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2005年7月~2006年11月 ベトナムのハノイに住んで、ベトナム生活を満喫しました。 帰国後は、身の回りのこと少し更新しています。良かったらお付き合い下さい。
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紅葉の盛りの高野山。
初めて宿坊に泊まりました。

部屋は内側からは、鍵がかかりますが、
外から閉める鍵がありません。
ということで、お風呂とか食事で、部屋を出るとき、
鍵をかけられないということになります。

セイフティー ボックスがありましたので、
お財布はいれましたが、鞄は入りませんから
ちょっと心配でした。

もちろん 何も起こりませんでした。
性善説ですね。
海外では、ちょっと考え難いことです。

翌朝6:00から朝の読経、法話があり、
参加は自由でした。

何も持たずに、興味だけで参加しましたが、
半分ぐらいの方が、お数珠とお賽銭をもって
いらしゃいました。
ここは、お寺でした。(忘れていました)

お決まりの「奥の院」と「金剛峯寺」も行きました。

奥の院と言えば、学生時代の合宿で
夜の肝試しは、本当に怖かったことを思い出します。
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昨日は、職場の小豆島へ日帰り親睦会でした。

朝、6:00家を出て、帰ったのが21:40。
とってもハードスケジュールでした。

姫路からフェリーで100分。小豆島、福田港へ。
フェリーに乗ると、すごく、遠くまで旅行に来た気分です。

穏やかな街で、お醤油の匂いが、通りを歩いていても
漂ってくるし、
オリーブの木が、沢山植えられていて、オリーブの特産品が沢山。

オリーブは、明治41年、三重・香川(小豆島)・鹿児島の3県を指定して、
アメリカから輸入した苗木を植えたそうですが、
小豆島に植えたオリーブだけが順調に成育したとか。

地中海の気候とにているのかしら・・?

ゆっくり、泊まりで訪れたい場所でした。


  
旧東ドイツの信号機 「アンぺルマン」
ドイツ統合の時、かわいいので一部 取り壊されずに残ったそうです。

私が買ったアンペルマンのキャラクタグッズのスポンジです。



ハーメルンの“笛吹き男”のお話に因んだ、
「乾パン製のネズミ」です。
食べられないそうです。

日本では、“笛吹き男”ですが、
ドイツでは、“ネズミ捕り男”というそうです。



ブレーメンの音楽隊に因んだグッズ(木製)
カラフルでかわいいでしょう。
1匹ずつ、バラバラにもなります。

マルクト広場から程近いところにある、
「ブレーメンの音楽隊の像」(たぶんブロンズ像)の
ロバの足に触ると幸せになれるというので、
触ってきました。


そして、
本物だと思って買って帰ったのですが・・・
そんなわけないのでは・・・と言われてしまった
「ベルリンの壁」5cmぐらいの大きさです。




写真は聖マリエン教会の建物の外側に座っている 人間の大きさほどもある悪魔です。
この優しく笑っている悪魔の伝説を、現地ガイドさんから聞きました。

お酒好きの悪魔がいました。
ここに酒場が出来る と言う話を聞いて、酒場を作る手伝っていました。
悪魔のパワーは、たいしたもので みるみるうちに 酒場が完成に近づいていると思っていました。
ところが、酒場だと思っていたのに、実は、聖マリエン教会だったことに気がついたのです。
悪魔の勘違いから始まったことなのですが・・・

騙された~~。と思った悪魔は、激怒して、今度は、教会を壊し始めました。
そこで、住民たちは、急遽、悪魔のために 教会の隣に酒場を建設。

悪魔は喜んで、教会を壊すのをやめて、酒場に入り浸ったそうです。
そして、教会は無事に完成したとか・・・・
おしまい。



リューベックの名物で、「クルミわりとネズミの大さま」のお話にも
出てくる「マジパン」です。
「マジパン」と言っても、パンではありません。
アーモンドの粉で作った砂糖菓子。
とっても甘~い。
カラフルで、いろいろな形に整形されていました。
ザリガニみたいだったり、ヒトデ、豚、タツノオトシゴだったり・・
見ているだけで 楽しいお店でした。

市庁舎の近くのニーダエッガーって言う名前のお店です。

そのお店に、ロートシュポンと呼ばれる赤ワインがあり、
私はそっちのほうが良かったりして・・・

昔 ハンザ同盟の頃、リューベックの船が、
塩をフランスのボルドーに運び、帰りには空の樽に
赤ワインを詰めて運び、リーベックで熟成させたとか。



マルクト広場の市場
ホワイトアスパラは、この時期だけのもで、
ドイツの人は、この時期に こだわりがあるそうです。


18年前にスイスで開催されたコーラスのコンクールに行く途中で
1日だけ、ドイツ南部のミューヘンに滞在したことがありました。

ホテルの窓を開けた時、日本とは違うあき方をしたのです。
窓の鍵を開けると 窓の下面を支点に、上部が内倒しに開くのです。

18年前の私は、窓を開けたために、窓が壊れたと思い、
内側に倒れてくる窓を両手で支えました。
息が止まるかと思うほど、びっくりしました。
そして、そーっと押し戻し、元通りに鍵をかけたのでした。

今回の旅行で、この出来事が、解決したのです。

ドイツの窓は、そのように開くようになっているのです。
と、添乗員さんが、説明してくれました。

なんだ、そうならそうと 言ってくれれば良かったのに・・・
18年間、窓が壊れたと思っていましたよ・・・
でも換気も出来て いい感じです。



アルテ・マイスター美術館のチケット

もう、5月も終わろうとしていますが、5月の連休にパックツアーで
ドイツ10日間で15都市を巡る旅をしました。
行きと帰りも含んでいますので、実際は8日間です。とっても忙しい旅でした。

ドレスデンで団体で「ツヴィンガー宮殿」「君主の行列」「フラウエン教会」など
概観だけを ぐるっとまわった後、朝9:30~10:30だけ自由時間に。

迷わず、アルテ・マイスター美術館へ。

ツヴィンガー宮殿の一部になっています。
10時会館なので、会館前にならんでも、実際は25分程度しかみれません。

2Fにあるラファエロの「システィーナのマドンナ」の絵の中の天使に
ぜひ会いたいと思っていました。
(チケットの天使)

有名な絵がたくさんあるのに、日本では考えられないほど、人が少なくて
じっくり見れました。
時間が足りなかったのが残念!

ジョルジョーネの「まどろみのヴィーナス」
フェルメールの「手紙を読む少女」
フェルメールの「やり手婆」 などがあります。

フェルメールの「やり手婆」は、きれいなお姉さんが、タイトルではなく
その横の黒い服を着た、したたかな顔をしたお婆さんが、絵の主題のようでした。


「THE ハプスブルグ」が京都国立博物館に来ているのを、

電車の中の吊り広告で見つけ、前売りを買い、主人を誘って京都へ。

京都国立博物館 京都国立博物館

京都国立博物館

年末、ウィーン、プラハ、ブダペストへ行ったのに、時間が足りなくて
美術館へ行っていない・・・本当にもったいないことでした。

今回、2009年が 日本とオーストリア・ハンガリー二重帝国が国交を
結んで140年目にあたり企画された美術展で、
ウィーン美術史美術館(オーストリア)と、
ブダペスト国立西洋美術館(ハンガリー)の所蔵品から、
ハプスブルグゆかりの品々をメインに絵画と工芸品 計120点を展覧。

東京で2009年9月~12月の後に 京都に来ている。

もちろん、現地の美術館で見るのが一番ですが・・
日本で見ると、日本語の解説がついているので嬉しい。

パプスブルグ家の略系図を見ながら、いつの時代の人か確認しつつ鑑賞。
同じような名前で、キャパの狭い頭の中でこんがらがる。

でも一番印象的だったのが、なんと言ってもエリザベートの等身大の肖像画。
「なんて上品で気高く綺麗な人なんでしょう!」

エル・グレコの「受胎告知」は、何ヶ月が前に、倉敷の大原美術館で
見たのと、ほぼ同じでした。
(マリアがレースのスカーフをかぶり、大天使ガブリエルが手にユリの
花を持ち、鳩が稲光と共に舞い降りる構図です)
絵の横の解説に、「このテーマで繰り返し描いた。」と書かれていました。

ベラスケス、ティツィアーノ、ルーベンス、ラファエロ、エル・グレコ
などの巨匠の絵も揃っていましたよ。

見ごたえがあり、京都まで片道2時間かけて行ったかいがありました。


ヨーロッパの油絵を見て思うことがあるのですが・・・・、
ひょとしたら、日本人が見るのと、違うように見えているのではないかと。

日本人の瞳は黒いですが、ブラウンやブルーの瞳で見ると、
暗い感じの絵も、もっと明るく映っているのではないかと・・・
なんの根拠もありませんが、ふと、そんな風に思いました。




その後、博物館の目の前にある、三十三間堂にお参りして帰りました。

三十三間堂 三十三間堂

千手観音さんも迫力ありました。



ハンガリー

スロバキアから、ハンガリーにバス移動。

ハンガリーのエステルゴムセンテンドレという街を通り首都ブタペストへ。

『エステルゴム』

エステルゴム大聖堂 エステルゴム大聖堂

アルパート王朝の都だったエステルゴムには、ハンガリー カソリックの総本山の大聖堂があります。
大聖堂は、オスマントルコによって破壊され、19世紀に再建されました。
ハンガリーの誇る作曲家と言えば、リスト。
リストはその再建した大聖堂の柿落としのためにミサ曲を作曲したので、
大聖堂の中にリストの名前の版がはめ込まれていました。
きっと荘厳で繊細な曲なのでしょうね。


『センテンドレ』

センテンドレ センテンドレ

センテンドレは、中世の雰囲気の石畳の坂道の続く小さなかわいい街でした。
ヘレンド陶器が有名で、陶器の裏の模様で、何年に造られた物かわかるそうです。

ハンガリーの通貨はFt フォリント。1Ft=0.50円

現地ガイドさんの話では、
ハンガリー人は、元々アジア系の遊牧民のマジャール族。
話す言葉の語順も日本語に似ているそうで、名前も姓名の順に言うそうです。



『ブダペスト』


・王宮の丘

ドナウ川西岸・ブダ地区にある王宮の丘。

・ブダ王宮

ブダ王宮


1242年、砦を建てたのが始まり。
オスマントルコ軍や、第2次世界大戦で崩壊し、再建された建物。
「外観は、それらしく建て直されたが、元の王宮とは細部が違う。
中は、まったく違う」と現地ガイドさんが、言ってました。


・漁夫の砦

漁夫の砦 漁夫の砦から

1899年から6年かけて造られた砦。漁業従事者が守っていたため、このような名前が付いたとか。
ここに上がると、ドナウ川 くさり橋 ペスト地区が一望できるビュースポット。



・マーチャーシュ教会

マーチャシュー教会 マーチャーシュー教会

13世紀に建てられ、鮮やかなステンドグラスが美しい教会です。
聖イシュトヴァーンの手のこぶしが、聖魂として収められています。
腐らないそうです。


・くさり橋

kusaribasi
ブダ地区とペスト地区を結ぶ壮麗な橋です。
夜のライトアップも綺麗でした。
くさり橋にライオンのモニュメントがあるのですが、舌がありません。
造るとき、職人さんが作り忘れたという説があるそうです。


・ドナウ川クルーズ

少し寒かったのですが、クルーズ船に乗り川から街を眺めます。
私たちツアーの人だけだったので、日本語の音声ガイド付きでした。


・英雄広場

英雄広場 

広大な広場に迫力ある彫刻が並んでいます。
歴代王や独立戦争に貢献した貴族だそうです。


・トカイワイン

フォルクオーレ トカイワイン

民族音楽と踊りのフォルクオーレショーを楽しみながら食事をしました。
お料理は、パプリカをきかせたハンガリー料理、
ワインは甘口で琥珀色をした貴腐ワインのトカイワイン。
凝縮されたうまみのワインでした。



・年越しカウントダウンライブ

ブタペスト 2連泊で、この旅行の最終日が2009年12月31日

ブダペスト市内の何箇所かで、カウントダウンライブをするのですが、
一番近い、「西駅」へ。
地下鉄2駅。切符を買って、20cmぐらいの箱に入れて打刻をします。
日本のような改札がなく、突然、私服の検察官チェックをしにくるそうです。
切符を持ってなかったり、持っていても、打刻していないと、
何十倍もの罰金の支払いをさせられるそうです。

会場には、多くのハンガリー人が集まって楽しんでいました。
紙製の1mぐらいの円錐型のもので、頭を軽く叩くのが習慣だそうです。

tosikosiraibu tosikosiraibu

tosikosiraibu


かわいい孫を連れたイタリア系ハンガリー人のおじいさんに誘われて
私たちも肩をくんだり、手をつないだりしてステップを踏みながら踊りました。
お孫さんが、吹いていた20cmほどのカラフルな笛も吹かせてもらいました。

ハンガリー人のおじさん ありがとう。

こんな楽しい年越しは初めてです。


そして12時。
新年を迎えると、曲ががらりと変わり、
皆が右手を上げて 静かに しかし誇り高く歌い始めました。
たぶん国歌だと思います。

雨も降ってきたし、帰ろうと地下鉄の駅に行って、券売機にお金をいれましたが、切符が出ません。
おまけにお金も戻ってきません。

気がつくと、地下鉄の入り口にロープが張られ、地下鉄は止まっていました。

タクシーを見つけ ホテルの名前を言うと・・・ 
1月1日なので、タクシー料金以外に ユーロで高額な祝儀を要求されました。
同じツアーの方が、交渉して下さって タクシー料金に少し上乗せして決着。
無事にホテルまで帰りつきました。

日本で除夜の鐘をつく為に 近くのお寺に行ったことはありますが、
カウントダウンライブは初めてで、とても印象深い年越しとなりました。
翌朝、帰国の途につきました。


スロバキア

『ブラチスラバ』


オーストリアのウィーンからバスで約1時間10分で
スロバキア首都ブラチスラバです。

小学校のころ「チェコスロバキア」と習いましたが、1993年、チェコと分離・独立しました。
面積は、北海道の3分の2ぐらいの雄大な山岳のふところにある国です。

通貨が2009年よりユーロになりました。


この日はお天気が悪く、ドナウ川のほとりの丘の上にある
・ブラチスラバ城は霧の中でした。(世界遺産)

晴れていると、ドナウ川と街が見渡せるそうです。

ブラチスラバ城 ブラチスラバ城
テーブルを逆さにしたような形のお城です。(外観のみ)

ミハエルの門からフラヴネー広場へ。

ミハエル門 フラヴネー広場
ミハエルの門は、唯一残っている城門だそうです。


街角で、地面から像が!!!
マン マン
「MAN AT WORK」の標識があります。
何の仕事中なのでしょうか?


オーストリア

『ウィーン』


・シェーンブルン宮殿

シェーンブルン宮殿 シェーンブルン宮殿
右の写真は、宮殿で夜に行われる演奏会のチケットを売っています。

マリア・テレジア・イエローと呼ばれる黄色の外観が印象的な
ハプスブルグ家の夏の宮殿。

広大な宮殿と庭ですが、公開している部屋は40室ほど。
モーツアルトの御前演奏やナポレオンの占領など、部屋ごとにエピソードがあります。
春から夏は美しい花々が咲き乱れるお庭だそうです。


・シュテファン寺院

ウィーン旧市街の中心にそびえるゴシック様式の大教会。

シュテファン寺院 シュテファン寺院
外観が工事中でちょっと残念。

北塔はエレベーターで、南塔は階段で登れます。
勿論、エレベーターで・・・ウィーンの街を一望。
屋根には、ハプスブルグ家のシンボルの双頭の鷲が描かれています。

シュテファン寺院 シュテファン寺院


・オペラ座

ウィーン3泊連泊で、自由行動になっていたので、
ぜひとも、オペラハウスで、夜にあるオペラとバレーを見たいと思い、
12月28日は、バレー くるみ割り人形
12月29日は、オペラ セビリアの理髪師 
を日本から予約して、服装もそれなりに決めて気合を入れていきました。
(あまり気乗りしない主人にも付き合ってもらって)

その前にお昼 15:00~、オペラ座見学ツアーというのがあり参加しました。
入り口の掲示板に、当日の何時にどの言語の見学ツアーがあるかが、掲示されます。各言語ごとに集まり、舞台裏やオペラ座の中を解説付きで案内してもらえます。
オペラ座 オペラ座
 外観        当日の見学ツアーは、こんな感じで張り出されます。日本語は15:00~。

オペラ座 オペラ座
      舞台裏             客席から                  
 
オペラ座 オペラ座
    くるみ割り人形           セビリアの理髪師

私にとって ちょっと「猫に小判」の感はありましたが・・・・
「くるみ割り人形」の方は、親と一緒に小学生ぐらいの子ども達も沢山、
見に来ていました。
これぐらいの年齢から、一流の音楽と舞台を見ることができるウィーンの
子ども達は、情緒や感性が豊かに育つって素晴らしいと思いましたヨ。



・メルク修道院

ドナウ川沿いのクレムスからメルクまで、ヴァッハウ渓谷を
遠くに古城を見ながらバスで走ります。
季節のよいときは、ドナウ川クルーズで、川から古城をながめるようです。

ヴァッハウ渓谷の最後は、メルク修道院。
ハリーポッターに出てくるような 10万冊の蔵書が、古さを感じました。
修道院の中は、大広間の天井のフレスコ画もありましたが、
展示は斬新な現在アートを取り入れていて修道院というより美術館のようでした。

メルク修道院 メルク修道院

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ガイドブックを見ると
ウィーン市内に素晴らしい美術館が沢山あるようなのですが、
時間が足りなくて 1箇所も行けませんでした。


そして ウィーンと言えば、カフェ文化。
ゆっくりカフェに入って・・・とは いきませんでしたが、
ザッハトルテ(チョコレートケーキ)とアインシュペンナー(ウインナーコーヒー)は、一応 食べました。
とっても 甘い~~~。


それと ウィーン オペラ座の直ぐ近くの地下に ウィンナーワルツの流れている有料トイレがあります。
トイレ


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