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2005年7月~2006年11月 ベトナムのハノイに住んで、ベトナム生活を満喫しました。 帰国後は、身の回りのこと少し更新しています。良かったらお付き合い下さい。
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お盆で、吉野の実家に帰省しています。

夕方、“ひぐらし”のカナカナ カナカナ・・・と
物悲しい鳴き声を聞いていると
夏が過ぎて行くのを感じます。
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お久しぶりです。近況です。

やっと 吉野の桜もほぼ散りました。
今年は、例年になく寒かったので、桜の開花がいつもより
1週間~10日おそく、上千本の桜は、昨日でもまだ少し残っていました。

4月になると、平日は大阪市内で仕事、
週末は、吉野の手伝いと忙しくしていました。
いつも体力勝負です。

祖母は、昨年10月で100歳となり、元気に暮らしています。

父は、TVで吉野雛が紹介されて、なお張り切っています。

私は、少々疲れましたが、今週末よりドイツに行く予定です。
(遊ぶときは、いつも元気! また、体力勝負の旅行です)


突然、ブログを更新したのは、
6ヶ月以上使っていないブログは、閉鎖すると連絡が来たので
更新してみました。

また、何か 更新するかもしれませんが・・・・次回に


吉野雛 本

父が造っている吉野雛が、雑誌に紹介されました。



毎年の事ながら・・・・桜の時期になると、なんとなく 
そわそわして 心が浮き立ってきます。

特に風に舞いながらの 散り際の美しさや はかなさは、
心奪われるものがあります。


桜満開を喜び感謝する法会が、花供懺法会(はなくせんほうえ)です。

毎年4月10日は、千本搗きといわれる餅搗き。
11日 12日は、大名行列が、上千本の竹林院から蔵王堂まで練り歩きます。

行列は、山伏の法螺貝の合図で始まります。
露払(つゆはらい)、法螺(ほら)、奴(やっこ)、稚児(ちご)、
鬼、僧侶、法螺、管長の駕籠と続きます。

花会式1 花会式2

露払(青い法被を着た人)は、「下に~。下に~。」と言いながら、
先頭を進みます。
細い道の両脇に観光客が張り付いた状態になり、移動できなくなります。
行列を、横切る事ができません。

花会式3 花会式9
奴踊りをしながら、進みます。
「えん よ~いとなぁ~。あら よやまかしょ~。
 あら、さっくらさの さぁ~」と言いながら・・
このように 聞こえるのですが、正しいかどうか 分かりません。

花会式4 
花会式5 花会式6
お稚児さん

花会式7 花会式8

実家の前を行列が通りますので、写真を撮りました。

蔵王堂の境内に着くと、大護摩供があり、餅撒きをして終ります。


中千本 観光車道から
満開の中千本            観光車道から、蔵王堂を撮りました


12日は、朝から雨となり、大名行列は中止になりました。
蔵王堂での行事は行われるそうです。


吉野山の今年の桜

吉野山 吉野山

吉野山 吉野山

山桜は、葉が花より先に出ます。     修行僧の托鉢


いよいよ 桜の季節。

金曜日 仕事が終わったら、そのまま実家の吉野山へ。
土日 手伝って、また、平日は大阪で仕事・・・
という、1か月が始まります。

両親と祖母(明治生まれ)の3人で店をしているもので
春になると 手伝いに帰っています。

体力勝負!

吉野山に着いたのが 夜 暗かったので分からなかったけど、

なんと・・もう・・東南院の早咲きの しだれ桜が満開!!!

吉野山2010 吉野山2010

吉野山のほとんどの桜の 山桜も 何本か 3分咲き。

吉野山2010 吉野山2010


今日は、朝 冷え込んで、薄氷もはっているのに・・
桜が咲いています。

お客さんは、ほとんど通っていませんが、
桜は、凛とした空気の中、咲いています。


昨日は、蔵王堂の管長さんの晋山式でした。
吉野山2010 吉野山2010

いつもの年より、1週間から10日は、早い桜です。
来週あたり 暖かくなると一気に満開に なるかもしれません。


吉野の父が造っている 桜の木彫りの「吉野雛」。
それを紹介したくて、2003年にホームページを作りました。

今回、お客様から吉野雛のご注文を頂き、
お送りさせていただきましたら、

長い間 大切に持っていて下さっているメールを 
お嬢様から頂戴しました。
ご紹介させてくださいね。


『早速吉野雛を送ってくださってありがとうございました。
綺麗な桜の懐紙と絵葉書も添えてくださり、明日病院に居る母に
見せるのが楽しみです。

大正15年、大阪で生まれた母は、小学生のとき林間学校で吉野に来て
お小遣いで吉野雛を買って、奈良へ嫁ぐときも持ってきて、
今も大切にしています。

数年前、父と三人で吉野へ行ったとき、太田さんのお店で
懐かしいお雛様に再開。
色鮮やかでひとまわり大きくなった同じデザインのお雛様(小)を
頂きました。

今年一月に脳出血で入院して、記憶に混乱が見られるようになりました。
自分に起きたこと、場所や時がわかりません。 
元気だった母に起こったことが哀しくてたまりません。 
なのに、ある朝、
「ずっと考えてたんだけれど、お見舞いに来てくださった○○さんに
吉野のお雛様を、、、」と言いました。
昨日、家にある古いお雛さまと数年前に買ったお雛さまを病院へ
持っていきました。

子供のときの記憶、三人で訪れた太田さんのお店、全てはっきりと
話せました。
お食事をご一緒していた患者さんたちも、このお雛さまを
とても喜ばれました。
男の方も、85歳の方も、、、、。
お守り雛が母と、母の周りの病む方々に喜びを運んできてくれますように、
心から願っています。

今も可愛いお雛様を作ってくださっていて、本当に良かった。
どうぞお身体お大切に、これからも、人々のお守りになるお雛さまを
彫り続けてくださいますように。
ありがとうございました。』


蔵王権現さんが、桜の木で造られていて、皆を守ると言う事から、
桜で彫られた小さい吉野雛も、守り雛として昔から伝わっています。

入院中のお母さんの心に届いた「吉野雛」。
本当に嬉しく思いました。
どうぞ、少しでもご体調が良くなられます様にお祈りします。

父も最近は年齢を重ねて、彫るのが辛いことがあるようですが、
体力が続く限り、造り続けると思います。
(桜の木は、堅いのです)

数日前から 東京で行われている奈良県物産展にも、
吉野町商工会からの依頼があり、出展したようです。


花燈火1 花燈火2

8月13日14日15日吉野桜燈火がありました。
点火19時~消灯21時30分 。
地域の人や、ボランティアが、道の両側にカップや行灯を並べ
ろうそくに火をつけます。

4000本のろうそくが山中の軒並みに優しく揺らめきます。

花燈火3 花燈火4

14日は19時から蔵王堂境内で「権現祭、踊らん会」が開催されました。
盆踊り、夜店、ゆかた美人コンテストなど。
暗くて、美人かどうかはわかりにくかったですが・・・

花燈火5 花燈火6


26日 実家に荷物を届ける用事があり、日帰りで吉野山に行ってきました。

この時期は、いつもは閑散としている下千本駐車場が、満車。

吉野山 吉野山2

「山岳グランフォンドin吉野」のゴールになっていました。
マンテンバイクでの大会があったようです。

皆、かっこいいウエアーを着て、サングラスにヘルメット姿の方が
大勢、ゴールされたところでした。


車を停めて周りを見ると・・・・
住んでいるときは、不便がいやでしょうがなかったのに・・・

ちょうど雨があがり、折り重なる山の間を霧が上がっていく様子や
雨上がりの山のにおい、鳥のさえずり、ヒグラシの鳴き声、心が癒されました。


毎年7月7日 吉野山では、蛙飛びという行事があります。
蛙とび行事は、大青蛙を乗せた太鼓台が蔵王堂へ練り込み、
法要の後、蛙飛びの作法が行われ、最後に導師の授戒によって
めでたく人間の姿に戻ります。

役行者が産湯をつかったと伝えられる大和高田市奥田にある
弁天池の清浄な蓮の花108本を蔵王権現に供える法会です。

知り合いのSさんが、吉野山に行ってこられて、
送って下った写真です。

蛙飛び 蛙飛び

蛙飛び 蛙飛び
 
民話が残っています。

昔、役小角(行者)の母(刀良売)が、奥田の蓮池で病気を養っているとき、夏のある朝、池の中にまつってある神社に詣でると、白い蓮花が咲いていて、その葉には金色に光った蛙がいました。刀良売は、一本の篠萱を引き抜いて、何気なく蛙に投げつけたところ、それが蛙の目にあたって、目を損じてしまいました。さして、池の中に逃げた蛙は、もとの土色の蛙となって浮いてきました。そして五色の霧も消えてなくなり、一茎二花の蓮も、もとの蓮になってしまいました。それから、この池の蛙は、一つ目であるといわれています。また、この池の蓮は、一本の茎に二個の花をつけた蓮であったので、めでたいとの前兆ではないかとして、朝廷に献じられたこともあったそうです。この異変ののち、この池は捨篠の池と命じられたといいます。
 刀良売は、それから病気が重くなり、42歳で亡くなりました。母を亡くした小角は、心に誓って修験道をひらき、吉野山に入って蔵王権現をあがめ、蛙をまつって追善供養をしました。
 以来、毎年7月7日は、吉野の山伏が奥田の行者堂にやって来て、香華を献じ、蓮池の蓮(108本)を摘み、それを大峰山中の拝所に供える蓮華会がおこなわれます。また、この日、吉野の蔵王堂では、「蛙飛び」行事がおこなわれます。             「大和高田市史」より



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