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2005年7月~2006年11月 ベトナムのハノイに住んで、ベトナム生活を満喫しました。 帰国後は、身の回りのこと少し更新しています。良かったらお付き合い下さい。
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2006年8月24日(Thu)

歴史研究会小委員会で「ハノイ城」ゆかりの建物をめぐることになりました。
8月8日、北門を見てから行きたいと思っていたところでした。

1010年、ベトナム最初の長期王朝リー(李)朝の初代皇帝リータイトー(李太祖)は、都をタンロン(ハノイ)に定めました。
その後、グエン(阮)朝時代(1802-1945)の1831年、第二代ミンマン(明命)帝により、首都をハノイからフエに移します。
その時、ハノイを一地方都市とするため、タンロンはハノイと改名され、ハノイ城の規模を縮小したそうです。

2000年、タンロン(ハノイ)遷都990年を記念して修復が行われ、部分的に一般公開され始めました。

北門 Cua Bac
北門 北門の中
  北門「正北門」      門の下 幅16mあります。

北門の上 英雄二人
門の上に上がると、「義烈英雄」と書かれた扁額と共にフランス軍からハノイ城を守った、Hoang Dieu ホアンジェウとNguyen Tri Phuong グエンチーフォンが祀られています。
北門を挟む南北の道路の名前に二人の名前が付けられています。



龍の家
2005年2月~5月の期間限定で、一般公開していました。
現在は一般公開はしていません。
今日は、特別見せていただくことが出来ました。(ラッキーです)
かつて皇帝たちが居を構えた「敬天殿」のあたりです。
龍のヘソ地図 グエンチフォン通りの門
軍事施設があったためこれまで公開されませんでした。
右は、グエンチフォン通り門のです。

門を入って真直ぐ進むと、1467年に造られ、1枚の大きな岩から掘られた龍の階段があります。
ここで皇帝と一般市民が隔てられていたそうです。
龍の階段 龍の家
    龍の階段          龍の家
今はありませんが、敬天殿のあった場所です。
龍の階段を上がった奥にある建物で、フランス植民地時代フランスの本拠地でした。龍の階段があったことから龍の家と呼ばれていました。

龍の家の中に、秘密基地があります。
突然あらわれた地下への階段を降りると、地下には2つの会議室がります。ベトナム軍の所有になってから、ソ連の支援により造られた地下壕だそうです。
巨大扉はソ連製で二重になっていてちょっと怖かった。
また、地下室から、地下道が掘られ、17km先のハドンの街まで繋がっているとのことでした。本当に秘密基地!!
地下階段 ソ連製扉
HAM D67と言う部屋 地下の階段 ソ連製扉

地下会議室大 秘密の地下道
 地下会議室大      ハドンへ繋がる地下道入り口

地下から上がってくると
地上の会議室 展示室
会議室 テーブルの上にはヴォーグエンザップ将軍のプレートもありました。
ベトナム戦争の当時の戦略図や写真の展示をしていました。



端門 Doan Mon
ハノイ城の一番内側には、宮城と呼ばれる皇帝一族の住居があり、壁で囲まれた宮城のただ1つの南側にあった門です。
端門1 端門2

端門3 端門4
発掘現場が見学用に保存されています。
(ボウフラが一杯、水たまりにいました。)
両端の入り口から上がっていくと更に上部へ行く階段があり、ガラス戸をスライドさせて上に出ることができます。
この階段、上に行くほど幅が狭くなりっているので、目の錯覚で、実際より高く見えます。(このことを教えてくれたのはK2さん) 

植え込みがベトナム国の形をしていました。
端門5      



後楼 Hau Lau
敬天殿の後ろ(北)に位置した楼閣だったことから後楼と呼ばれています。
19世紀グエン(阮)朝時代、皇帝が都フエからハノイを訪れた時、敬天殿に宿泊し、随行してきた側室や女官がここ(後楼)に詰めていたそうです。
後楼1 後楼4

左の写真は、地下深くから発掘された柱の礎石。蓮の花びらが掘られています。
右の写真は発掘されたレンガ。
後楼2礎石 後楼3



●近くにある建物
計画投資省 レーズアン氏の家
    計画投資省       レーズアン氏の家
 
このあたり、軍関係の建物も多くあり、植え込みに銃をもった兵隊が立っています。
写真を撮る時は、ご注意ください。
(いきなりシャッターを押すと、怖いことになる恐れがあります・・)

 

●その後、歴史研究会が発行している「歩こうハノイ」の追加コピーを引き取りに寄りました。
ページが欠落していたり、逆さに入っていたりするので、皆で、チャックしました。
歩こうハノイ1 歩こうハノイ2
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2006年8月17日

大雨
大雨

昨夜一晩雷交じりの激しい雨でした。今も降っています。
こんな日は、道路があちこち冠水して、通ることが出来る道を探しバイクと車がそこに集中します。
ただでさえ、交通マナーの悪いベトナム。
我先に交差点に突っ込んで大渋滞。
交通警察が出て指示をしていますが、水に浸かったタクシーが故障して道路で立ち往生をしたり、接触事故で車が止まっていて、交通が流れなくて、Nさんのお宅に行くのにいつもは25分のところ1時間かかりました。

Nさんが、NPOの活動にHPを作られるので、少しだけお手伝いしたつもりですが、邪魔をしたかも・・・



ハノイ歴史研究会 次回講演会のご案内      
  日 時:10月20日(金)午前9時30分~12時
  場 所:Daewoo Hotel  3F ミーティングルーム
  講演者:西村昌也さん(考古学者)
       旧石器時代から20世紀までの東南アジア考古学研究を
       専門とし、現在ベトナム考古学研究員。
       「NPO法人東南アジア埋蔵文化財保護基金」代表。

(9月の講演会はお休みです。10月の多数のご参加お待ちしています。)

歴史研究会小委員会
ルイボスティー

昼から大御所Iさん宅で歴史研究会小委員会。(先週は我が家でした)
Iさんが出して下さった、南アフリカのお茶「ルイボスティー」
パッケージ裏面には、原料の草のような写真がありました。
40分間に出すそうです。身体によさそうなお茶でした。

今日の活動は、ハノイ日本商工会が季刊誌として作っておられる「Hoan Kiem」に、歴史研究会が「ベトナ歴史の散歩道」と言う1ページを担当しています。
その「Hoan Kiem」の次回の原稿を、メンバーの中で一番早く帰国するという理由で、私が書くことになりました。
「李朝発祥の地に建つドー(都)神社」について書きました。
一年前、大西先生が歴史研究会の遠足の時くださった資料と、Sさんの知識を頂いて何とかまとめ、今日皆さんから最終修正を加えていただき出来上がりました。一件落着



自宅に帰るまでにローカルマーケット付近で

突然現れた、シャンプーのサンプル配り。
綺麗で若い女性が、道行く人にサンプルを配る姿は、まるで日本と同じでした。
受け取る人がOLではなく、そこいらのオバサンですが・・・
サンプル

ドリアン1 ドリアン2
ローカルマーケットで買ったドリアン。
凄い匂いなのですが、クリームチーズのような食感が好きですね。

パパイヤ
パパイヤおじさん。いつもこの歩道にいて、バイクの籠にパパイヤ満載で商売をしています。(Kさんご用達)



●ホービエン Pho Bien シーフードレストラン

ホービエン1 ボービエン2
               
夕食
主人と同じ職場Naさんが、明日 帰国されるので、送別会をPho Bien シーフードレストランで行いました。(私もご一緒させていただいて)
写真は、Naさんご指名の伊勢海老で、ちょうど1Kg。
刺身かグリルか、意見が別れましたが、結局刺身に。

私は初めて行ったお店でしたが、海鮮ではハノイで有名なお店だそうで、ベトナム人が一杯でした。(ベトナム人の人数は、美味しさのバロメーターになります。)

Naさんお元気で、ご活躍下さい。


2006年8月8日(Tue)

Kさん、hanaeさん、チビクロ777さん、777のお友達のYaさんの5人で、楽しいランチ。
Kさんお薦めの""きのこ鍋屋さん""へ。

車を降りると、お店の目の前に「正北門」と書いた立派な門があり、私の興味はそちらの方に・・・
何か歴史を感じる門です。
門に大きな弾痕もありました。

ハノイ城北門

家に帰って調べたら・・・
歴史研究会「歩こうハノイ①」に載っていました。
北門 Cua Bac この門は、旧ハノイ城を囲む城壁に造られた五つの門のうちの1つで、現在残っている唯一のものです。
城壁の高さは4.4m、16mの厚みがあります。
1805年、グエン(阮)朝 初代ザーロン帝によってフランス人技術者の援助を得て建てられました。
ザーロン帝は、フエに都を移しましたが、その時に城内の重要な建造物を分解して新都は移してしまいました。・・・・」

なるほど、なるほど 私達の先輩の歴史研究会メンバーの方が調べて本にされていて良く分かりました。
説明は、まだまだ続きますので、お入用の方は、10,000VNDで「歩こうハノイ①」をお買い上げ下さい。

「歩こうハノイ①」には、中の建物のことも書かれていましたので、是非、今度は中にも入ってみたいです。
住所 51 Phan Dinh Phung

ハノイ歴史研究会
ハノイ在住の婦人により1996年4月に始まりました。
「ハノイ道めぐり」「歩こうハノイ」など本として残しておられます。
本当に、これが素人の奥さんが作ったの? と思うほど充実した詳しい内容です。
ベトナム語の分からないなかで、地道な努力に感心します。
(私は、ほんの一年足らず関わることになっただけすが・・・)
帰国に伴うメンバーの入れ替わりがあり、活動が大変ですが、
皆さん、楽しんでいらしゃるようです。




さて、今日のランチは・・・きのこ鍋

ローカルと言っても、ドが付くローカルではなく、綺麗で(パンフレットほどではない)ベトナム人で込んでいました。

ashima店 きのこ鍋の具
 店名 ASHIMA         きのこ鍋の材料

きのこ鍋 きのこ鍋2

食材を選べます。
まずは、ベースの肉を何にするか?
「鶏」を選びましたが、ブラックチキンとか、ウサギ、蛙、があったような・・・・?(定かではありません。)

その後、「きのこ」を選びます。
私達が選んだのは(お店の人が適当に選んでくれたのは)5種類の"きのこ"。
その5種類の「きのこ」英語で、Dictyphara, Velvet Shank, Chanterele, Mosaic Puff bull, Porcine mushroom でした。
勿論、ベトナム語も併記していますが、ベトナム語はサッパリ分からないし、英語でも分からない。
聞いたことがあったのは、ポルチーニだけ。
イタリア料理に出てきたような。
海綿状のえたいの知れない「きのこ」(これは上のどれ?)
茶色の「えのきたけ」もありました。

その後、空芯菜、豆腐、湯葉、タロイモ最後に麺。

お姉さんがころあいを見計らって上手に給仕してくれます。
私が食べている所を写真に撮ろうとしたら、皆お箸を置いて、テーブルから離れたので、右下の写真はお姉さんだけが写って不自然です。(笑)

きのこの種類の中に「松茸」があったので、その季節にもう一度いきたいですね。
(特に松茸が、他のきのこに比べて高くはなかったようでした)

ヘルシーだし、とっても美味しかったです。
話も弾んで、楽しい時間でした。
皆様、ありがとうございました。

お店の住所 44 Phan Dinh Phung


2006年7月27日(Thu)

タイ寺 タイ寺 水亭
タイー寺           水上人形劇をする水亭

歴史研究会の小委員会でタイー寺へ。
ハノイから南西へ35Km。ソンタイ省 チャオクオァイ県 サイソン社 サイ(柴)山に位置します。 

タイ寺は古い時代から地域の信仰の中心であったようです。
そして李朝期に徐道行(?-1116)が、この寺で修行をし、密教の秘術を通じて父の仇討ちをし、その後、李朝5代皇帝の神宗(在位1128-1138)に生まれ変わったという伝説があります。

<<上殿>>
徐道行 李朝5代皇帝の神宗
     徐道行         生まれ変わった皇帝の神宗

徐道行の未来 徐道行のマリオネットのようなもの(今は本物はこの場所には展示されておらず、写真がありました。)

<<中寺>>
護法 釈迦
いろいろ仏像があります。映画インドシナにも、ここが撮影現場になりこの護法が出たそうです。
右は、釈迦佛で「天上天下唯我独尊」と指差しているお釈迦様。

今年は旧暦7月が2回ある「閏月(うるうつき)」のある年です。
毎年、旧歴7月15日は、Pha Do Vhan Nhan という儀式があり、旧暦7月1日~15日まで、精進料理を備えるそうです。
今日は旧暦7月3日です。
精進料理 タイ寺 師堂

鶏肉や魚のように見えるのに、精進料理なので、一切、肉・魚は使われていないそうです。

供養の儀式 おぼうさん
今日は、お坊さんが沢山集まられて、このお寺の先祖の供養をしていました。太鼓や鐘がにぎやかでした。

サイ山の登山口の方に行く途中であった、荷馬車ならぬ荷牛車。
皆、首から背中の間に大きなこぶがありました。
牛 日天橋
   こぶのある牛           日天橋

裏山のロッククライミングのような登山(ハイキング)30分。
距離はさほどないのですが、傾斜が厳しいのと、岩がむき出しで、足を滑らせると大怪我をしそうなところです。
Nさんが、身軽に登られるので、私も挑戦してみました。
明日になったら、筋肉痛間違いなし!
頂上からの見晴らしは、登った充実感もあり綺麗に見えました。
降りるほうが怖かった。
歴史研究会ならぬ、ハイキング同好会でも入ったかと錯覚するほどハードでした。
岩山 岩山頂上よりの風景
  岩山を降りているところ  頂上から見えた風景


そして極め付けが・・・・「申光洞」と言う名の洞窟探検。
これは、NさんのドライバーさんとNさんがいなかったら、私は決して行くことがなかったと思われる洞窟。
何度も、途中で引き返そうかと思いながらついて行きました。
洞窟の中は、暗い(懐中電灯を持っていったけれど、)
地面が滑りやすくなっているので、最新の注意を払いながら進みました。
そしたら、前の方に光があり、近づくと30mぐらい上から光が差し込み、それがあたかも極楽への道のように見えるのです。
洞窟1 洞窟2 

何か凄い幻想的な雰囲気に包まれました。

この洞穴は、抗仏戦争の時、ホーチミン主席が共産党の集会を開き、秘密放送局を置き、士気を高めた所です。
(東郷仁著 「ハノイからの招待状」より)

岩山登りと洞窟探検の印象が余りに強く、凄く立派なお寺なのにお寺の方の印象が薄らいでしまうほどでした。









2006年7月20日(Thu)

今日はお昼から歴史研究会の小委員会。

Iさんという強力な新しいメンバーが加わりました。
以前ハノイに住まれていたときも、歴史研究会で活躍されていた大御所。
海外経験が豊富で流石、いろいろなことに詳しい。

そして、最近帰国され以前メンバーだったsayakaさんが、残していかれた本を頂戴したり、Sさんが管理してくださっている、歴史研究会の蔵書などいろいろ見せていただいたりしました。

本題の「歩こうハノイ6」に向けて、それぞれに割り振られたところを確認しながら、原稿のチェック・・・。
いろいろなことに話題が飛び、あっという間に時間が過ぎ、これはまた後日・・。

写真は、Sさんがおやつに出してくださった、台湾へ行かれたとき買ってこられた「茶梅」。梅干を砂糖と高山烏龍茶で煮ています。
口に入れると、ほのかなお茶の香りがする甘い梅干でした。
珍しいものをありがとうございました。

烏龍茶で煮た梅


大事な歴史研究会の活動をご紹介するのを忘れていました。

ベトナム日本商工会が年に4回出している季刊誌「Hoan Kiem」
歴史研究会が「ベトナム歴史の散歩道」という記事を書いています。
それが、発行されましたので・・
今回は「ドンダーの丘とベトナムのナポレオン阮文恵(グエン・ヴァン・フエ)」についてです。
歴史研究会のメンバーが順番で担当しています。
もし、お手元にありましたらご覧下さい。

ホアンキエム1 ホアンキエム2

 Hoan Kiem表紙     右半分:歴史研究会が寄稿したページ

それと、左半分には、「日本人学校新校舎建設報告」が掲載せれていました。
今は、大学の敷地内を間借りしての校舎で、運動場もないとお聞きしています。
10月の運動会は新校舎でできる予定だと書かれています。
早く完成すると良いですね。


2006年6月29日(Thu)

エキゾティカル1 エキゾチカル2

チビクロ777さ~ん。
先日のエステのお店で アロママッサージしてきましたよ。
シナモンオイルを選んでマッサージをしてもらいました。
とても気持ちよくて、・・・
(残念ながら、失神しませんでした)

いつものKさんが、今夜の飛行機で日本に一時帰国するので
朝から2人でエステへ・・・・
(寂しくなるな~ぁ。ちゃんとハノイ戻って来てね。
 待ってま~す。)

Kさんに黄色い西瓜とパパイヤを頂きました。
こちらで黄色い西瓜を食べるのは、初めてです。
やはり、こちらの西瓜らしくラグビーボール形でした。
美味しかったです。 ありがとう。
黄西瓜 パパイヤ



お昼から歴史研究会の小委員会で今日は、教会

ハンボット教会 Nhà Thờ Hàng Bột 
(トンドゥックタン通り。文廟少し南)
ハンボット教会

残念ながら、ミサの時間でないと中に入れないということで
外からだけの見学。
神父さんが不在で、修道院の女の子が話をしてくれました。
ここは聖パウロ修道女会。女性だけの修道院で約50人ほどいるそうです。

シスターのことをフランス語でMa Sœur マスール、
ベトナム語でsơという。(知らないことが一杯です。)
聖パウロ修道会の本部(ダナン)にあり、将来そこにシスターに
なるために勉強にいくそうです。
以前はここが聖バウロ修道会の本部でしたが、1975年の南北統一以後、
本部機能はダナンに移されたそうです。
(1975年の統一以降、共産党の政権下、宗教は抑圧されたと何かで
 読んだことがあります。現在はドイモイ政策で、自由なようです。)
 

聖マリア教会 Saint Mary
(ハイバーチュン道りに面している。)
聖マリア教会3 聖マリア教会1

ここも聖パウロ修道女会
約120年前に建てられたそうで、建物外部正面にキリストを抱いたマリア様の像があり印象的です。
教会内中央正面もマリア様の像がありました。
聖人の像も沢山ありました。
聖マリア教会 聖マリア教会5

シスター72歳 Vũ Ngọc Quyên さんが、写真を見せながら
活動している様子をいろいろ話してくれました。
ここの教会には12人のシスターがいて最高齢者は96才。

ベトナムキューバ病院の患者に毎朝夕、お粥やパンの炊き出しをしている。
ベト独病院(チャンティー通り)にも炊き出しを持っていっている。
毎月ほかの省へも出向き、貧しい人々のために施しをしたり、ライ病の患者が
生活する村(バクニン省など)を訪れたりしている。
というような活動内容でした。

Pơ muという香りの良い木や、ゾーの木の紙で作ったしおりや、
カードを販売して資金の一助としている。とおっしゃたので
少し買い求めました。

聖マリア教会 聖マリア教会6


  


2006年6月23日(Fri)

日本VSブラジル W杯 
AM2時から4時の放送でした。
昨日のパーティーの余韻を引きずりながら
仮眠をとり、目覚ましを合わせて応援したけど、
明らかに実力に差があり、どうしようもない感じでした。

朝のニュースで「日本 逆転負け」というタイトルを見て・・・
確かに日本が先に1点入れたけど、その表現は事実を
正確には伝えていないと思いました。

今日は、AM6時40分から「おはよう日本」の中の
「アジア&ワールド」でベトナムを紹介
すると
先日お会いしたNHK支局長のNさんにお聞きしていたので
サッカーの後、再び、目覚ましをかけ、仮眠。

TVの内容は、NHKのNさんが取材された、メコンデルタで
「なまず」から取れる大量の油を、燃料として研究開発し、
現在、煉瓦工場で使用されている様子が、写しだされていました。

以前、スーパーで冷凍の魚鍋セットを買って帰って、
裏を見たら「CATFISH(キャットフィッシュ)」と書かれていて
辞書で調べたら、「なまず」だったので驚いたことがありましたが・・・
確かに、冷凍の魚の顔に髭が・・・・


●そして、9時30分から12時
月に1回の歴史研究会
講師に番組コーディネーターの小松みゆきさんを
お迎えして「100年前の越南と日本・10年前の日本とベトナム」という
タイトルでお話を伺いました。

○NHKで先ごろ放送されたBS特集「アジアの希望と失望」で、
 小松さんが取材した100年前の東遊運動。
○この10年間のベトナムの様々な出来事や、ハノイの街の変遷、
 日本でのベトナムブームなど。 
歴史研究会

いろいろなお話がありましたが、
2001年6月に小松さんがベトナムから入れられた
「地球ラジオ」のベトナムリポートは、面白かった。
「なぜ、ヘルメットをかぶらないのか」

当時、政府が、ヘルメットの着用を義務付けたのに
ヘルメットは、輸入に頼っていたので数量的に間に合わない。
そこで、国内生産に入った。
しかし、ヘルメットをかぶるとクラクションの音が
聞こえないなどの、不良品のヘルメットが沢山でまわった。
規格に合格したものにだけ、合格シールを作り貼ることに・・
すると、今度は、合格シールの偽シールが登場する・・・・
ベトナムのいい加減さが良く現れているとおもいます。

現在2006年6月なので5年経過していますが、
ヘルメットをかぶっている人は、ごく少数です。
この暑い国で、ヘルメットをかぶるのは大変でしょうが、
安全を考えるとやはり必要でしょうね。

大盛況で、こちらの予想していた人数の倍以上来られ、
資料のコピーや座る椅子、お茶など、全てが足りなくて
慌てて手配に走っていました。

皆さん、わざわざ足を運んで頂きありがとうございます。


2006年6月9日(Fri)

ディンチェム1 ディンチェム2

「6月9日から3日間、ディンチェムのお祭りがある」という
Sさんからの情報で、歴史研究会では、木曜日の集まりを金曜日に
ずらして、このお祭りを見学しました。

まず、ドラゴンダンスを奉納してから、船に乗り込みます。
幸運にも、村の人たちと一緒に、船に乗せてもらうことができました。
(このお祭りの船に乗った初めての日本人かも・・・・)

船上でドラゴンダンスや、かわいい女の子達の踊りが、
おじいさんの楽団に合わせて行われました。

紅河の中央で水を汲みそれを祭壇にお供えするお祭りです。
この聖水で、後日、木像や工芸品を清めるそうです。

汲まれた水は、陶器の3つの壷に入れられ、鎖で吊り下げて
運ばれました。
そして、ディン(ティム村の鎮守兼集会所)に戻って、
楽士たちの打ち鳴らすにぎやかな音楽と共に奉納の儀式が行われました。
聖なる水の奉納を真近で見せてもらうことができました。

ディンチェム3 ディンチェム5
船上でのドラゴンダンス    少女たちの踊り

ディンチェム4 ディンチェム7
楽士のおじいさんたち     聖水を鎖のついた陶器の壷に入れて運ぶ

ディンチェム8 ディンチェム9
ディンにもどり、聖水奉納の儀式

このディンの後宮には、BC2世紀に活躍したリーオンチョンが
妻と子供6人と共に祀られています。

チェム村の観光課の人が、「リーオンチョンの像が中国のほうを
向いている」と話していました。
「確かに北向きに建っている亭や神社はほとんどないように思います。」
とSさんから、後でメールを頂きました。(流石!)

後宮は、聖域のため写真を撮ってはいけませんでした。

ディンチェム6

大きな門の左側に白い象と象使いがいます。
リーオンチョンがこのような象に乗り戦ったそうです。

このディンは河と堤防の間に建っていて、洪水から村を
守ってきたと信じられているそうです。

1990年に国の史跡として公認されたそうで、5年に1度
大きなお祭りになり、昨年がそうだったようです。

多くのお祭りが春行われるのに、夏にするのは暑くて大変そうでした。
聖水を運ぶ人たちの衣装が、白のシャツに赤の膝までの巻きスカートの
ような感じで印象に残りました。
他のお祭りをいくか見ましたが、この服装を見るのは、初めてでした。
何か意味があるのでしょうか。
色彩的には、日本の巫女さんと同じですが。

このお祭りは、旧暦5月14日15日16日に行われます。
朝8時スタートでした。






2006年6月4日(Sun)

道教儀式絵2 道教儀式絵   
    左側の「星の精霊」   右側「控えの精霊」     

 ハノイ美術大学で「ベトナム北部少数民族の儀式用絵画」の展覧会があり、少数民族の文化と宗教に焦点を合わせ、300点ほど出品されていました。
 もともと道教は2000年前、中国で起こり、ベトナムにもたらされそうです。現在ベトナム民族の殆どを占めるキン族の文化は、道教がオリジナルの状態ではなく、仏教、儒教と混じっていて、もう、絵画は使われないません。
 しかし、ベトナム北部山岳民族 Yao,Tay,Nung,San Diu,Cao Lan,San Chi Kho Mu族は、今も道教の儀式のとき、導師により典礼用絵画を用いて行われ、精霊信仰と霊魂の存在を信じて、護符として聖なる絵画を創りだしているそうです。
キャプションはベトナム語と英語ですが、絵の中に漢字があって、何の神様だか分かるものもありました。
 これらの絵を見た時、赤色が多く使われているよう感じましたが、これには理由があり、儀式は蝋燭やランプを使い、暗い室内で行われるためだと図録に書いていました。写真のフラッシュ撮影はOKでした。
 この展覧会は、この後、東京、シンガポール、ニューヨークを回るそうです。

道教儀式絵1 道教儀式絵
 神からの4人の使い

道教儀式用 道教儀式用 仮面

 この展覧会は、新聞の記事に載っていたとSさんからお聞きしました。
新聞にはHanoi Fine Arts College で開催とかかれており、住所が記載されて無かったのです。
知り合いのベトナム人が、私がSさんからお聞きした場所を言うと、「それは、UniversityでCollegeじゃない。」と言って、全く別の場所へ。
 当然そこで展覧会は無く・・・・、
 この展覧会はどこであるのか聞くと、入り口の関係者が言ったことには、「昨日その展覧会は終わった」・・・・・ よくそんな口からでまかせ言えるよね。


2006年6月1日(Thu)
 今日からブログに変わります。うまくできるか心配!

 占いのコイン お供えの豚
      占いのコイン         お供えの子豚

今日は歴史研究会で、徐道行 (Tu Dao Hanh トゥ・ダオ・ハイン)ゆかりのラーン寺 昭禅寺(chieu thien tu)へ行きました。
 この辺は、昔イェンラーン(安朗)と言う村で、通称ラーン村と言われていました。創建は12世紀前半に遡ると伝えれれ、多くの仏像と徐道行(?~1116?)などが祀られています。

 徐道行 (Tu Dao Hanh トゥ・ダオ・ハイン)はラーン村で生まれ、タイー寺で神秘的な力を授かりました。後に李朝(1010~1225)第5代皇帝神宗皇帝(在位1128~1138)として生まれ変わったと言われている、ベトナムでは有名な人です。
 一番奥の徐道行の像は、徐道行の命日、旧暦の3月7日しか見られないそうで、扉が閉まっていました。残念。

 でも、思わぬ光景を見ることができました。
ベトナム人の1家族が、占いをしてもらっていました。
子豚の丸焼きをお供えし、周りに赤い蝋燭を何本も立てて、白い服をきたお坊さんと共に本殿に向かって床に座り祈りを捧げ、その後、占いをしてもらいます。
 その占いと言うのは、お皿の上に、古いベトナムコインを2枚投げ、それの向きと重なり具合で吉凶を占うそうです。そしてそれは、良い目が出るまで、何回もしても良いそうです。(さすがベトナムらしい)
 一番良いのは、2枚のコインが幾分か重なって、上になる方が表を向き、下が裏を向いている。そして一番悪いのが、2枚が離れていて裏を向いているのだそうです。これは道教の影響らしいです。

色色空空 ラーン寺
ラーン寺の壁「色色空空」      ラーン寺
「色色空空」は日本の「色即是空」の意味だそうです。


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