Ky・タンキーの家)
200年ぐらい前に建てられた中国、広東出身の漁師の家。
今も2Fを住まいにいて、6代目の方と7代目の方におあいしました。
タンキーの家1 タンキーの家2
左:外観はシンプル、入り口の金色の丸い物は、2つの目を表しているそうです。

タンキーの家3 タンキーの家4
       日本式の梁          中国式の梁

タンキーの家5 タンキーの家6
左端の方が6代目。   指差している線は、1999年に浸水した位置。

すぐ近くのトゥボン川(南シナ海に流れ出る)の川底が浅いので、
雨期になるって大雨が降ると、建物の1階部分が浸水するそうです。

このあたりの商家は、真ん中に中庭があり細長い形をしています。
川の水によって運ばれた土で、どんどん海岸が遠くなったので
建物も前へ建て増ししたとか・・・・。

④来遠橋(らいおんばし、Cau Lai Vien、日本橋)
ここは、チケットが必要ありません。
1593年に日本人によって造られたと言われている屋根付きの橋。
日本的と言うより、中国的だと私は思いますが・・・
日本橋 日本橋2

日本橋3 日本橋4
橋の中央にある小さな寺

日本橋5 日本橋6
橋の両側に犬と猿の石仏。(橋を守っているのだそうです)
申年(さるどし)から戌年(いぬどし)までの3年間かかって建設したということでした。

⑤福建會館(ふっけんかいかん、Hoi An Phuc Kien)
華僑の人の集会所。かなり派手な色使いです。
福建会館1 福建会館4

福建会館2 福建会館3

⑥伝統音楽コンサートと手工芸品ワークショップ
 Traditional Music Concert & Handicraft Workshop

200年前に建てられた木造家屋。
ベトナム音楽や手工芸品が目の前で作られている。
ベトナム音楽は演奏する時間が決まっているので見られませんでした。
ワークショップ1 ワークショップ

ワークショップ3 ワークショップ4

⑦貿易陶磁博物館(海のシルクロード博物館)
 Bao Tang Gom-Su Mau Dich O Hoi An

沈没船から引き上げた遺物が展示。
日本人街や御朱印船を描いたものも。
貿易陶磁博物館1 貿易陶磁博物館2

この頃、日本との貿易も盛んだったため日本の銅銭が沈没船にも沢山あり、
ベトナムの通貨”ドン”という呼び方のは”銅銭”から由来するそうです。

ホイアンの街 オマケの写真
仕立て屋 シクロ
左:街の中に仕立て屋さんが多い。
右:街中は道路が狭く埃っぽい(シクロを後ろから撮りました)


12:00 ホテルをチャックアウトし、もうホイアンの街で見たいところも無くなり、
ダナン

また、ダナンのシーフードレストラン「アプサラ」へ
伊勢海老の刺身 おかゆ
 伊勢海老の刺身     伊勢海老の頭をいれたお粥

飛行機が19時発なので、時間つぶしに、ダナンの街の中をまた、シクロで回りました。
道路も広く、都会的な街。
特に見るものはなく、疲れも手伝って、シクロを1回も降りて見学もせず、ずーとシクロに揺られて1時間。
ダナンの街1 ダナンの街2

そして、フットマッサージへ。ここでも1時間。
最初に料金を聞くと、
「1時間100,000VND」
「ハノイでも60,000VNDだ」と言うと、
「それじゃ、60,000VNDでするよ」と言う感じ。
相場がわからない観光客は、ふっかけられる。
チップは別です。
足マッサージ

そして、ダナン空港へ行く前に、
ダナン大聖堂 Chinh Toa Da Nang
ちょうどミサの時間で中を見ることができました。
ダナン大教会 ダナン大教会2

それから、ダナン空港
なんと飛行機が1時間30分も遅れている!!!
飛行機の出発が20時30分。
あー待ちくたびれた。

今回の旅行はこれで終わりです。


2006年9月3日(Sun)

今日は ミーソン My Son 

「私の息子」ではなく、「美しい山」です。

ホイアンから1時間、グループツアーに申し込みました。
8時にホテル出発。ミーソン遺跡見学後、帰りは途中からボートに乗り、昼食付き、伝統工芸の村キンボン KIMBONGに立ち寄り、15時に戻ってくるツアーです。
一人5ドルでした。

バンブーブリッジ ジープ
左:ミーソン遺跡入り口のバンブーブリッジ(現在は使われていません)
右:ジープで5分ほど。遺跡の入り口まで 

ダンス1 ダンス2
アプサラダンスをショーとして見せています。

ミーソン遺跡

クアンナムダン省ユイスエン県ユイタン社ミーソン。

ベトナム中部にインドネシア系民族のチャム族によって建国されたのが、チャンパである。
チャンパの遺跡の中でも、ミーソンは、宗教上の聖地とされ、神格化された王のリンガを祠った祠堂などが盛んに建設された。
ここは8世紀中頃に南方へ王国の中心が移動した後も、永く王国の聖地としてさまざまな宗教施設が建設され続けた。
ミーソンに残された一番古い遺物が、ミーソンE1の祭壇である。

   「チャンパ遺跡 海に向かって立つ」
        チャン・キィ・フォン  重枝 豊 共著 より

この本は、1989年に著者がミーソンを訪れた時のことが書かれていますが、当時はミーソンに行くまでの道路が整備されたいない状態が書かれています。
車がぬかるみにつかまり、車を降りて、背丈ほどもある草木に覆われた獣道を25分ほど走破する。と書かれています。
17年経った今とは随分違って大変だったようです。

※チャムとチャンパ
この本で、王国の国家や文化をさす場合にチャンパという呼称を、王国を構成した主要民族であるマラヨ・ポリネシア系の民族を挿す場合チャム族と表記した。  と書かれていました。

ミーソン遺跡1 ミーソン遺跡2

ミーソン遺跡3 ミーソン遺跡4

ミーソン遺跡5 ミーソン遺跡6
迫り出し構造の屋根

ミーソン遺跡7 ミーソン遺跡8

ミーソン遺跡9 ミーソン遺跡10 

ミーソン遺跡11 ミーソン遺跡12

ミーソン遺跡13 ミーソン遺跡14

BCD群はまだ保存状態良いほうですが、かなり風化されて壊れたり、アメリカ軍の攻撃を受けたりして破壊されています。
現在、足場を組んで修復作業も行われていますが、半年前と殆ど変わっていないように思いました。
ベトナム政府は、遺跡の保存や修復にあまり力を入れていないのかもしれません。

遺跡を離れ、バスで40分ほど行ったところで下車。
船に乗り換えます。
ハシゴは竹で出来ていました。恐る恐る船に乗ります。
船に乗る 昼食
   船に乗るとき     質素なランチ(野菜炒めとパイナップル1切れ)

トゥボン川クルーズ。1時間ぐらいしてキンボンと言うところで下船。
木工製品の伝統工芸の町だそうです。
店の奥に工房もありました。
キンボンの門 工房

木工製品1 木工製品2

木工製品4 船を造る
  根っこを利用した仏     屋外で船も作っていました。

いよいよ降りる前、ベトナム人ガイドのオジサンが、英語で、
「1つ目の場所は無料、2つ目は一人2ドル必要。どっちで降りる?」
と言ったのです。

「この船はどこに着くの」地図を片手に、そのおじさんに聞きました。
そしたら、ニヤット笑い、1箇所マークしたのです。
何だ。さっきのは冗談だったんだ! 
英語に弱いのに、ややこしい冗談言わんといて!!心配したやんか!

後で主人に「あの時、船がどこに着くのか心配じゃなかった?」と聞いたら
「ホイアンの街の川沿いのどこかだから、どこに着いても慌てることはないと思った」と言います。
ひょっとしたら主人はオオモノ? それとも完全OFFで何も考えてない?
(言うまでも無く 後者です。)


一旦ホテルに戻り水着に着替え、夕方4時ごろから

クアダイビーチ Bai Tam Cua Dai

タクシーで10分ほどのところに、綺麗な海岸線の砂浜がありました。
クアダイビーチ1 クアダイビーチ2

海岸には色々な物売りがやってきます。
この子はパイナップル売りでした。綺麗に皮を剥いてくれます。
日が沈み、タイヤチューブの浮き輪を回収しています。
パイナップル売り タイヤの浮き輪

そのまま海岸で潮風に吹かれ夕日を見ながら、シーフード食べました。
メチャ安でした。

ホテルに戻り、あれだけ食べたのに、まだ食べ足りないような気がして「ホワイトローズ」と言うお店で、ホイアン3大名物の残りあと2つを食べました。
美味しいけれど、わざわざ町外れのこの店まで行かなくても、同じものが町中で食べることができます。
バインバオバック ホアンタインチエン
左:ホワイト・ローズ (バイン・バオ・バック Banh Bao Vac)
右:揚げワンタン (ホアン・タイン・チエン Hoanh Thanh Chien)

帰り道、路上に出ていたジュース屋さん。
シントー(ミルク入り果物ジュース)を注文。
安くて美味しかった。
シントー シントー2

お腹も一杯になったし、帰って寝よう!


2006年9月2日(Sat)

61回目のベトナム建国記念日です。
昨年は、ホーチミン廟の前のバーディン広場で記念式典など大イベントがあり、市内中心部の道路が通行止めになっていました。

今年は、昨年のような大イベントはなかったようです。
それでも、レジデンスとなりの動物園へ向かう道路は、早朝から人で埋め尽くされていました。
動物園への人 国旗
11時頃の飛行機でダナン Da Nangへ。

ダナンの街の歩道は、5mおきに建国記念を祝う国旗が掲揚されていました。

先ずは腹ごしらえから・・・レストラン「アプサラ」
アプサラ1 アプサラ2
シーフードの美味しいお店です。


チャム彫刻美術館 Bao Tang Cham

フランス極東学院の支援によって1915-16年に博物館が建てられたそうです。
チャンパは、南北に延びたベトナム中部に、2世紀末から15世紀まで栄えた王国で、インド文明の影響を受けています。

チャム彫刻博物館 チャム彫刻博物館2

チャンパの遺跡(ヒンドゥー教)から出土した石像が展示されています。
窓ガラスがなく、風が吹きぬけます。
展示品もガラスケースに殆ど入っていなくて、触らないよう書いていますが、手を伸ばせば触れられます。(でも触れてはいけません)

10のコーナーに発掘場所ごとに分類されて展示されています。
ミーソン、ドンジュオン、キャケェウ、タップ・マム、クアンビン、クアンチ、クアンナム、クアンガイ、ビンディン、ジャライ・コンツムの10のコーナーです。
これらの作品は7世紀~15世紀の間に創作されたもので、チャンパ彫刻の全ての様式を含んでいます。
平面図

300点以上ありますが、ごく一部紹介します。
ラクシュミー ブラフマー神
左:GODDESS LAKASHMI ヴィシュヌ神の妻、ラクシュミー神(7世紀~8世紀)
右:GOD BRAHMA ブラフマー神 バラモン教では最高神(8世紀~14世紀)

Ganesa神 スナナトローニ
2枚とも逆光になってしまいました。
左:GOD GANESA (7世紀)上半身が象
右:スナナドローニ(彫像の台座)に乳房をモチーフにして連続した模様にしてあり大胆なデフォルメとなっていました。

ガルーダ シバ神
左:HOLY BIRD GARUDA ガルーダ(8世紀)
右:GOD SIVA シバ神(14世紀)

ヘビ ナーガ アプサラ
左:SNAKE NAGA ヘビ ナーガ(7世紀)
右:APSARA アプサラ(7世紀~8世紀)

マスク ささえる人
左:KALA MASK マスク (7世紀)
右:台座を持ち持ち上げる人

ホイアン方向へ車で走ること10分。
五行山 Ngu Hanh Son

大理石で出来た5つの山があり、その中の一つトゥイーソン(Thuy Son)に登りました。
途中にお寺 CHUA TAMTHA があります。
tamtha寺 tamtha寺2

その寺の左横の細い道を行くと山腹の洞窟が3つあります。
その内の1つ VAN THONG CAVE ヴァントング洞 雲通洞 に入りました。
真っ暗な中に仏像が安置されていました。
年末に子供達と来た時、ここが行き止まりだと思っていました。
洞窟の中の仏様 岩山
そしたら、仏像の後ろから小学生の男の子が現れて、
「この先に綺麗な場所があるから、裏の山に登ろう」と誘ってきたのです。
私は、子供ということもあり警戒心を全くなくしていてました。
親切に手を引いてくれて、人が一人通るのがやっとの細い穴をくぐり、険しい裏山を登り、見晴らしの良いところまで、案内してくれました。

頂上からの景色 頂上からの景色2

美しい景色を眺めていた時、その小学生が、
「学校にいくお金がいるのでガイド料が欲しい」といったのです。
ガーン!! 裏切られた気分!
親切だと思った私が悪い、何かをしてもらったら、お金が発生するのはあたりまえだし、案内してくれたことに違いはないので、少しだけ渡しました。でも、良く考えたら、この国は高校までは無料なのです。
ノコノコ付いて行って、カモにされた自分に腹が立ちました。

車で40分ホイアン Hoi An
ホイアンホテル 蚊帳
ホイアンホテル 4ツ星 今回は写真に納まりきらないほど立派な大きなホテル。
右:ベットの上に蚊帳がありました。
この国は、網戸をあまり見かけません。

ホイアンホテル3 ホイアンホテル4
部屋も布団もカビ臭くないし、ちゃんとお湯も出るし。ヤッター!

夜のホイアン 河に浮かぶドラゴン
夕食のためにホイアンの街へでました。
トゥボン川に浮かぶドラゴンのモニュメント

hoiann
ホイアン3大名物の1つ、カオ・ラウ Cao Lau。
濃い味付けの太い米麺に揚げた湯葉のようなものが入っていました。
はっきり言って、あまり美味しくなかったですね。


2006年9月1日(Fri)

日本では今日は、関東大震災を教訓に「防災の日」。

ベトナムでは明日「建国記念日」。
そして土曜日と重なるため、4日(月)が振り替え休日で3連休になります。
日本人学校の始まるのも、5日からです。

ベトナムでは祝日は、この建国記念日とテト(旧正月)ぐらいです。

多くの日本人は、ハノイから脱出します。

主人も突然思い立ち、ベトナム中部のホイアン、ダナン、ミーソンに行くことにしたようです。
私は子供達が年末年始に来た時、一緒に行っていますが、主人は初めての街です。
私は、どこにでも行けたら嬉しい。
また、新しい発見があるかもしれないし・・
そんなわけで2泊3日の旅行に出ます。


2006年8月30日(Wed)

今日は、K2さんKさんとゴルフでした。
疲れていても、いなくても、スコアーにあまり変わりはありませんでした。

先日、ハノイに来られた和歌山のKさんからメールを頂きました。
「蚊のお話」面白かったのでブログに掲載させていただきます。



荷物を整理していたところ、フエのホテルに泊まった際、
客室に置いてあったレターが見つかりました。
(たぶん退屈しないようにとの心遣いかと思います)
日本人スタッフが訳してくれたベトナムの昔話のようで、結構
面白い話なので、Word に入力したものを送りますね。

この話は、男性(旦那様)が喜びそうな話です。
女性は薄情?心代わりが早い?恨み深い?!
何だか考えさせられるお話です。



蚊のお話

 夜中にあの羽音を聞いて、とうとう眠れなかった...という経験、ありませんか?
あんなに小さな体で、これほど大きな不快感を人に与えるものもなかなかありません。
今回は蚊についてのおもしろい伝説をお話します。

 あるところに、ゴックタムという内気な農夫がいました。彼はニャンデップという美しい女性と結婚していました。この夫婦はとても貧乏でしたが、二人は幸せな田舎の生活を送っていました。夫は毎日一生懸命働きましたが、そんな夫とは反対に、妻は怠け者で、贅沢で、楽しい夢ばかり見ていました。

 そんなある日、突然妻が亡くなりました。夫は妻と一緒にいられなくなると言って埋葬に反対し、とても深い悲しみ陥っていました。ある日、夫は自分の財産を売り、棺と一緒に船に乗り込んで母国を後にしました。
 数日後、夫は美しい島を発見し、そこで妖精と出会いました。すると夫は妖精の足にすがり、「妻を生き返らせて下さい。妻を生き返らせるためなら何でもします。後で後悔はしません」と頼みました。

 妖精は夫に棺を開けさせ、指先を切り、妻の体の上に血を三滴落とすように言いました。すると、妻は深い眠りから目覚めたかのようにゆっくり目を開けたのです。
 妖精は妻に言いました。「夫への感謝の気持ちを忘れてはいけません。夫の深い愛情を忘れずにいれば、二人は幸せになれるでしょう」
 家へ帰る長い旅路で、夫は昼も夜も船をこぎました。しかしその途中、一人の商人と出会ったことにより事件は起こりました。その商人は妻を見た途端、その美しさに心を奪われ、すぐに妻を誘い出し、どこかへ行ってしまったのです。

 夫は慌てて妻を捜しました。そしてついに商人の船を見つけ出しました。それにも関わらず、妻は夫の質問にためらうことなく答えました。「新しい命をもらえて私はとてもうれしいの。あなたと一緒に戻るつもりはないわ」
 夫は初めて妻の本当の姿を見ました。そして妻は自分と一緒に長く生活するつもりはなかったのだ、という事も知りました。「君を生き返らせるためにあげた、三滴の血を僕に返してくれたら君はもう自由だ」夫は妻に言いました。妻はそんなに簡単に自由になれる事に喜び、ナイフを手に取って自分の指先を切りました。すると、指先から血はどんどん流れ出し、妻は青ざめてその場に倒れ、すぐに死んでしまいました。

 しかし、妻は小さな虫に姿を変え、夫から三滴の血を盗むため、昼も夜も夫の周りを容赦なく飛び回ったのです。妻は“蚊”と呼ばれ、不幸にも何度も繁殖して、現在に至りました、とさ。

 血を吸うのはメスの蚊だけ、というのもこれで納得できますね。

The Pilgrimage Village,Hue(要約:日本人スタッフ 横田 麻美)


2006年8月29日(Tue)

●ホーチミン廟
娘建ちもホーチミン廟に行きたいとの要望だったので、今日もホーチミン廟へ。
日曜日のことがあったので、今朝は早く7時30分に家を出て、娘達の泊まっているホテルで二人をピックして、8時ごろホーチミン廟へ着きました。
なんと、拍子抜けするほど人がいない。平日だから???

ホーチミン廟 迎賓館
黄色の建物は迎賓館。今日はラオスの旗があがり、軍隊が入って来ました。誰かラオスの要人がここに今、到着したようです。

ホーチミンの家 博物館

●アオザイ写真
10時に予約をしてのに、「電気が故障したので撮影は明日にして・・」と突然の電話。
「明日は、もうベトナムにいない。キャンセルします。」
ということに・・
日本婦人会発行の「ハノイガイド」を広げ、別の店に行ったら、
「今日のスケジュールは一杯」と断られ・・・
その店の知り合いの店を紹介してもらい、急いでタクシーで移動。

この時点で1時間のロスタイム。
2時には迎えが来て、カンボジアへ行くので時間が・・・・

やっと店にたどり着き、ウエディングドレスは一杯あるのに、
アオザイを見ると6着しかない。
選ぶというより、身に合うサイズのはどれ? というしかない。

流石、娘も娘の友人もスマートなので、入るのを見つけ衣装を決めました。
次は、メイクとヘアー。
アオザイ化粧 アオザイヘアー
     メイク           ヘアー 

5層ほど顔に塗り、自分の娘とは思えない顔に変身。
日本人とは思えない????
しかし、若いだけあって、母親が言うのもなんですが綺麗です。
勿論、お友達はスタイルが娘より良く、もっと綺麗。

スタンバイ
衣装を着替え、いざ、撮影!
と思いきや、12時。スタッフのランチタイム。
「エ~! 衣装を着て、メイクしたお客さんを待たせて、スタッフはランチタイム????」
待つしかない。20分経って戻ってきた。

イヨイヨ撮影開始。
スターの写真撮影のように、ポーズを付けて。
写真撮影 写真撮影2 
写真撮影4 写真撮影3

意外と撮影は、手際よくスムーズに終わり、12時50分。

私の撮った写真は、遠かったのと暗かったのと両方で、ピンボケしていますので、プロが撮った写真を楽しみにしてください。

●昼食は、ソフィテル・メトロポールのフレンチビッフェ。
フランス資本の伝統と格式のある一流ホテル。
レストラン入り口に「ドレスコード」の看板が・・
流石、ここで嬉しそうにシャッターを押すわけにも行かず、写真はありません。

気持ちが焦っていたのもあって、スターターから取りに行かなければ行けないのに、いきなりメインに行ってしましました。(お愛嬌)
デザートが充実しているのも嬉しいですね。

主人も一緒に昼食をと思っていたのですが、アオザイ変身が予定より1時間遅れたため、一緒に食事が出来ませんでした。(ゴメンね)


●2時にホテルへ迎えが来て、私も一緒に空港まで見送りに。
元気でカンボジアへ出発しました。
ノイバイ空港

●お土産
☆娘のお友達のお母さんから、「たねや」の和菓子、「誠味」のお昆布、「神戸風月堂」の洋菓子を頂きました。
「たねや」の自分で餡を挟んで頂く最中は大好きで、ひそかなファンです。
「誠味」の松茸昆布もとても上品なお味でした。
ご馳走様でした。
ご丁寧なお手紙も頂き恐縮しています。こちらこそ、よろしくお願いします。

☆私の友達の方も、私がお願いした「紀州南梅花」の梅干、「神宗」の鰹昆布、「米ギャラリー」の栗ご飯の素。
重いのにありがとうございました。
梅干は最高級品だということが、食べたら分かりました。
我が家は一度に、日本が来ました。


●おまけ 
車はまた元のホテルへ、ホテル直前で警官が立っていて迂回の支持。
ガイドの人に訪ねると、「今、開発が進み、政府が道路や建物を造るのに、土地を取られた人々が集まって抗議している」
というような内容でした。
特に、プラカードや横断幕もなく、行進している風でもなく、ただ、200人ぐらい集まっているように見えました。
集会

とにかく関わらず直ぐにタクシーで自宅に向かいました。

ハノイにわざわざ来てくれるのだから、希望を聞きながら、時間を有効に使えたら・・・と、いろいろ盛り沢山になりました。


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