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2005年7月~2006年11月 ベトナムのハノイに住んで、ベトナム生活を満喫しました。 帰国後は、身の回りのこと少し更新しています。良かったらお付き合い下さい。
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お盆で 娘と孫が、一足先に帰ってきました。
1歳8ケ月の孫、パパとFacetimeしている時 iPadの後ろに周りました。
パパを 探したのだと思います。
その後、画面の上に座りました。

娘の説明では、いつもパパのお膝に座るので 、写っているパパのお膝に座ろうとした。そうです。

いつもパパが 可愛がっているのが、良く分かりました。
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昼間は、いろいろな手続きに出かけたりする。

今回の手続きで「原戸籍(はらこせき)」という言葉を知った。
生まれてから死ぬまでの戸籍のことだそうで、
金融機関からそれを集めるよう言われた。

気が付けば、世の中は、夏。
毎日、暑い。


先週は、娘の所(孫の顔を見に)と、実家にも 3泊ずつした。
1歳半の孫の笑顔は癒される。
実家も 心配してくれているのは、よく分かる。
めったに 電話をしてこない息子まで、私の事を気に
かけてくれている。

私の居場所は、やはり この家。
主人との思い出が一杯つまった この家しかないと思う。

ご近所の方も、友人・知人も、心配してくださってメールや電話を頂く。

仕事にも、四十九日が過ぎたら 復帰しないかと、ボスから電話を頂いた。

身内以外に 私の事を気にかけて 心配くださる人がいると言うのは、ありがたいことだ思う。

この頃 昼間は 少し元気になってきた。


Why don't you speak with me
Why don't you smile as usual?
Why you left me so early

I feel the sadness hovering around
You have gone, left me Heart-broken pain
Why you left me so early


6月8日 主人が、亡くなった。
ベトナムから帰国して、たった2ヶ月ちょっと。
やっとベトナムから帰ってきたのに・・・
まだ、現実として 受け止められません。

2年間の任期を終え、今年3月25日にベトナムから帰国し、
1年前に予約していた健康診断を受診。
CA19-9の値が、標準値の70倍。
その後、4月20日、胸腹部造影CTで技師の所見で、胆のう癌の疑い有。
とでたのに、医師は、IgG4(胆のう炎)と言う病名を付けた。

もうそこで、1か月経過。

名前の公表は控えるが、大病院なのに、もたもた 検査に手間取り、
おまけに誤診。

こんな病院関わっていたら、大変なことになる。
と思い、紹介状を書いてもらい。
一旦、書く。と言ったのに、また、自分の診察日に来てからでないと書けない。
とごてられた。
とにかくに、粘って書いてもらう。

その紹介状を持って、大阪府立成人病センターに診てもらう。

4月28日に外科に入院。
しかし、今年の連休ほど、うらめしかったことはない。
連休で、病院の検査部門が、ほとんど動いていない。

ERCP(内視鏡的逆行性胆道膵管造影検査)
原発がどこかを確定するため。
胆汁を抜くため、鼻から管が入った状態になる。

5月11日 腫瘍部分を切除する肝胆道手術を1月後の前段階として
PEPE(経皮経肝的門脈塞栓術)を受ける。
その際、腹水に転移が見つかり、腫瘍の切除出術ができない。
と医師から言われる。
良かった肝臓も門脈を詰めることで、だんだん 弱ってくる。

5月24日 内科に転科
抗がん剤治療をしようとしたが、血小板がみるみる減ってきて
7万を切ってしまい、抗がん剤も出来なくなった。
胆のう癌に効くと言われる抗がん剤は、3種類しかない。
しかも20%の人にしか、効かない。と言う説明を受けたが・・
それも、できなかった。

病院では、もう積極的治療は出来ないので、退院を進められる。
本人の希望もあり、自宅へいったん帰るための準備として
介護保険を使いながら、在宅介護の申請と
終末を迎える病院の面談などを設定。 

しかし、これも間に合わず、結局、
自宅に一度も 帰ることなく病院で最後を迎えた。

本当に、坂道をころがり落ちるように、日に日に 
身体の機能が落ちて行く。
大病院にいながら、何も治療ができない。

1回もブレーキがかかることなく。

1回だけ、持ち直したのは、
6月2日 胸水を1000CCほど抜いた。
少し、呼吸が楽なった。
11月に予定していた 息子の結婚式を6月3日 
レンタル衣装を借りて来て病室でする。
主人は、安心したようだった。
声がうまく出なくなっていたが、必死で息子たちにお祝い言葉を言っていた。

そして、その後は、もう 話していることが
聞き取りにくくなり、
6月8日に他界した。

あっと言う間に 私を一人残して、さっさと 行ってしまった。

個室になってからは、折りたたみベッドを持ち込み
泊まっていた。

2か月間のお別れ期間と思えば良いのだろうが・・
とても思えない。

こんなに早く癌が進行してしまうなんて!

なぜ、こんな癌になったのか?
私も、ベトナムに付いて行けば、もっと早く気付いたのではないか?
そもそも シニアボランティアでベトナムに行ったけど、
行く必要があったのか?

悔いることばかり。
ふと、涙が、1日に何回もでる。
こんなに悲しいのに 寂しいのに、お腹がすく。
私は、どうなっているのか?

夜になると、毎日 ベトナムからface timeしていたから
かかってくるのでは、と思ったりする。
でも、かかって来ない。

笑顔の遺影に向かって、なぜ、私を一人にしたの?
これから、私は、何を頼りに生きて行けばいいの?
と尋ねてみるけど、返事がない。
涙が止まらない。


家の耐震工事をしました。

昭和56年に耐震基準が変わったそうですが、
その何か月か前に 旧耐震基準で家が建っており
阪神大震災クラスの地震がくれば、倒壊すると検査で出たのです。

耐震箇所は3点
①屋根を軽くする。瓦からスレートへ。
②壁を多くする。一部の壁を耐震壁にする。
 家全体のバランスも考えて。
③基礎を強固にする。

ーーー
②の壁を替えているときは、すごい埃でした。
 何せ、わが家は土壁なのもで。

③の基礎を工事しているときは、
 凄い振動と騒音がありました。
 土曜日、家にいるだけでもすごかったです。
 平日、仕事に行っていて良かったぐらいです。

ーーーーー
家のトイレとお風呂のリフォームもしました。
20年先を考えて、トイレとお風呂に手すりも付けました。
トイレは、簡易水洗から水洗になりました。
お風呂は、タイルばりから、ユニットバスになったので
予備暖房も付、快適になりました。

1か所が綺麗になると、汚い他のところが気になって・・
でも、古いから仕方ないし、気になりだすとキリがない。

耐震工事は、地震が来たとき、家を現状のまま維持できるのではなく
ペチャっと潰れない。命が助かる。ということを目的にしているのだそうです。

2か月以上かかりましたが
安全と安心を持つことができるようになりました。


11月30日の夜中、無事に初孫が誕生しました。
予定日を過ぎても生まれなかったので
ちょっとヤキモキしましたが、やっと生まれました。
とっても小さくて、しわしわで、力一杯泣いているのが
とってもかわいい・・・
もう、親バカならぬ、婆バカですね。


   

昨日は、皆既月食でした。
18:15ごろから21:30ごろまで 時々、月を眺めながら
写真を撮りました。

赤っぽい月でしたが、うまく色はでませんでした。

でも月食部分が薄ら見えて感激です。





息子の初給料で買ってくれたお掃除ロボットのルンバ。
もう、うちに来て3年ぐらいになります。

最近、気が付いたのですが、
私、この掃除機に話しながら、掃除してるのです。
たとえば、このルンバが、小さい段差で引っかかって止まっていると
「この段で、ひっかかったんやなぁ。こっちへおいで。」
と言いながら、別の場所に移動させたりしているのです。

機械ですから、文句も言わず、働くのですが・・・
なんとなく、かわいく思えて・・・
私、変なのでしょうか?


勤め帰り、カルチャースクールでの歌のレッスンに行き、
その後、最寄の電車で帰宅。
やっと 最寄り駅まで帰り着いて  (遠いのです)

駅近くの車を止めている 駐車場に。
(最寄駅から、自宅まで また遠いのです)

車のガラスに 小さな付箋が・・
   
「隣の○○番の者ですが、
よけいな お世話かもしれませんが・・・
車の左後ろタイヤ、空気が大分抜けていますよ。
パンクしてるように思います」と

私「うそ~!」

すでに 時刻は 21:00・・・

J○Fに電話をしたら、
「今、立て込んでいるので、1時間ほど待ってください・・」

40分待ったらころ、来てくださって。

その方が、言うには、
「ハイブリッドなので、スペアータイヤは、たぶん積んでいないので
修理します。」

私、またまた、「うそ~!」

購入して4年。自分の車に、スペアータイヤを積んでいないこと、
初めて知りました。

パンクは ねじ釘を踏んでいました。

手早く修理して下さって、とっても 親切な方でした。

スペアータイヤを積んでいても、自分でタイヤ交換できないので
積んでいても 同じかもしれませんが・・・


知らずに車を運転して、大きな事故になったら・・
と思ったら、ぞっ~~と します。

付箋を貼って 知らせて下さった 隣の車の人に、

「余計なお世話じゃ ないです。本当に感謝です。
知らせてくださって ありがとうございました。」





マレーシアのペナン島 バトゥ・フェリンギで、パレセーリングを初体験。
ふあっと、浮かびあがるとき、ちょっと怖かったけど・・・
鳥になった気分で、楽しい体験でした。




バナナボートも、初めてでした。

クアラルンプールでのフィッシュスパも・・
これは、水槽に足を入れると、黒い10cmほどの魚が寄ってきて、
皮膚の角質層を食べてくれて、肌がツルツルに。

はじめは、魚が足をつつくのが、なんとも くすぐったいのですが、
すぐに慣れてきます。


ブッキ・メラでは、オランウータン、
セランゴール川流域に生息する蛍も観にいきました。

蛍観賞は、音のしないバッテリーボートでマングローブの林の中を
進んで行くと、蛍の光がクリスマス イルミネーションのように
光が点滅して、幻想的でした。


いろいろ楽しい旅でした。


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