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2005年7月~2006年11月 ベトナムのハノイに住んで、ベトナム生活を満喫しました。 帰国後は、身の回りのこと少し更新しています。良かったらお付き合い下さい。
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良寛さん(1758-1831 江戸時代の曹洞宗の僧侶・歌人)の碑

良寛旅日記吉野紀行建碑

吉野山 南朝皇居跡のすぐ手前にある良寛さんの碑です。
皇居跡は、蔵王堂を正面に見て左へ階段を下りたところにあります。
ちょうど、脳天神社に下る手前です。

良寛さんの碑1 良寛さんの碑2
  碑の表面                  碑の裏面

この碑の裏に新潟県和島村の「和島村良寛会」が発願と書かれています。

良寛さんが壮年期に吉野を訪れたときの旅日記です。

里へくだれば 日は西のやまにいりぬ。
あやしの軒に立てて一夜の宿をこふ。
その板敷の上にぬまてふものをしきて臥す。
夜るのものさへなければ いとやすくねず。
よいのまは翁の松をともしてその火影にいとちひさき かたみくむ。
なにぞと問へば これなんよしのゝさとの花筐といふ。
蔵王権現の桜のちるをおしみて、ひろひて盛りたまふ。
そのいわれにはいまもよしのゝ里にてはいやしきものゝ家の業となす。
あるはわらはのもてあそびとなし また物種いれてまきそむれば 
秋よくみのる。
それもてるものは万のわざわひを まぬがるとかたる。
あわれにもやさしくもおぼひければ つとにせむ
よしのゝ里の花がたみ


良寛さんは、吉野の里で、老翁の家に泊めてもらいます。
ここで「万(よろず)の災いをまぬがる」という
吉野の里の花筐(花籠・はながたみ)をみやげとして買い求めます。

という内容のです。

今はありませんが、小さいころ、見た記憶があります。
1cm幅ほどの木を薄くすいたものを赤・黄・緑に染めて、
それを編んで、直径10cmほどの色鮮やかな籠にしたものです。
その編み方に特徴があって、表面のところどころに
三角にとがって立体的になっていたように思います。

あれは、「万(よろず)の災いをまぬがる」籠だったのですね。
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良寛
良寛さんは書道家でもありました。
”子供の純真な心こそが誠の仏の心”
子供と遊ぶのが好きで懐にはいつも手まりを
持っていたそうです。
良寛さんをお世話していたのが貞心尼です。
花籠可愛いですね。
桜さんはそんな環境で育ったんですね。
環境ってやっぱり大切ですね~
わたしは、駒まわしや凧あげどぶ川でのトンボ
取りぐらいの思い出しかないです。
これからも、いろいろな情報みせてください。

わざわざ、お昼休みにですか?
わたしも食べたいものがあればいくでしょうね。
京都に”好事福ろ”の和歌山みかんを形つくった
ゼリーがあります。
もし機会があれば食べてみてください。
この間は、柴藤のおひつまぶしを食べました。
でもうな重のほうが好きです。
太陽 2008/08/14(Thu)14:15:19 編集
Re:良寛
最近まで、良寛さんが吉野に来られていたのを知りませんでした。
良寛さんは、童話で読んだ程度ですが、優しい方だったようですね。

昨日から、お盆で吉野に帰っています。
【2008/08/14 20:46】
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