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2005年7月~2006年11月 ベトナムのハノイに住んで、ベトナム生活を満喫しました。 帰国後は、身の回りのこと少し更新しています。良かったらお付き合い下さい。
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2006年8月24日(Thu)

歴史研究会小委員会で「ハノイ城」ゆかりの建物をめぐることになりました。
8月8日、北門を見てから行きたいと思っていたところでした。

1010年、ベトナム最初の長期王朝リー(李)朝の初代皇帝リータイトー(李太祖)は、都をタンロン(ハノイ)に定めました。
その後、グエン(阮)朝時代(1802-1945)の1831年、第二代ミンマン(明命)帝により、首都をハノイからフエに移します。
その時、ハノイを一地方都市とするため、タンロンはハノイと改名され、ハノイ城の規模を縮小したそうです。

2000年、タンロン(ハノイ)遷都990年を記念して修復が行われ、部分的に一般公開され始めました。

北門 Cua Bac
北門 北門の中
  北門「正北門」      門の下 幅16mあります。

北門の上 英雄二人
門の上に上がると、「義烈英雄」と書かれた扁額と共にフランス軍からハノイ城を守った、Hoang Dieu ホアンジェウとNguyen Tri Phuong グエンチーフォンが祀られています。
北門を挟む南北の道路の名前に二人の名前が付けられています。



龍の家
2005年2月~5月の期間限定で、一般公開していました。
現在は一般公開はしていません。
今日は、特別見せていただくことが出来ました。(ラッキーです)
かつて皇帝たちが居を構えた「敬天殿」のあたりです。
龍のヘソ地図 グエンチフォン通りの門
軍事施設があったためこれまで公開されませんでした。
右は、グエンチフォン通り門のです。

門を入って真直ぐ進むと、1467年に造られ、1枚の大きな岩から掘られた龍の階段があります。
ここで皇帝と一般市民が隔てられていたそうです。
龍の階段 龍の家
    龍の階段          龍の家
今はありませんが、敬天殿のあった場所です。
龍の階段を上がった奥にある建物で、フランス植民地時代フランスの本拠地でした。龍の階段があったことから龍の家と呼ばれていました。

龍の家の中に、秘密基地があります。
突然あらわれた地下への階段を降りると、地下には2つの会議室がります。ベトナム軍の所有になってから、ソ連の支援により造られた地下壕だそうです。
巨大扉はソ連製で二重になっていてちょっと怖かった。
また、地下室から、地下道が掘られ、17km先のハドンの街まで繋がっているとのことでした。本当に秘密基地!!
地下階段 ソ連製扉
HAM D67と言う部屋 地下の階段 ソ連製扉

地下会議室大 秘密の地下道
 地下会議室大      ハドンへ繋がる地下道入り口

地下から上がってくると
地上の会議室 展示室
会議室 テーブルの上にはヴォーグエンザップ将軍のプレートもありました。
ベトナム戦争の当時の戦略図や写真の展示をしていました。



端門 Doan Mon
ハノイ城の一番内側には、宮城と呼ばれる皇帝一族の住居があり、壁で囲まれた宮城のただ1つの南側にあった門です。
端門1 端門2

端門3 端門4
発掘現場が見学用に保存されています。
(ボウフラが一杯、水たまりにいました。)
両端の入り口から上がっていくと更に上部へ行く階段があり、ガラス戸をスライドさせて上に出ることができます。
この階段、上に行くほど幅が狭くなりっているので、目の錯覚で、実際より高く見えます。(このことを教えてくれたのはK2さん) 

植え込みがベトナム国の形をしていました。
端門5      



後楼 Hau Lau
敬天殿の後ろ(北)に位置した楼閣だったことから後楼と呼ばれています。
19世紀グエン(阮)朝時代、皇帝が都フエからハノイを訪れた時、敬天殿に宿泊し、随行してきた側室や女官がここ(後楼)に詰めていたそうです。
後楼1 後楼4

左の写真は、地下深くから発掘された柱の礎石。蓮の花びらが掘られています。
右の写真は発掘されたレンガ。
後楼2礎石 後楼3



●近くにある建物
計画投資省 レーズアン氏の家
    計画投資省       レーズアン氏の家
 
このあたり、軍関係の建物も多くあり、植え込みに銃をもった兵隊が立っています。
写真を撮る時は、ご注意ください。
(いきなりシャッターを押すと、怖いことになる恐れがあります・・)

 

●その後、歴史研究会が発行している「歩こうハノイ」の追加コピーを引き取りに寄りました。
ページが欠落していたり、逆さに入っていたりするので、皆で、チャックしました。
歩こうハノイ1 歩こうハノイ2
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