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2005年7月~2006年11月 ベトナムのハノイに住んで、ベトナム生活を満喫しました。 帰国後は、身の回りのこと少し更新しています。良かったらお付き合い下さい。
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2008年12月30日

・ナイルエキスプレスで早朝ギザ駅に到着

ナイルエクスプレス8
朝食(炭水化物がメイン)

ギザ駅1 ギザ駅2
エジプト人はホームからホームへ線路をまたいで荷物を手渡ししていました。
きっと列車の本数がそんなに多くないのでしょう。

ここから、すぐバスに乗り、地中海沿岸のアレキサンドリアまで移動です。(ちょっとキツイかも)


・アレキサンドリア 

アレキサンドリアは紀元前4世紀、アレクサンドロス大王によって建設された街です。
その王朝の最後の女王がクレオパトラはあまりにも有名です。

エジプトの人達の夏の避暑に訪れる場所だけあって、
冬(今)は寒い・・・・。

・コームッシュアーファーのカタコンベ

カタコンベ1 カタコンベ2
今まで見た石棺とはずいぶん違い、レリーフがギリシャ風です。
蓋の間に隙間があり、その中に小さいお皿が沢山入っていました。
先祖に供物を備えたあと、その皿も、持ち帰らずそこに残すそうです。

中は撮影禁止でした。特にここは、バスの中にカメラを置いて行くよう
ガイドから指示がありました。
カタコンベとは古代の地下の墓所のことで、門を入って奧に、
庭に井戸のような入り口があり、階段を下りて行きます。

一番奥まったところに小さな部屋が3つコの字ようになっていました。
この時代は、名前を彫らなかったので、誰のお墓かわからないそうなのですが、
王家の谷で見たものと同じ、レリーフが描かれていたりするので、
クレオパトラとシーザーとその息子の3人の墓ではないかと、現在
調査中と言うことでした。

地下には後の集合墓地になった穴も沢山ありました。


・ポンペイの柱

ponnpei  ポンペイの柱

小高い丘の上に建っています。
ローマ皇帝ディオクレティアヌス帝が建てた図書館の柱の1本と言われ、
高さ27m、アスワンの赤色花崗岩で出来ているそうです。
ガイドさんの話では、誤解から生まれた呼び名だということでしたが、
人物の関係がよくわかりませんでした。
地下に洞窟があり、図書館だった?通路が何本もありました。


・カーイトゥベーイの要塞

カイトウベイ要塞1 カイトウベイ要塞2

15世紀スルタン・アシュラフ・カーイトゥーベーイによって建てられました。
現在は、海軍博物館になっているそうです。
時雨れてきて、波も高くとても寒かったですよ。


・アレキサンドリア国立博物館

2003年にオープンした博物館で、地下にはファラオの時代、
1Fはグレコローマン時代、2Fは近代とコプト教、イスラムについて
展示されていました。
フラッシュ無しの撮影が許可されていました。

国立博物館7 アレキサンドリア国立博物館1
                    アメンホテプ4世

国立博物館3 アレキサンドリア国立博物館

国立博物館4 国立博物館8
ミイラの臓器を入れるカノプス壺

国立博物館9 国立博物館5 
ハトホル神             海底から発掘されたものも沢山ありました。

国立博物館6 国立博物館10
1Fはグレコローマン時代         2Fは近代とコプト教

また、バスに乗りカイロまでもどりました。


・ナイルクルーズ 船上でベリーダンス

夕食は、ナイルクルーズしながら、船内でベリーダンスを見ます。

ベリーダンス
腹部(belly)の特徴的な動きからベリーダンスと言われています。
名のある踊り手は、とっても高給取りだそうです。

タンヌーラ (スーフィーダンスの名前でも知られる旋舞)
タンヌーラ
ドーナツ状のスカートをくるくる回しながら上下に移動させたり、
頭にかぶったり、とっても技術がいりそうな踊りでした。

最初のパンフレットの案内では、アレキサンドリアは最終日で、
そこから帰国の予定でしたが、その日の便が無いと言うことで
日程が入れ替わりました。

ですから今日は、夜行でギザに着いた上に、
アレキサンドリア往復となりました。
カイロ市内は、交通渋滞がすごいです。
おまけに、夕食はベリーダンスのナイトクルーズだったので

盛りだくさんで 皆、ちょっと疲れ気味・・・。
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2008年12月29日

・ナセル湖から登る感動的な朝日

ナセル湖1 ナセル湖2

アブシンベル神殿の前で夜明けを待ちます。
(寒いので結構、着込んできました。)
ナセル湖から朝日が出てそれに照らされるアブシンベル神殿は感動的でした。


・アスワンハイダム

エジプトのナセル大統領がソ連の支援を受けて、1960年に起工、その後
完成まで10年以上をかけてアスワン・ハイ・ダムが国家的事業として
建設されました。
高さ111m、全長3,600mの巨大なダムです。

アスワン・ハイ・ダムの完成によって、毎年のように起こっていたナイル川の
氾濫を防止し、水力発電で大きな電力を供給も可能になりましたが、
ナイル川の生態バランスを破壊したなどの批判もあるそうです。


アスワン1 アスワン2
完成を記念した塔が湖畔に建てられています。

アスワン3 アスワン4
良いお天気で、気持ちの良い風が吹いていました。


・サハラ砂漠の砂

バスが砂漠の真ん中で停まり、添乗員の方が、
「ここの砂漠の砂は持ち帰ってもいいですよ」と言ったので、
皆、少しずつビニール袋に入れて持ち帰りました。
さらさらとして、靴の中にいっぱい入ってきます。
サハラ砂漠の砂 サハラ砂漠の砂
カイロでお土産に買った高さ10cmほどの小さなガラスの香水ビンに入れて飾っています。


・イシス神殿

フェイラ島は、古代エジプトの聖なる島とされていました。
イシス神がホルス神を生んだ島だそうです。

この島もアスワンハイダムのために水没するため、隣のアレギルキア島に1980年移転されました。
小さい舟で島に渡ります。
後に建てられた教会の遺跡もあって、コプト十字も壁に残っていました。

イシス神殿1 イシス神殿2

イシス神殿3 イシス神殿6

イシス神殿8 イシス神殿4 

イシス神殿5 イシス神殿7


・寝台列車(アスワン → キザ)

ナイルエキスプレス1 ナイルエキスプレス2
     アスワン駅             アスワン駅の構内

ナイルエキスプレス4 ナイルエキスプレス3
    アスワン駅ホーム             エジプト国鉄のマーク

ナイルエキスプレス5 ナイルエキスプレス6
左:寝台列車の中のキャビン 扉を開けると小さい洗面台が付いています。
右:機内食のような夕食が終わると、担当の乗務員さんが、
  手際よく座席の下にある簡易のハシゴを取り出し、2段ベッドに早変わり。
  
揺れましたが、思っていたより快適でした。


2008年12月28日

庭には花が咲き乱れ、ナセル湖も見渡せて、とても素敵なコテージタイプのホテルでした。

アブシンベルホテル ホテル2


・切り出しのオベリスク

オベリスク1 オベリスク2
何らかの理由で切り出しかけたオベリスクがそのままになっている
石切り場です。いかに大きいかがわかります。

石を切り出すときは、石に切り込みをつけそこに木のクサビを打ち込み
クサビを水で濡らすと、クサビの膨張により石が割れるそうです。

アスワンからアブシンベルへバスで3時間

アスワンの大きなターミナルに集まります。
テロがあって以来、ここからは、アブシンベルへ向かうバスや車は、
警察の警護の下、一列に固まって走ります。
私たちのバスは、一番最後だったので、バスの中の一番前の席に
長い銃を持った警察官が、乗り込みました。

毎日、バスの中は公平になるよう席替えがあります。
その日は、たまたま前から2列目。
私たちの前の席に、その警察官が座ったのでちょっと緊張しましたよ。

見渡す限り砂漠の中を1本の舗装された道路が貫いています。
バスで1時間半ほど走ったところで、蜃気楼が見えました。
蜃気楼
本当に水があるように見えるのです。
でも、その後バスが進み近づいても何もありませんでした。

道路の上を走っていても、何の目印もありません。
こんな所を、ラクダで旅をしていたら、本当に迷ってしまうかも・・・
と思うぐらい、砂漠の中でした。

・アブシンベル

アブシンベルは北回帰線を越えて、もう後、30kmでスーザンの国境です。
アブシンベル神殿は、アスワンハイダムの建設時に水没するため
ユネスコが国際キャンペーンをして、もとの位置より60m上に移動させたものです。

・アブシンベル大神殿

アブシンベル1 アブシンベル2

左:大神殿正面の4体のラムセス2世像は高さ20mもあり、その大きさに圧倒されるばかりです。
左から2つ目の座像は、元の場所でラムセス2世が建築して何年か後に
地震で崩れたもので、そのままの姿で移築してあるそうです。

右:巨像の上に、日の出を喜ぶ22体のヒヒの像が並んでいます。

中は撮影禁止でした。
大列柱室のレリーフは、ヒッタイトとの戦闘場面を描いています。
前室には、ラー神に捧げ物をするラムセス2世と王妃ネフェルタリのレリーフ。

神殿の一番奥にある至聖所には、4体の神像が並びます。
右からラー・ホルアクティ神、神格化したラムセス2世、
アムン・ラー神、プタハ神です。
春分の日と秋分の日には奥の神像に光が届きます。
一番左のプタハ神だけは、ほんの少し離れています。
この神には光があたらないそうです。

・アブシンベル小神殿

最愛の王妃ネフェルタリのために建てた神殿です。
正面にラムセス2世の立像4体とネフェルタリ2体
その足もとに子ども達の像が刻まれています。
内部のレリーフでは、ハトホル柱が印象的でした。

アブシンベル3 幸福の鍵
右:神殿の鍵で「幸福の鍵」と言います。

出口で「幸福の鍵」を持って写真を撮るよう薦められ、
後で、1ドル要求されました。
写真を撮らせてもらったチップと思えば良いのですね。

アブシンベル5
夕日を見ながら、いったんホテルに戻り、また、夕食後
「音と光のショー」を見にきます。


・音と光のショー

ライトアップされた神殿
アブシンベル6 アブシンベル7

ラムセス2世の生涯をアブシンベル神殿をスクリーンに見立てて映し出します。

アブシンベル8 アブシンベル9

音声ガイドもありましたが、ラッキーにも今回は日本人が多いということで、
スピーカーから流れてくる言語は日本語でした。
ちょっと寒かったけど、沢山着込んで見ていました。
壮大なショーで見ごたえがありました。


2008年12月27日

ナイル中流域

●ホルス神殿

エドフという街にあります。
塔門に刻まれたレリーフもとても大きな物です。

門の下に小さく見えているホルス神ですが、近づくと右の写真のように
人よりかなり大きい像です。
ホルス神殿1 ホルス神殿2

壁面のレリーフの保存状態が良い神殿でした。
レリーフは彫るほうが簡単なのだそうですが、ここのはレリーフが浮き出しています。
ホルス神殿5 ホルス神殿6

プトレマイオス朝のものだっそうです。

至聖所の手前の前室の天井が黒くすすけているのは、後にキリスト教徒が
台所として使ったためだとガイドさんが言っていました。

ホルス神殿4 ホルス神殿3



●コム・オンボ神殿

コムオンボにあります。地名はアラビア語でオリンポスという意味だそうです。
プトレマイオス朝に建てられ、ローマ皇帝アウグストス時代に完成し、
ギリシャ的な印象を受けます。

コム・オンボ1 コム・オンボ2

コム・オンボ3 コム・オンボ4
右:王は、この井戸でナイル川の水位を確かめたそうです。


●ファルーカでナイル川セーリング

ファルーカ1 ファルーカ2

アスワン近くのナイル川でファールーカというエンジンなし小船に乗りました。
この辺は、ヌビア地方と言い、色黒でちぢれた髪をもつ人が増えます。
エジプトに支配されていましたが、独特の文化とヌビア語をもつそうです。
(話し言葉だけで、文字が無いとか・・)
舟を操っていたヌビア人の人が、タンバリンのようなものを叩きながら
ヌビア語の歌を歌ってくれました。

・昼食

ダーゲン ミックスジュース

左:エジプトシチューのダーゲン(魚・牛・鶏)から選びます。
右:ミックスジュースを注文したら、3層に分かれたジュースがきました。確かにミックス。

レストランで
レストラン入り口で手作りのものを売っていました。

アスワンまで移動

1年前のガソリン代は、1Lが20円だったのが、今は1Lが35円だそうです。
値上がりしたとは言え、日本より遥かに安いですね。

・アスワン

・ヌビア博物館

夜9時まで開館していましたので、アスワンにあるホテルにチャックインした後、
フリータイムにゆっくり見ることができました。

ユネスコの援助で1997年オープンした博物館で、ヌビアの視点からの歴史や、
アブ・シンベル神殿の移築作業の模型もありました。
ヌビア博物館1 ヌビア博物館2

ヌビア博物館3 ヌビア博物館4


2008年12月26日

ナイル川西岸へ

西岸は死者のための街です。

・メムノンの虚像

メムノンの巨像2 メムノンの巨像2
 2体の巨像                側面にもレリーフ

新王国時代 アメンホテプ3世のもの。
もともとは後ろに、葬祭殿がありましたが、後の王たちが石材として使用して、破壊されたそうです。

・ハトシェプスト女王葬祭殿

トラムに乗ります。
ハトシェプスト1 ハトシェプスト2

エジプト初の女王ハトシェプストは、夫トゥトモス(トトメス)2世の死後、幼かったトトメス3世の摂政となり、自らもファラオになりました。

ハトシェプスト3 ハトシェプスト4

ハトシェプスト5 ハトシェプスト7

ハトシェプスト8 ハトシェプスト6
レリーフの色がこんなにきれいに残っているなんて、感激です。


●王家の谷
全部で60を超えるお墓がありますが、現在公開されているのは
10数箇所です。お墓の中は撮影禁止です。

王家の谷1 王家の谷5
NO.62 TOMB OF TUT ANKH AMUN ツタンカーメンの墓(別料金)の
入り口でここから階段を降りていきます。
ここにあるお墓は、すべて新王国時代に岩を彫って造られたものです。

玄室には石の棺があり、その中には人型棺、さらにその中にはツタンカーメンのミイラが眠っています。

この墓は、1992年にイギリス人考古学者、ハワードカーターによって発見されました。
後に、発掘のようすが「ツタンカーメン王の秘密」という本になり、
私が小学生の時、読んだのです。

ファラオの中でも規模が大変小さく、王家の谷のどこに埋葬されたか
という記録も残りませんでしたので、その上にラムセス6世が知らずに
お墓を作ったため、盗掘をま逃れたようです。

発掘された副葬品は、2009年1月1日に行くカイロ博物館にあります。

王家の谷2 王家の谷3
              ラムセス1世

王家の谷4

ラムセス1世とラムセス9世は王家の谷に入るチケットで入れました。

どうしてもラムセス6世のお墓の中を見たかったので、集合時間を
気にしながら、チケット売り場に走りました。

幸い、別料金のためか、知名度がちょっと低いためか、大変人が少なく
スムーズに見ることができました。

ラムセス6世のお墓の場所は、ツタンカーメンのちょうど上にあります。
暗青色で表された夜空と黄色で描かれた神々と人々のコントラストは、とても印象的です。
天井部分いっぱいに弓なりに天空の女神ヌトが描かれています。
女神ヌトは、毎日西方の空のかなたに沈む太陽であるラーを
自らの体内に飲み込み、翌朝再びラーを生みます。

●パピルス屋さん

パピルスの作り方を実演し、販売しています。
偽物はバナナの皮でつくるそうです。papirusu


●昼食

コフタ(細長いミートボール)
kofuta  kofuta2
そして、とてっても甘い甘いデザート。


●カルナック神殿

カルナック神殿1 カルナック神殿3
右:羊の頭をしたスフィンクス。その前に建つ小さな像はラムセス2世です。

カルナック神殿2 バネジェムの巨像

カルナック神殿4 カルナック神殿5

カルナック神殿の大列柱室は、創造を超える高さで圧巻です。
そして134本もあります。
ラムセス2世が進めた建築事業で、柱にはラムセス2世の即位名が
あちこちに刻まれていました。
王の名前は、カルツーシュと言って楕円形で囲まれています。

カルナック神殿6 カルナック神殿8
左:オベリスクが倒れ、その先端部分です。なんと大きいこと!
右:スカラベの像が上に乗っています。これを4回まわるとお金持ちになるそうです。

ちなみに、ラムセス2世は、120ぐらい子供がいて、90歳を超えて
長生きしたそうです。
今、ラムセス2世について書かれた本を、通勤の電車の中で読んでいます。


●ルクソール神殿

正面が第1塔門で、ここに2本のオベリスクが建っていましたが、
現在は1本だけです。1本はパリのコンコルド広場に建っています。

ルクソール神殿1 ルクソール神殿2
第1塔門ラムセス2世の1対の座像と2対の立像があります。

ルクソール神殿4 ルクソール神殿5

ルクソール神殿6 ルクソール神殿7

ルクソール神殿9 ルクソール神殿10
左:後にキリスト教が入ってきて、ここにフレスコ画を書いたのが残っています。

ルクソール神殿11 ルクソール神殿12

夕方から日没まで、ルクソール神殿をゆっくり過ごしました。
ライトアップされたルクソール神殿は神秘的です。


今頃ですが・・・
年末年始 エジプトへ

「ツタンカーメンの謎」と言う本を小学生のときに読んで以来、
ずーっとエジプトに行きたかったのです。

2008年12月24日
仕事を終えて、関空から深夜便でエジプトへ(ツアーです)
ドーハでトランジット
空港には見慣れない文字が
ドーハ1 ドーハ2

2008年12月25日 エジプトのルクソールへ

●●ルクソール(昔はテーベと言いました)

●ルクソール博物館

ルクソール博物館1 ルクソール博物館2

(館内撮影禁止でした)
テーベが全盛を誇った新王国時代のものが多いです。
トゥトアンクアムン(ツタンカーメン)の戦車や当時使われた弓矢などもありました。

パスタスープ タヒーナ
昼食は、スープの中に短く切ったパスタが浮いたもの
タヒーナというゴマペーストとバーバガヌーグという茄子のペーストなどをパンに挟んで食べます。


・スーク(市場)

入り口付近は、観光客相手の店が多く、奥に入って行くにつれて生活に密着した感じになります。
「カカクハカイ(価格破壊)」「ワンダラ(1ドル)」とか日本語で
しきりに客引きをしていました。

スーク1 スーク2

スーク3 スーク4
砂で絵を描きます。

スーク5 スーク8
左:パン売り(昼食で食べたのと同じで、いろいろ挟むようです)
右:間口180cmほどのところに、肉を2つ下げて売っています。
   店番は手前のおじいさんのようです。

ファルーカ サンセット
ナイル川を下るファルーカ       ナイル川に夕日が沈みます

今日は早めにホテルに入ってゆっくり
思わずKさんから電話をいただきました。

ホテルの裏はナイル川で、今日は夕食まで自由時間なので
しばらく、ナイル川にゆっくり沈む夕日を眺めていました。

夕食は
ダーゲン ステラビール
     ダーゲン             甘いジュースとステラビール


 四国八十八カ所日帰りバスツアー 3回目

11月29日(土)に3回目の四国八十八箇所日帰りバスツアーでした。

今回は、13番→車中で昼食→12番→14番→15番→16番

・第13番 大日寺 (だいにちじ)

本尊:十一面観世音菩薩
真言:おん まか きゃろにきゃ そわか
13番大日寺1 13番大日寺2


・第12番 焼山寺 (しょうさんじ)

本尊:虚空蔵菩薩
真言:のうぼう あきゃしゃ きゃらばや おん ありきゃ まりぼり そわか
12番焼山寺1 12番焼山寺2
  ゆずの絞り汁など販売        迷わないように「へんろ道」
標高800mの山腹にあるので、ここからマイクロバスに乗り換えて山に登ります。
  
12番杖
途中に衛門三郎(えもん さぶろう)霊跡として「杖杉庵」
(じょうしんあん) 銅像と杉があります。
衛門三郎さんは、四国八十八箇所にはとても有名なお話し(伝説)のようです。
■■■ (Wikipediaとリンクしています)

12番焼山寺3 12番焼山寺4          
マイクロバスをを降りたところです。

12番焼山寺6 12番焼山寺7

・第14番 常楽寺(じょうらくじ)

本尊:弥勒菩薩
真言:おん まい たれいや そわか
14番常楽寺1 14番常楽寺2

14番常楽寺3
「あららぎ大師」と呼ばれ、
木の枝分かれのところにお大師さんがいらっしゃいます。


・第15番 国分寺 (こくぶんじ)

本尊:薬師如来
真言:おん ころころ せんだり まとうぎ そわか

15番国分寺1 15番国分寺2


・第16番 観音寺 (かんのんじ)
本尊:千手観世音菩薩
真言:おん ばざら たらま きりく

16番観音寺1 16番観音寺2

先達さんのお話では、右のお地蔵様は、
子どもの夜鳴きに効果があるそうです。
そして大人も夜、良く眠れるようになると言われています。
私の場合、今でも良く寝るので効き過ぎると大変です。

お天気にも恵まれ、紅葉が綺麗なおへんろ道でした。


四国八十八カ所日帰りバスツアー 2回目

今回も観光バスツアーで7番から11番まで。
時間の都合で7番→8番→9番→11番→(バスの中でお弁当)→10番の順でした。

主人は、“南無大師遍照金剛”と書かれた「白衣」を着て
「輪袈裟」をかけ、“同行二人”と書かれた「さんや袋」を持って
段々、本格的ないでたちに・・・。

●7番 十楽時(じゅうらくじ)

本尊:阿弥陀如来
真言:おん あみりた ていせい から うん

四国7-1 四国7-3

四国7-2 四国7-4
治眼疾目救歳地蔵(目の病気に効くそうです)


●8番 熊谷寺(くまたにじ)

本尊:千手観世音菩薩
真言:おん ばざら たらま きりく

四国8-1 四国8-2

バスで行くと、山門を通り過ぎたところに駐車場があり、遠くからしか門を見ることができません。
仁王門の天井には、色彩豊かな天女が描かれているらしく、写真がありました。縮尺7分の1と書かれていたので、本物は大きいものなのでしょうね。

四国8-3 四国8-6

ご詠歌が流れていました。

四国8-4四国8-5



●9番 法輪寺(ほうりんじ)

本尊:涅槃釈迦如来
真言:のうまく さんまんだ ぼだなん ばく

四国9-1 四国9-2

四国9-3 四国9-4
足に効く仏様だそうで、ワラジが沢山供えられていました。

ご本尊頭は寝姿の涅槃釈迦如来像で、頭を北にして西を向いた寝姿です。
釈迦の入滅の姿を表しています。
秘仏で、写真しか見れませんでした。


●11番 藤井寺(ふじいでら)

本尊:薬師如来
真言:おん ころころ せんだり まとうぎ そわか

境内には藤が沢山植えら5月上旬が見ごろだそうです。

四国11-1 四国11-3

右の写真は12番の札所にいくお遍路道です。

四国11-2
白龍弁財天(金運が授かるそうです。ご利益ありますように・・)


●10番 切幡寺(きりはたじ)

本尊:千手観世音菩薩
真言:おん ばざら たらま きりく

小高い山の中腹にあります。
バスを降りた後、タクシーで行く人もいましたが、1km登り坂を歩くことに。

このお寺に伝わる伝説:
弘法大師がこの地を訪れた時、手甲や脚半が破れたため一軒の家を訪ねました。
娘は織っている途中の布を惜しげもなく切って差し上げました。
お礼に「何か望みはないか」と聞くと、娘は亡き父母のために観音様を
彫ってくださいと頼みました。
大師は一夜で千手観音を刻むと、娘を得度させ灌頂を授けました。
娘は即身成仏して千手観音に変身したという。
そこで弘法大師は千手観音を本尊として切幡寺を開創したと伝えられています。

四国10-1 四国10-2

布を持った美しい娘の像の前で。


四国八十八カ所 日帰りバス遍路ツアー 一回目。

どんなものかと、あまり信仰心もないままツアーに参加。
バスには、先達さんが乗っておられ、いろいろ説明してくださり、
行き帰りのバスの中では、朝と夕のおつとめ(般若心経などの読経)を
あげました。

お寺での読経では、そのお寺のご本尊のご真言を唱えます。
たとえば、1番 霊山寺は、本尊が釈迦如来なので
真言は「のうまく さんまんだ ぼだなん ばく」です。

服装も、「同行二人」と書かれた白装束で、袈裟を下げ
金剛杖を持っている本格的な方から、私のような普段着のままの人も
さまざま。

バスの中で、納め札の束を添乗員さんからもらい、
これに、住所・氏名・年齢を書き準備をします。

1番の霊山寺で納経帳やお蝋燭、お線香を買い、それにお寺で
御朱印をしてもらいます。

四国八十八カ所は、弘法大師が霊場として創設したといわれています。
今回は、徳島県にある1番から6番まで。
大阪から8台もの観光バスが出ましたので、ツアー会社の時間の関係で
私たちは、1番→6番→5番→4番→3番→2番の順で回りました。

いろいろマナーがあることも知りました。
1. 山門を一礼して境内へ いつも左側通行。
2. 手水を使って手をあらう。
3. 鐘楼で鐘を打つ(参拝後に鐘を打ってはいけない)
  (今回は一回も打つ機会がありませんでした。)
4. 本堂で、納札を箱に収める。
5. お蝋燭1本と線香3本を上げる。
6. ご本尊、弘法大師を念じ合掌し読経。
7. 大師堂も同じように参拝する。
8. 納経朱印をしてもらう(添乗員さんがまとめて預かってくれます)
9. 山門から出て一礼する。


1番 霊山寺(りょうぜんじ)

本尊:釈迦如来
真言:「のうまく さんまんだ ぼだなん ばく」

1番霊山寺2 1番霊山寺1
      山門                 発心門

1番霊山寺3 1番霊山寺4


6番 安楽寺(あんらくじ)

本尊: 薬師如来
真言: 「おん ころころ せんだり まとうぎ そわか」

本堂は鉄筋で再建されたものです。
6番安楽寺1 6番安楽寺2


5番 地蔵寺(じぞうじ)

本尊: 地蔵菩薩
真言: 「おん かかかび さんまえい そわか」

5番地蔵寺4 5番地蔵寺2

奥の院に五百羅漢があり、さまざまな表情の等身大の木像が並んでいました。

5番地蔵寺5 5番地蔵寺3
    たらちね銀杏  


4番 大日寺(だいにちじ)

本尊: 大日如来
真言: 「おん あびらうんけん ばさらだどばん」

4番大日寺1 4番大日寺2



3番 金泉寺(こんせんじ)

本尊: 釈迦如来
真言: 「のうまく さんまんだ ぼだなん ばく」

3番金泉寺2 3番金泉寺3
黄金井から霊水が湧いたため寺号を金泉寺と改められたそうです。
自分の顔が水面にはっきり映れば、長生きするそうです。

3番金泉寺4
弁慶が持ちあげたという伝説の石


2番 極楽寺(ごくらくじ)

本尊: 阿弥陀如来
真言: 「おん あみりた ていせい からうん」

2番極楽寺1 2番極楽寺2

2番極楽寺3 2番極楽寺4
    一願不動            おもかる地蔵
20Cmほどのおもかる地蔵さんは、持ってみて軽ければ願いが叶うそうです。
見た目相当の石の重みに感じましたが、願いが叶うといいですね。


2番極楽寺5
紅白のリボンに触ると、長寿になるそうなので、触れてきました。

第1回目 四国八十八ヶ所は無事終了しました。
 


暑中、お見舞い申し上げます


7月25日は 大阪天神祭
船渡御(ふなとぎょ)と花火を見に、源八橋付近へ。

天神祭1 天神祭2
大阪締め
「う (打) ぅちまひょぉ <ちょん、ちょん>
もひとつせぇ <ちょん、ちょん>
い (祝) おうてさんど (三度) <ちょちょん、ちょん~> 」を
行き交う船同士や、橋の上などの見物人と一緒に言ってエールを送っているようです。

日が暮れて5000発の花火

天神祭3 天神祭4

花火を写真に撮るのは、難しいですね。

交通規制をしていましたが、源八橋の上は凄い人でした。


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