2005年7月~2006年11月 ベトナムのハノイに住んで、ベトナム生活を満喫しました。
帰国後は、身の回りのこと少し更新しています。良かったらお付き合い下さい。
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2006年10月15日(Sun)
●ファッジェム教会 Nha Tho Da Phat Dien
ハノイから東南へ120kmのニンビン省(Ninh Binh)にあるファッジェム教会へ、K2さん御夫妻にお誘い頂いて行ってきました。
ファッジェム教会は東南アジア最大の規模を誇る木造建築です。
朝6時出発。ハノイから車で3時間。こんな田舎に教会だけが立派です。
ファッジェム教会は池、鐘塔、大聖堂、それを囲むように5つの礼拝堂と3つの岩山で構成されています。設計は全てベトナム人によって行われ24年(1875-1899)の歳月をかけて造られたそうです。
東洋(木造)と西洋(石造)の建築様式が融合し合い不思議建築物です。
西洋の教会のイメージからは違和感がありますが、キリストがベトナム文化に溶け込んでいる象徴という意味で素晴らしい融合だと思います。
池にはキリストが両手を広げて全ての人に救いの手を差しのべています。
広場で向かい合っている像は、左側がキリストから天国への鍵を授けられたペテロ。
右側が福音宣教のしるしである剣をもったパウロです。
○鐘塔
ベトナム仏教に寺院に見られる三関(3つの入り口)と優美に反り返った瓦屋根が特徴です。
2Fが大型の太鼓、3Fに2トンの鐘が吊るされています。
10年の歳月をかけて1891年に完成しました。
1972年、アメリカの攻撃による爆風で屋根が吹き飛ばされる被害に合いましたが、修復されています。
中央塔の頂きには、2人の天使が十字架を持ち、その両脇にラッパを吹く天使がいます。
その下には、神がこの世を裁く日の前の啓示という意味の「審判前兆」の文字があります。
○大聖堂
内部に入ると高い天井まで伸びる何本もの柱が壮大です。
以前はベトナム産のリム(鉄木)の木だけが使われていましたが、近年ラオスからも取り寄せて修復したそうです。
ちょうど日曜学校の時間で、500人ぐらいの信者の方が聖堂でお祈りを捧げていました。
子供達も多く楽しそうでした。
中央のマリア像の周りには聖人、上部にはキリストと殉教者が描かれています。
○岩山
大聖堂の建物の後ろには、聖母マリアがお1858年に少女の前に出現したとされるフランスの「ルルドの山」、キリストの生誕の地である「ベツレヘム」を現した岩山、キリストが処刑された場所を表す「ゴルゴダの丘」があります。
ベツレヘム ルルドの山
ゴルゴダの丘
チャン・ルック市況の胸像と後ろの建物は博物館です。
鍵がかかっていて入れませんでした。
○石の礼拝堂
1883年、最初に造られた礼拝堂で全てが大理石で出来ています。
別名「聖母の心臓礼拝堂」とも呼ばれ、正面上部にある聖母マリアの心臓には剣が突き刺さっていて、キリストを失った苦しみが表されています。
内部には、窓の代わりに石の欄間がはめ込まれ、東洋的な松竹梅菊や鳳凰や、人面獅子などの透かし彫りあり、そこから光が差し込みます。
偶然、中学生ぐらいの子供達の見学がこの石の礼拝中で行われていたので入れましたが、普段は鍵がかかっているようでした。
●帰りにガイドブックにも出ていないのですが、綺麗なTon Dao 教会の前も通りました。閉まっていましので、外からの写真です。
ベトナムは、仏教徒が多いのですが、このあたりは、人口の30%がクリスチャンだそうで、小さい教会も沢山ありました。
●お昼はファッジェム教会からニンビン市内(30km)に戻り、
ヤギ焼肉とヤギ鍋を食べました。
ve de nuong lau de
ヤギの焼肉がやわらかくておいしかったです。
●古都ホアルー Co Do Hoa Luへ
986年から1010年、タンロン(現ハノイ)に遷都されるまでの、
丁(ディン)朝(968~980)の都 と
前黎(レ)朝(980~1009)の都 が置かれた所です。
細い道を行くと急に開けた場所にでます。
周りの岩山が自然の要塞なのでしょうか?
のんびりした時間が流れています。
薄紫色のこの水草が沢山ありました。
古都、去る主人と9月30日に行き、詳しく書いていますので、そちらをご覧ください。
丁朝 ディン・ティエン・ホアン
黎朝 レ・ダインハイン帝
1998年1月に遺構が見つかりました。
田んぼの真ん中の少し盛り上がったところです。
K2さん、今日は本当にお世話になりありがとうございました。
ご主人様の優しさが伝わってきました。
●ファッジェム教会 Nha Tho Da Phat Dien
ハノイから東南へ120kmのニンビン省(Ninh Binh)にあるファッジェム教会へ、K2さん御夫妻にお誘い頂いて行ってきました。
ファッジェム教会は東南アジア最大の規模を誇る木造建築です。
朝6時出発。ハノイから車で3時間。こんな田舎に教会だけが立派です。
ファッジェム教会は池、鐘塔、大聖堂、それを囲むように5つの礼拝堂と3つの岩山で構成されています。設計は全てベトナム人によって行われ24年(1875-1899)の歳月をかけて造られたそうです。
東洋(木造)と西洋(石造)の建築様式が融合し合い不思議建築物です。
西洋の教会のイメージからは違和感がありますが、キリストがベトナム文化に溶け込んでいる象徴という意味で素晴らしい融合だと思います。
池にはキリストが両手を広げて全ての人に救いの手を差しのべています。
広場で向かい合っている像は、左側がキリストから天国への鍵を授けられたペテロ。
右側が福音宣教のしるしである剣をもったパウロです。
○鐘塔
ベトナム仏教に寺院に見られる三関(3つの入り口)と優美に反り返った瓦屋根が特徴です。
2Fが大型の太鼓、3Fに2トンの鐘が吊るされています。
10年の歳月をかけて1891年に完成しました。
1972年、アメリカの攻撃による爆風で屋根が吹き飛ばされる被害に合いましたが、修復されています。
中央塔の頂きには、2人の天使が十字架を持ち、その両脇にラッパを吹く天使がいます。
その下には、神がこの世を裁く日の前の啓示という意味の「審判前兆」の文字があります。
○大聖堂
内部に入ると高い天井まで伸びる何本もの柱が壮大です。
以前はベトナム産のリム(鉄木)の木だけが使われていましたが、近年ラオスからも取り寄せて修復したそうです。
ちょうど日曜学校の時間で、500人ぐらいの信者の方が聖堂でお祈りを捧げていました。
子供達も多く楽しそうでした。
中央のマリア像の周りには聖人、上部にはキリストと殉教者が描かれています。
○岩山
大聖堂の建物の後ろには、聖母マリアがお1858年に少女の前に出現したとされるフランスの「ルルドの山」、キリストの生誕の地である「ベツレヘム」を現した岩山、キリストが処刑された場所を表す「ゴルゴダの丘」があります。
ベツレヘム ルルドの山
ゴルゴダの丘
チャン・ルック市況の胸像と後ろの建物は博物館です。
鍵がかかっていて入れませんでした。
○石の礼拝堂
1883年、最初に造られた礼拝堂で全てが大理石で出来ています。
別名「聖母の心臓礼拝堂」とも呼ばれ、正面上部にある聖母マリアの心臓には剣が突き刺さっていて、キリストを失った苦しみが表されています。
内部には、窓の代わりに石の欄間がはめ込まれ、東洋的な松竹梅菊や鳳凰や、人面獅子などの透かし彫りあり、そこから光が差し込みます。
偶然、中学生ぐらいの子供達の見学がこの石の礼拝中で行われていたので入れましたが、普段は鍵がかかっているようでした。
●帰りにガイドブックにも出ていないのですが、綺麗なTon Dao 教会の前も通りました。閉まっていましので、外からの写真です。
ベトナムは、仏教徒が多いのですが、このあたりは、人口の30%がクリスチャンだそうで、小さい教会も沢山ありました。
●お昼はファッジェム教会からニンビン市内(30km)に戻り、
ヤギ焼肉とヤギ鍋を食べました。
ve de nuong lau de
ヤギの焼肉がやわらかくておいしかったです。
●古都ホアルー Co Do Hoa Luへ
986年から1010年、タンロン(現ハノイ)に遷都されるまでの、
丁(ディン)朝(968~980)の都 と
前黎(レ)朝(980~1009)の都 が置かれた所です。
細い道を行くと急に開けた場所にでます。
周りの岩山が自然の要塞なのでしょうか?
のんびりした時間が流れています。
薄紫色のこの水草が沢山ありました。
古都、去る主人と9月30日に行き、詳しく書いていますので、そちらをご覧ください。
丁朝 ディン・ティエン・ホアン
黎朝 レ・ダインハイン帝
1998年1月に遺構が見つかりました。
田んぼの真ん中の少し盛り上がったところです。
K2さん、今日は本当にお世話になりありがとうございました。
ご主人様の優しさが伝わってきました。
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