2005年7月~2006年11月 ベトナムのハノイに住んで、ベトナム生活を満喫しました。
帰国後は、身の回りのこと少し更新しています。良かったらお付き合い下さい。
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2007年3月21日(Wed)
3月17日をもってJR和歌山線 北宇智駅のスイッチバックが廃止されたと、TVで放送していました。関西最後だったそうです。
(全国で後11カ所あると言っていました。)
懐かしくて、思わず見入っていました。
母の実家は和歌山県の高野口です。
幼い頃は家に車が無くて、母の実家に里帰りするときいつも近鉄線で吉野駅から吉野口駅まで乗り(既に電車でした)、吉野口駅で国鉄(現在JR)に乗り換えます。
(吉野駅と吉野口駅は30分ぐらいかかります)
吉野口駅は電車の本数が少なく、恐ろしく近鉄と国鉄の乗り継ぎが悪いのです。
吉野口→北宇智→五条→大和二見→ 隅田→下兵庫→橋本→紀伊山田→高野口 となります。
北宇智駅でポーポーポーと汽笛をならしながら、煙を噴き上げスイッチバックをして進んでいきます。
電車にとっては何でもない勾配なのだそうですが、汽車は動力が弱いので急な勾配は一度に登れないので、スイッチバックをするそうです。
乗っていてそんなに勾配を登っている感じはありませんが、平行にもう1本線路が見えます。
(勿論、単線ですから、スイッチバック用の線路です。)
国鉄に乗ってからも、今は乗り換えがありませんが、当時は五条駅で乗り換えがありました。
何故か鮮明に残っている五条駅でのシーンがあります。
私が3歳~4歳ぐらい。その日は凄く混んでいました。
母は弟を負ぶって両手に荷物を持っているため、手を繋げないので、
私は母の着物の袖をつかみ、はぐれないように必死で付いて歩いて
乗り換えるシーンです。
何十mもなかったのかもしれません。でも子供の足と目線ではきっと
大変だったのでしょうね。
その時の父のは、たぶん仕事があり一緒でなかったのだと思います。
あの汽車に何十回乗ったことでしょう。
私が幼稚園ぐらいの時は、ジーゼル車がほとんどなのですが、まだ汽車も走っていて、窓をあけると方向によってはススが目に入ったりしました。
私が小学校の低学年ぐらいで自家用車を買い、それからは父の運転で母の実家に行くようになったので、もう何十年も乗っていませんが・・・
幼いころの記憶がよみがえり本当に懐かしいです。
写真はTVの1場面で、廃止されるスイッチバックを撮っているアマチュアカメラマンの人たちです。
3月17日をもってJR和歌山線 北宇智駅のスイッチバックが廃止されたと、TVで放送していました。関西最後だったそうです。
(全国で後11カ所あると言っていました。)
懐かしくて、思わず見入っていました。
母の実家は和歌山県の高野口です。
幼い頃は家に車が無くて、母の実家に里帰りするときいつも近鉄線で吉野駅から吉野口駅まで乗り(既に電車でした)、吉野口駅で国鉄(現在JR)に乗り換えます。
(吉野駅と吉野口駅は30分ぐらいかかります)
吉野口駅は電車の本数が少なく、恐ろしく近鉄と国鉄の乗り継ぎが悪いのです。
吉野口→北宇智→五条→大和二見→ 隅田→下兵庫→橋本→紀伊山田→高野口 となります。
北宇智駅でポーポーポーと汽笛をならしながら、煙を噴き上げスイッチバックをして進んでいきます。
電車にとっては何でもない勾配なのだそうですが、汽車は動力が弱いので急な勾配は一度に登れないので、スイッチバックをするそうです。
乗っていてそんなに勾配を登っている感じはありませんが、平行にもう1本線路が見えます。
(勿論、単線ですから、スイッチバック用の線路です。)
国鉄に乗ってからも、今は乗り換えがありませんが、当時は五条駅で乗り換えがありました。
何故か鮮明に残っている五条駅でのシーンがあります。
私が3歳~4歳ぐらい。その日は凄く混んでいました。
母は弟を負ぶって両手に荷物を持っているため、手を繋げないので、
私は母の着物の袖をつかみ、はぐれないように必死で付いて歩いて
乗り換えるシーンです。
何十mもなかったのかもしれません。でも子供の足と目線ではきっと
大変だったのでしょうね。
その時の父のは、たぶん仕事があり一緒でなかったのだと思います。
あの汽車に何十回乗ったことでしょう。
私が幼稚園ぐらいの時は、ジーゼル車がほとんどなのですが、まだ汽車も走っていて、窓をあけると方向によってはススが目に入ったりしました。
私が小学校の低学年ぐらいで自家用車を買い、それからは父の運転で母の実家に行くようになったので、もう何十年も乗っていませんが・・・
幼いころの記憶がよみがえり本当に懐かしいです。
写真はTVの1場面で、廃止されるスイッチバックを撮っているアマチュアカメラマンの人たちです。
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