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2005年7月~2006年11月 ベトナムのハノイに住んで、ベトナム生活を満喫しました。 ただ今は帰国し、身の回りのこと少し更新しています。良かったらお付き合い下さい。 ホームページ(2005年7月~2006年5月)は、「リンク」のところにあります「太田桜花堂 ベトナム便り バックナンバー」とクリックして頂くと入れます。
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ハノイにいるとき、ハノイ歴史研究会の小委員会に入っていました。
毎回、ハノイのどこかを紹介するA5判の冊子を作ります。
メンバーが、その場に足を運び、資料を集め、読みやすいように
まとめていきます。

歩こうハノイ7-1 歩こうハノイ7-2

「歩こうハノイ その7」を一時帰国されているIさんが
お送りくださいました。ありがとうございます。
今回は、大教会周辺でした。

わくわくしながら、読ませていただきました。
大教会の近くは、何度も行ったのに、行ったことのないお寺や
知らないことだらけでした。

機会があったら、この本を片手に、また教会近くを散策して
みたいものです。
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2007年4月17日(Tue)

歩こうハノイ6 南同亭

ハノイでご一緒だったK2さんから、久しぶりのお電話を頂きました。
一時帰国中で日本国内からでした。

「歴史研究会での“歩こうハノイ⑥”が出来ましたので、お送りしましたから・・・」と

日本に届ける郵便は、帰国する人に託して日本で投函する方が、確かなのです。

“歩こうハノイ⑥”は、ドンダーの丘周辺をまとめたものです。
 18世紀後半にタイソン通り周辺で「ドンダーの戦い」が繰り広げられ、
 清(中国)を撃退しました。この戦いで活躍した英雄クワンチュン
(光中)の像が、ドンダー公園に建てられています。

ハノイ歴史研究会というグループに入っていました。
皆でお寺や亭、教会などに行き、直接お話を伺ったり、先輩方の残して下さった資料を読んだりしながら、ベトナムの歴史を少しずつ勉強しました。
私の担当は、ナムドン(南同)亭でした。
皆で意見を出しながら、完成させていく作業は、とても楽しかったです。
完成を見ずに帰国しましたので、冊子が出来るのを心待ちにしていました。
ありがとうございます。



ハノイ商工会の季刊誌にも、歴史研究会が「ベトナム歴史の散歩道」という1ページを担当しています。

在籍は短かったのですが、帰国が迫っていたので、4月号は私が担当することになり、原稿を書かせて頂きました。
そちらの方も発刊され、私の手がけたページを歴史研究会のSさんからメールで頂戴しました。

ハノイ商工会季刊誌

李朝(1010-1225)発祥の地のバクニン省にあるドー(都)神社の事を書きました。
本当に何も知らなくて、Sさんにいろいろ教えて頂き、やっと仕上げた状態でしたが、出来上がると嬉しいですね。

歴史研究会の皆様、まだまだ興味の尽きないハノイの歴史や文化をこれからも調べて活動をお続け下さいね。


2006年12月22日

今日は冬至。朝、寒くて、暗くて・・・布団から抜けだしにくい・・・

ハノイ歴史研究会のSさんから、12月の遠足の様子を送って下さいました。

ダウ寺

【12月の遠足
 (ハータイ省にあるダウ寺。お坊さんの即身仏がある所です。)
 普通ミイラ(即身仏)にするには腐りやすい脳や内臓は取り除く
 らしいのですが、この寺にある即身仏は、X線で見ると乾燥した
 脳や内臓が入っているんだそうです。
 どうやってミイラになったか謎らしいです。 写真添付します。】


乾燥地帯のミーラ(例えば、ローランの少女)は、乾燥しているので、ミーラになるのも理解できますが、雨が多く湿度が高いベトナムで、よく腐らずにミーラになれたものだと、感心します。
よほど、そういう技術が優れているのですね。
しかも、内蔵があるとは・・・不思議です。

Sさん、珍しい写真をありがとうございました。


先日、NHKのニュースの中の「アジア アンド ワールド」で
ハノイにある民俗学博物館で行われている特別展「バオカップ展」の
様子が写っていました。
2006年9月21日(木)に歴史研究会で行きましたよね。

テレビを見ながら、
「そうそう、ベトナムのドイモイ政策が始まるまでの
 配給時代はこうだったのを見たわ・・・」
と一人でつぶやいていました。


2006年12月21日

2006年もあと10日になり、何だか慌ただしくなってきました。

ハノイ歴史研究会のSさんが、コーロア城に行って来られ
三重の土塁の写真を送ってくださいました。

私が【ハノイ再び(10-7)11月27日に書いた11月17日のブログ】
行った時、三重の土塁が結局分からず、
建物だけを見て帰ってきてしまいました。
それを聞いたSさんが写真を送ってくださいました。

コーロア城二重土塁 コーロア3
    コーロア城二重目土塁      三重目土塁から後方二重目土塁

【丁度スケッチ12月号にコーロア城へバスで行く方法が、
 紹介されていましたので、行ってきました。

 アンズオンヴオン神社の前に池を背にして立つと、
 左前方に田んぼや木々のどかな風景が広がっていたと思います。
 そこに、3重の土塁がのびているのです。
 (一重めは神社のすぐ左脇の小高いところ)
 本当に数メートルの高さと幅の土盛りと木が続いているだけですから、
 教えられなければ自然の地形のようにも見えますね。】


木が植わっていて、自然の地形のようで、教えて頂かなかったら
これが土塁の一部だとは分かりませんね。
11月17日は、せっかく現地まで行ったのに土塁が分からず、
少し心残りだったので、今回写真を送って頂いてすっきりしました。
ありがとうございます。
路線バスで行く方法があったのも知りませんでした。

まだまだ、行きたかった所もありますが、もし、ハノイに行くチャンスがあったら、訪れてみたいと思っています。


2006年10月27日(Fri)

チェ CHU

チェ1 チェ2

チェ3

ローカルの「チェ サイゴン」と言うお店で チェ CHU を食べました。
いろいろ小豆やゼリー、果物などの甘いものを入れ、カキ氷を少し加えて混ぜて食べます。
3,000VND。小豆が日本の味に近くて、好きな味でした。

チェ屋さんの左隣の店は、歩道で豚肉をバンバン包丁で切り刻んでいました。


イタリア料理 Luna d'autunaeo

ガーデンスタイルで、涼しくなってきたハノイでは、室内より外の方が気持ちの良い季節です。(ランチ)

ルナ1 ルナ3
モッツアレラ チーズが手作りでなかなかイケル。

ルナ2 ルナ4
目の前の石釜で焼くビザは絶品。

ルナ5 ルナ6
スパゲッティ                野菜のグリル

野菜だけを何の味付けもなく焼くというのも、素朴な野菜の旨みが引き立っていいですね。
ドライトマトも焼いていました。生のトマトより歯ごたえがあって酸味と旨みがありました。

私が「チェサイゴンもイタリアンのLuna d'autunaeoも行ったことない」
と言いましたら、Koさん、Morimoriさん、Iさん、Saさん、Yさんで
またお誘い頂いてありがとうございました。

お陰さまで、また、美味しい思い出が増えました。



お昼から 最後の歴史研究会

「歩こうハノイ6」は、ドンダーの丘を中心にそのあたりのお寺・亭・教会などを編集しています。
もう一度、見に行こうということになりました。
私は、途中から入ったため、見ていない所が沢山あり、今回見ることが出来て良かったです。

ドンクアン(同光)寺 Chua Dong Quang

ドンクアン寺1 ドンクアン寺2
1つ目の門「同光寺」      2つ目の門「Chua Dong Quang」

タイソン通りのドンダーの丘の向かいです。
Thinh Quang 村とNan Dong 村の間に出来たお寺だから Dong Quangと言う名前がついたそうです。

ドンクアン寺3 境内にあった gac(ガック)という植物。
ヘチマのように棚からぶら下がって実を付けています。
今は、鮮やかなみどりですが、テトのころ赤くなり、その中の種とネトネトのところを餅米と混ぜ、ソイガックという赤いオコワを作ります。
そして、形に入れて(プリンのように)その後、お皿にひっくり返し仏様に供えます。(Sさんより)

ドンクアン寺5 ドンクアン寺4
中庭に恵みの水を持った観音様。
堂内では、女の人が30人ほど、黒のパンツに茶の上着というお揃いの服を着て、お経を上げていました。
旧暦の毎月7日は、このようなお寺の行事があるそうです。

ドンクアン寺6 クアンチュンを祀っています。(ホーチミンさんの写真の後ろ)

1788年、阮恵(グエン・フエ)が自ら帝位に就き、アンチュン(光中)帝と称し、ハノイを中心に北部ベトナムを統治しました。
このあたりの歴史背景は少し複雑ですので、「歩こうハノイ6」が出ましたら、お読み下さい。

ドンクアン寺7 ドンクアン寺8

左は中庭と本堂の間にあったものです。
写真では分かりにくいですが、鳳凰・龍・麒麟・亀が掘られています。
右は Ban Tho Ong Be と書かれていました。
Ban Tho は祭壇、Ongはおじいさん、Beは小さい子供 の意味だそうです。
確かに子供の顔と頭をしています。
この座り方も何か意味があるのでしょうか?

現在改築工事中の観音堂の天井を見上げると、棟のところに書付がありました。
「仏歴二千五百四十九年建観音堂来大吉」
仏歴という言葉を始めてみました。
今年2006年と言うことは、西暦 BC543年が仏歴の始まりになりますが・・。

<<仏歴をネットで調べました。ウキペディアから一部抜粋>>
仏滅紀元(ぶつめつきげん)とは、釈迦が没した年を紀元とする暦法。仏暦とも言う。東南アジアの仏教徒の多い国などで用いられている。タイでは涅槃に入った年から一年たった年を仏歴紀元にしている。紀元前543年が仏暦紀元となる。


ナムドン(Nam Dong:南同)教会

ナムドン教会2 ナムドン教会1
カトリック教会(レデンプトール修道会)です。
祭壇には117人の殉教者がイエスを囲んだ大きなレリーフあります。

ナムドン教会3 ナムドン教会4
教会内の壁にはビアドロローザ(十字架の道)の14枚の場面のレリーフがあります。

庭に葉が団扇のような3mほどある大きな「旅人の木」がありました。

ナムドン教会5
旅人の木 : 暑い熱帯地方を旅する人が水がなくなり、渇き切った時に探す木で「旅人の木」と呼ばれ、この木を見つけた旅人がナイフで幹を切ると、冷たくおいしい水が泉のようにあふれ出て、旅人の命を救うそうです。
「渇いている者には、命の水の泉から価なしに飲ませよう」(ヨハネの黙示録21・6)とあり、イエス・キリストは十字架の木の上で、傷つけられた脇腹からあふれ出る命の水を注がれるのだそうです。


シツコイようですが、「歩こうハノイ6」に詳しく載せますので、出来上がったらお読み下さい。


ドンダー(Dong Da)の丘

ドンダーの丘1 ドンダーの丘6
ドンダーの丘正面             丘の上にある慰霊碑

丘を反対側に降りて行くとグエン・ヴァン・フエ(阮文恵)のの大きな像があります。
1789年グエン・フエは「ドンダーの戦い」で清(中国)を打破し、クアン・チュン(光中)帝となります。

ドンダーの丘1 ドンダーの丘4
グエン・ヴァン・フエの像         博物館にあった凱旋の様子

このグエン・フエが清と戦ったとき、ベトナム軍を鼓舞するために呼んだ詩です。
ドンダーの丘2 ドンダーの丘3
  現在のベトナム語           グエン・フエが作ったチューノム

チューノム
ベトナムはもともと漢字文化圏です。
しかし中国語とは違うため、新たなベトナム語を作りました。
その漢字は、意味とベトナム語の発音を組み合わせています。

たとえば、上の写真の一番上のセンテンスの4つ目「DAI」言葉。
ベトナム語で「長い」ことを「DAI:ザイ」と言います。
ベトナム語で「曳」を「ザイ」と発音しました。
そこで中国語の「長」に、ベトナム語の音の「曳」をくっつけて一つの文字としたわけです。


昨日で、私の歴史研究会への参加も終わりました。
私は教えていただくばかり・・・。

お世話になり有難うございました。

「歩こうハノイ6」が出来上がるのを日本で楽しみに待っています。


2006年10月20日(Fri)

歴史研究会の月に1回の講演会。
と言っても夏休み7月8月9月だったので、4ヶ月ぶり。

西村さん

講    師:西村 昌也さん(考古学者)
プロフィール:旧石器時代から20世紀までの東南アジア考古学研究を
       専門とし、現在ベトナム考古学院研究員。
       「NPO法人東南アジア埋蔵文化財保護基金」代表。
       近年注目が高まるハノイのタンロン遺跡研究にも携わり、
       2004年に小泉首相がこの遺跡を訪れた際、案内役を務め
       られました。

演    題:「考古学が語るハノイ古城3都物語」

3都はコーロア、ルイロウ(ルンケー)、タンロン(ハノイ)です。
中国に支配された時期、ベトナムの各王朝とも、ハノイ周辺の上記三つに都を置き、ほかの地(ホアルー、タインホアの胡朝)に遷都してもすぐに紅河平原に戻ってきた。ということです。

コーロア城  ハノイから北へ10Km
安陽王が建設したと伝えられています。紀元前2-3世紀。3重の土塁。外塁は8000m。趙陀の南越国に滅ぼされます。

コーロア城の伝説
コーロアは紀元前3C、甌貉(オウラク)国の都があったとされています。
王の名前は安陽(アンズォン)王と言いました。王は金亀(キムクイ)の爪で出来た魔法のイシユミを持っていて、どんな敵も倒しました。
南越の趙陀(チョウダ)は甌貉攻略の企てをします。
息子の仲始(チョントゥイ)を安陽王の娘・媚珠(ミーチャウ)と結婚させます。
仲始は媚珠を騙し、霊弩の秘密をさぐりすり替え、親が病気と偽って帰国します。
趙陀は甌貉と戦います。甌貉はイシユミがすりかえられたいたためあっけなく負けてしまいます。
王は媚珠を連れて敗走しますが、直ぐに居場所を突き止められてしまいます。
安陽王は娘の首をはね、自らも入水します。
後を追ってきた仲始は妻の亡骸を見つけ悲しみコーロア城に帰り、井戸に身を投げました。
媚珠が石となって飛んだ来っ帰ったものが、現在では安産信仰となっています。

銅鼓
銅製の太鼓の形をしたものが多数発掘されています。


ルイロー Luy Lau (ルンケイ) ハノイから東20kmのバクニン省
前漢武帝の侵略に伴う効し郡設置時(紀元前109年)の郡治、後漢時代のある時期まで。

タンロン(Thang Long 現ハノイ王城域)
李公蘊が李朝(1010年~1225年)を創始し、タンロンに遷都。
陳朝(1225年~1400年)も引き続き、タンロンを継続し、ナムディン省の故地に位置する Thien Truong Phu(天長府)を西都(副都)とします。

ハノイの名前の変遷
宗平(トンビン)→羅城(ラジョウ)→大羅城(ダイラジョウ)→昇龍(タンロン)→東都(ドンド)→東関(トウクアン)→東京(ドンキン)→河内(ハノイ)→HANOI(ハノイ)

ハノイは京都と良く似ていて、同じ場所に何回も都があったので、遺跡の下に別の時代の遺跡があるそうです。

阿倍仲麻呂と安南都護府
「天の原ふりさけみれば春日なる三笠の山にいでし月かも」という歌で有名な阿倍仲麻呂が、2度ベトナムに来ていたことを知りませんでした。
 仲麻呂は奈良時代、遣唐使として長安に渡り官僚となり、玄宗皇帝に仕えました。
仲麻呂が1回目帰国途中で、暴風雨に合いベトナムに流れつきました。一旦、長安にもどりますが、安南都府として再びベトナムじ赴任しました。
唐は交州と呼ばれた地域を監督するため、ハノイに安南都護符を創設しました。

備前陶磁器(古伊万里 17C)
ベトナムで、17Cの地層から備前焼が出土します。
当時日本は江戸時代で鎖国をしていました。
これは、オランダや中国、シャム国の船で海外へ出たそうです。

遺跡の形のお話などいろいろお聞きしました。
お話のごく一部ご紹介しました。

遥かな時代に想いを馳せ、土の中に眠る遺物や遺跡から、過去の人々の生活や文化を探る「考古学」って夢がありますね。

ベトナム王朝の変遷をお聞きしながら、Co loa(古螺:コーロア城 BC258~BC208)や、胡朝城(1400~1407)にも行ってみたくなりました。



歴史研究会から 11月のお知らせ

11月は、大西先生のご案内で史跡めぐりを行います。

日 時:11月24日(金) 午前9時~午後3時ごろ
見学先:サクソン神社と大仏
    ハノイの北、サクソン(昨山)にある神社と大仏です。
参加費:12ドル(レンタルバス代、講師謝礼)

・募集は約20名とさせていただきます。
・お弁当、飲み物をご持参ください。
・歩きやすい服装、靴でご参加下さい。
・ローカルのトイレ使用となりますので、予めご了承ください。


2006年9月25日(Mon)

路面電車

昨日ご紹介したツゥイータレストランの近くに東京義塾広場(Quang Truong Dong Kinh Nghia Thuc)があります。
現在、噴水のあるホアンキエム湖北側の広場です。

フランス統治時代はネグリェール広場と呼ばれていました。

1901年フランスはハノイに市電を走らせました。
その広場のボーホー(Bo Ho:湖畔)駅は、100年にわたって市電のターミナルとして使われました。路線は6つあったそうです。
現在、市電は走っていません。

この写真は、歴史研究会のSさんから教えて頂いた、ベトナムの古い写真のHPより拝借しました。

ハノイ市内も電車が走っていると便利なのですが・・・
それとも市電が走ると、もっと交通渋滞を起こしているかもしれません。


2006年9月21日(The)

民族学博物館でバオカップの特別展を歴史研究会で見学に行きました。

「BAO CAP」とは、「Subsidized Times」「配給時代」と言う意味だそうです。
1975年・ベトナム戦争終結 ~1986年・ドイモイ政策が始まるまで。
バオカップ展看板 配給所切符
 バオカップ展の看板           食料配給切符

米配給所 配給表
  米配給所に並ぶ人              配給表

右の配給表は、給料により12の階級に分かれていて、肉・魚・砂糖など配給される量が決められています。
ベトナム戦争中よりも、物不足になったようです。

卵 自転車
卵(当時は高価だった)           自転車

右の自転車は、修理するにも部品が配給だったし、一般の人には手に入らなかった。)

展示場

配給時代でも、一部の裕福な家(政府に親戚の人がいる家)には、テレビ・レジオ・編み機などがあったらしく、「あこがれの生活」として紹介されていました。

社会主義というのは、一部の裕福な権力者と多くの貧しい人で構成されていて「身分に差があっても、それは当然のことだ。」と受け入れているのですね。

「バオカップ時代は、知恵や勇気が抑圧されていた。
人々の自由への欲求がドイモイ(刷新)に取り入れられた。」
と締めくくられていました。(Fuさん訳)

この博物館は今回で3回目ですが、常設展や、屋外の少数民族の家が興味深いところです。



歴史研究会で博物館に行く前に、「しゃぶしゃぶ」。
台湾資本のお店で、一人ずつ、目の前に小さいIH鍋が置かれ、自分でじゃぶじゃぶを作りながらいただきます。
私の注文したのは、少しヤギ肉が入っていましたが、臭みもなくおいしかったですよ。 

しゃぶしゃぶ しゃぶしゃぶ2
これは一人分。食べきれるかな? と一瞬思ったけど、心配なしでした。
店名:OA BA LAU



歴史研究会終了後、Kさんと合流



Kさんが「お友達に買って帰って」と頼まれたアオザイ。

アオザイは身体にぴったりに作るのですが、今回は、本人がいないのでアオザイの既製服から、私が試着し入ったものに決まりました。
Kさんのお友達は、私に体型が似ているそうなのです。

アオザイ1 アオザイ2



その後、カメラの修理屋さんへ

昨日、近所のカメラ屋さんに壊れたカメラを持って行ったら、
ココに持って行ったら・・と教えてくれたカメラ修理の場所。
小さい通りらしく地図を見ても出ていません。
Kさんの運転手さんにお聞きし、連れていってもらいました。
以外にKさんのご自宅に近かったのですが、、、

行ってみると、ちょっとコギタナイ店。
店内はいろいろなメーカーのカメラやビデオがガラスケースの中に入っています。
日本ではもう、売られていないような古い機種のものがいろいろ・・
果たしてココで修理がきくのでしょうか?

オジサンが「50ドル。明日とりにもう一度来い。」
と多分 言ったのです。
(おじさんのベトナム語が分かったのではなく、雰囲気です)
とりあえず、私の愛用のカメラを預けてきました。
修理が出来ると良いのですが・・・・

修理が出来るまで、M先生のカメラをお借りしています。



夕食 短期でお越しのMiさんが帰国されるので、ブラザーズカフェで送別会。その後、空港までお送りしました。

ブラザーズカフェ1 ブラザーズカフェ2

Miさんは29歳。現在独身 
(12月にご結婚されるそうです。
 残念? ちゃうちゃう おめでとうございます。)
私が言うのも何ですが・・・・お若いのにしっかりなさっています。
しかも、優しい。奥さんになられる方は幸せですよ~。

Miさんと何回かお食事ご一緒して教わったこと
○歴史に学べ。過去の歴史の失敗を見て、どこが失敗したのか分析し、それを未来に繋げるようにしなければ意味がない。
指導者が精神論を言い出すと、それは手立てがなくなった時で、その時から進歩がなくなる。
○失敗の中に次へのヒントがある。
どうして失敗したかを知ることが、次に繋がる。失敗をそのままにしないことが大切。

いいこと聞いたなぁ。解析することが大事なのですよね。
なかなか、難しいことですが・・

日本に帰られてもご活躍下さい。
どうぞ、お幸せに・・・


2006年9月14日(Thu)

  歴史研究会主催 講義日程のお知らせ

次回の講義は、10月20日(金)です。
     (9月は予定しておりません)

時間:午前9時30分~12時
場所:Daewoo Hotel 3F ミーティングルーム
講師:西村昌也氏
演題:考古学が語るハノイ古城3都物語
会費:$5
西村氏のプロフィール:
   NPO法人東南アジア埋蔵文化財保護基金代表
   ヴェトナム考古学客員研究員

多数ご参加お待ちしております。



今日の歴史研究会小委員会は、前回に引き続き「歩こうハノイ⑥」の原稿の検討でした。
Nさん担当の「南同教会」「フゥオントゥオン亭」のところです。
Nさんは、Sさんにならっていろいろなベトナム語の資料を、自分で訳して、それを日本語に置き換えて、どうすれば、ベトナム語の本来の意味が失われなく伝えられるか、と言うことに重点を置いて文章を作っておられます。
それを叩き台にして、いかに分かりやすく表現していくか。
ということに重点を置いて検討を重ねます。
本当に真剣な話し合いが3時間半ぐらい続きます。


ジウネップ
ジウネップ Ruou Nep
 
精米していない餅米を炊いて冷まし、糠(ぬか)を混ぜて蓮の葉で包み、
2日間、醗酵させたものだそうです。
Sさんのベトナム語の先生が教えて下さったそうです。
歴史研究会のメンバーでお相伴にあずかりました。

少しお酒の味がしました。
噛んでいると、玄米のほのかな甘さがあります。


2006年8月31日(Thu)

Sさん宅に集まり「歩こうハノイ⑥」の原稿の確認。
まだまだ先は長い。

歴史研究会2 歴史研究会1

Sさん宅で、この歴史研究会が出来たいきさつを書いた文章を見せてもらいました。
1996年に発足。当初のメンバーは4人。その中に作家、平岩弓枝さんの娘さんの三浦小枝さんもいらっしゃいました。
ハノイ在住の邦人駐在員の妻でベトナムの歴史を勉強しようと作られた会です。

10年前の方々は、資料も少なく、皆さんものすごくご苦労されて1998年に「ベトナム歴史ノート」を発行されたようです。

私は、知識が増えればいいな。という軽い気持ちでこの会に参加させていただいていますが、何だか申し訳ないような気がします。

この会に入るまでは、月に1回の大西先生の講義の方が目について、大西先生が主催されいるのかと勘違いしていました。

ハノイ歴史研究会が当初の目的が達成できるよう、少しでもお役に立てればと思いますが・・
何分、頭が付いていきません。


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