2005年7月~2006年11月 ベトナムのハノイに住んで、ベトナム生活を満喫しました。
帰国後は、身の回りのこと少し更新しています。良かったらお付き合い下さい。
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2006年10月20日(Fri)
歴史研究会の月に1回の講演会。
と言っても夏休み7月8月9月だったので、4ヶ月ぶり。
講 師:西村 昌也さん(考古学者)
プロフィール:旧石器時代から20世紀までの東南アジア考古学研究を
専門とし、現在ベトナム考古学院研究員。
「NPO法人東南アジア埋蔵文化財保護基金」代表。
近年注目が高まるハノイのタンロン遺跡研究にも携わり、
2004年に小泉首相がこの遺跡を訪れた際、案内役を務め
られました。
演 題:「考古学が語るハノイ古城3都物語」
3都はコーロア、ルイロウ(ルンケー)、タンロン(ハノイ)です。
中国に支配された時期、ベトナムの各王朝とも、ハノイ周辺の上記三つに都を置き、ほかの地(ホアルー、タインホアの胡朝)に遷都してもすぐに紅河平原に戻ってきた。ということです。
コーロア城 ハノイから北へ10Km
安陽王が建設したと伝えられています。紀元前2-3世紀。3重の土塁。外塁は8000m。趙陀の南越国に滅ぼされます。
コーロア城の伝説
コーロアは紀元前3C、甌貉(オウラク)国の都があったとされています。
王の名前は安陽(アンズォン)王と言いました。王は金亀(キムクイ)の爪で出来た魔法のイシユミを持っていて、どんな敵も倒しました。
南越の趙陀(チョウダ)は甌貉攻略の企てをします。
息子の仲始(チョントゥイ)を安陽王の娘・媚珠(ミーチャウ)と結婚させます。
仲始は媚珠を騙し、霊弩の秘密をさぐりすり替え、親が病気と偽って帰国します。
趙陀は甌貉と戦います。甌貉はイシユミがすりかえられたいたためあっけなく負けてしまいます。
王は媚珠を連れて敗走しますが、直ぐに居場所を突き止められてしまいます。
安陽王は娘の首をはね、自らも入水します。
後を追ってきた仲始は妻の亡骸を見つけ悲しみコーロア城に帰り、井戸に身を投げました。
媚珠が石となって飛んだ来っ帰ったものが、現在では安産信仰となっています。
銅鼓
銅製の太鼓の形をしたものが多数発掘されています。
ルイロー Luy Lau (ルンケイ) ハノイから東20kmのバクニン省
前漢武帝の侵略に伴う効し郡設置時(紀元前109年)の郡治、後漢時代のある時期まで。
タンロン(Thang Long 現ハノイ王城域)
李公蘊が李朝(1010年~1225年)を創始し、タンロンに遷都。
陳朝(1225年~1400年)も引き続き、タンロンを継続し、ナムディン省の故地に位置する Thien Truong Phu(天長府)を西都(副都)とします。
ハノイの名前の変遷
宗平(トンビン)→羅城(ラジョウ)→大羅城(ダイラジョウ)→昇龍(タンロン)→東都(ドンド)→東関(トウクアン)→東京(ドンキン)→河内(ハノイ)→HANOI(ハノイ)
ハノイは京都と良く似ていて、同じ場所に何回も都があったので、遺跡の下に別の時代の遺跡があるそうです。
阿倍仲麻呂と安南都護府
「天の原ふりさけみれば春日なる三笠の山にいでし月かも」という歌で有名な阿倍仲麻呂が、2度ベトナムに来ていたことを知りませんでした。
仲麻呂は奈良時代、遣唐使として長安に渡り官僚となり、玄宗皇帝に仕えました。
仲麻呂が1回目帰国途中で、暴風雨に合いベトナムに流れつきました。一旦、長安にもどりますが、安南都府として再びベトナムじ赴任しました。
唐は交州と呼ばれた地域を監督するため、ハノイに安南都護符を創設しました。
備前陶磁器(古伊万里 17C)
ベトナムで、17Cの地層から備前焼が出土します。
当時日本は江戸時代で鎖国をしていました。
これは、オランダや中国、シャム国の船で海外へ出たそうです。
遺跡の形のお話などいろいろお聞きしました。
お話のごく一部ご紹介しました。
遥かな時代に想いを馳せ、土の中に眠る遺物や遺跡から、過去の人々の生活や文化を探る「考古学」って夢がありますね。
ベトナム王朝の変遷をお聞きしながら、Co loa(古螺:コーロア城 BC258~BC208)や、胡朝城(1400~1407)にも行ってみたくなりました。
歴史研究会から 11月のお知らせ
11月は、大西先生のご案内で史跡めぐりを行います。
日 時:11月24日(金) 午前9時~午後3時ごろ
見学先:サクソン神社と大仏
ハノイの北、サクソン(昨山)にある神社と大仏です。
参加費:12ドル(レンタルバス代、講師謝礼)
・募集は約20名とさせていただきます。
・お弁当、飲み物をご持参ください。
・歩きやすい服装、靴でご参加下さい。
・ローカルのトイレ使用となりますので、予めご了承ください。
歴史研究会の月に1回の講演会。
と言っても夏休み7月8月9月だったので、4ヶ月ぶり。
講 師:西村 昌也さん(考古学者)
プロフィール:旧石器時代から20世紀までの東南アジア考古学研究を
専門とし、現在ベトナム考古学院研究員。
「NPO法人東南アジア埋蔵文化財保護基金」代表。
近年注目が高まるハノイのタンロン遺跡研究にも携わり、
2004年に小泉首相がこの遺跡を訪れた際、案内役を務め
られました。
演 題:「考古学が語るハノイ古城3都物語」
3都はコーロア、ルイロウ(ルンケー)、タンロン(ハノイ)です。
中国に支配された時期、ベトナムの各王朝とも、ハノイ周辺の上記三つに都を置き、ほかの地(ホアルー、タインホアの胡朝)に遷都してもすぐに紅河平原に戻ってきた。ということです。
コーロア城 ハノイから北へ10Km
安陽王が建設したと伝えられています。紀元前2-3世紀。3重の土塁。外塁は8000m。趙陀の南越国に滅ぼされます。
コーロア城の伝説
コーロアは紀元前3C、甌貉(オウラク)国の都があったとされています。
王の名前は安陽(アンズォン)王と言いました。王は金亀(キムクイ)の爪で出来た魔法のイシユミを持っていて、どんな敵も倒しました。
南越の趙陀(チョウダ)は甌貉攻略の企てをします。
息子の仲始(チョントゥイ)を安陽王の娘・媚珠(ミーチャウ)と結婚させます。
仲始は媚珠を騙し、霊弩の秘密をさぐりすり替え、親が病気と偽って帰国します。
趙陀は甌貉と戦います。甌貉はイシユミがすりかえられたいたためあっけなく負けてしまいます。
王は媚珠を連れて敗走しますが、直ぐに居場所を突き止められてしまいます。
安陽王は娘の首をはね、自らも入水します。
後を追ってきた仲始は妻の亡骸を見つけ悲しみコーロア城に帰り、井戸に身を投げました。
媚珠が石となって飛んだ来っ帰ったものが、現在では安産信仰となっています。
銅鼓
銅製の太鼓の形をしたものが多数発掘されています。
ルイロー Luy Lau (ルンケイ) ハノイから東20kmのバクニン省
前漢武帝の侵略に伴う効し郡設置時(紀元前109年)の郡治、後漢時代のある時期まで。
タンロン(Thang Long 現ハノイ王城域)
李公蘊が李朝(1010年~1225年)を創始し、タンロンに遷都。
陳朝(1225年~1400年)も引き続き、タンロンを継続し、ナムディン省の故地に位置する Thien Truong Phu(天長府)を西都(副都)とします。
ハノイの名前の変遷
宗平(トンビン)→羅城(ラジョウ)→大羅城(ダイラジョウ)→昇龍(タンロン)→東都(ドンド)→東関(トウクアン)→東京(ドンキン)→河内(ハノイ)→HANOI(ハノイ)
ハノイは京都と良く似ていて、同じ場所に何回も都があったので、遺跡の下に別の時代の遺跡があるそうです。
阿倍仲麻呂と安南都護府
「天の原ふりさけみれば春日なる三笠の山にいでし月かも」という歌で有名な阿倍仲麻呂が、2度ベトナムに来ていたことを知りませんでした。
仲麻呂は奈良時代、遣唐使として長安に渡り官僚となり、玄宗皇帝に仕えました。
仲麻呂が1回目帰国途中で、暴風雨に合いベトナムに流れつきました。一旦、長安にもどりますが、安南都府として再びベトナムじ赴任しました。
唐は交州と呼ばれた地域を監督するため、ハノイに安南都護符を創設しました。
備前陶磁器(古伊万里 17C)
ベトナムで、17Cの地層から備前焼が出土します。
当時日本は江戸時代で鎖国をしていました。
これは、オランダや中国、シャム国の船で海外へ出たそうです。
遺跡の形のお話などいろいろお聞きしました。
お話のごく一部ご紹介しました。
遥かな時代に想いを馳せ、土の中に眠る遺物や遺跡から、過去の人々の生活や文化を探る「考古学」って夢がありますね。
ベトナム王朝の変遷をお聞きしながら、Co loa(古螺:コーロア城 BC258~BC208)や、胡朝城(1400~1407)にも行ってみたくなりました。
歴史研究会から 11月のお知らせ
11月は、大西先生のご案内で史跡めぐりを行います。
日 時:11月24日(金) 午前9時~午後3時ごろ
見学先:サクソン神社と大仏
ハノイの北、サクソン(昨山)にある神社と大仏です。
参加費:12ドル(レンタルバス代、講師謝礼)
・募集は約20名とさせていただきます。
・お弁当、飲み物をご持参ください。
・歩きやすい服装、靴でご参加下さい。
・ローカルのトイレ使用となりますので、予めご了承ください。
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