2005年7月~2006年11月 ベトナムのハノイに住んで、ベトナム生活を満喫しました。
帰国後は、身の回りのこと少し更新しています。良かったらお付き合い下さい。
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2006年10月27日(Fri)
●チェ CHU
ローカルの「チェ サイゴン」と言うお店で チェ CHU を食べました。
いろいろ小豆やゼリー、果物などの甘いものを入れ、カキ氷を少し加えて混ぜて食べます。
3,000VND。小豆が日本の味に近くて、好きな味でした。
チェ屋さんの左隣の店は、歩道で豚肉をバンバン包丁で切り刻んでいました。
●イタリア料理 Luna d'autunaeo
ガーデンスタイルで、涼しくなってきたハノイでは、室内より外の方が気持ちの良い季節です。(ランチ)
モッツアレラ チーズが手作りでなかなかイケル。
目の前の石釜で焼くビザは絶品。
スパゲッティ 野菜のグリル
野菜だけを何の味付けもなく焼くというのも、素朴な野菜の旨みが引き立っていいですね。
ドライトマトも焼いていました。生のトマトより歯ごたえがあって酸味と旨みがありました。
私が「チェサイゴンもイタリアンのLuna d'autunaeoも行ったことない」
と言いましたら、Koさん、Morimoriさん、Iさん、Saさん、Yさんで
またお誘い頂いてありがとうございました。
お陰さまで、また、美味しい思い出が増えました。
お昼から 最後の歴史研究会
「歩こうハノイ6」は、ドンダーの丘を中心にそのあたりのお寺・亭・教会などを編集しています。
もう一度、見に行こうということになりました。
私は、途中から入ったため、見ていない所が沢山あり、今回見ることが出来て良かったです。
●ドンクアン(同光)寺 Chua Dong Quang
1つ目の門「同光寺」 2つ目の門「Chua Dong Quang」
タイソン通りのドンダーの丘の向かいです。
Thinh Quang 村とNan Dong 村の間に出来たお寺だから Dong Quangと言う名前がついたそうです。
境内にあった gac(ガック)という植物。
ヘチマのように棚からぶら下がって実を付けています。
今は、鮮やかなみどりですが、テトのころ赤くなり、その中の種とネトネトのところを餅米と混ぜ、ソイガックという赤いオコワを作ります。
そして、形に入れて(プリンのように)その後、お皿にひっくり返し仏様に供えます。(Sさんより)
中庭に恵みの水を持った観音様。
堂内では、女の人が30人ほど、黒のパンツに茶の上着というお揃いの服を着て、お経を上げていました。
旧暦の毎月7日は、このようなお寺の行事があるそうです。
クアンチュンを祀っています。(ホーチミンさんの写真の後ろ)
1788年、阮恵(グエン・フエ)が自ら帝位に就き、アンチュン(光中)帝と称し、ハノイを中心に北部ベトナムを統治しました。
このあたりの歴史背景は少し複雑ですので、「歩こうハノイ6」が出ましたら、お読み下さい。
左は中庭と本堂の間にあったものです。
写真では分かりにくいですが、鳳凰・龍・麒麟・亀が掘られています。
右は Ban Tho Ong Be と書かれていました。
Ban Tho は祭壇、Ongはおじいさん、Beは小さい子供 の意味だそうです。
確かに子供の顔と頭をしています。
この座り方も何か意味があるのでしょうか?
現在改築工事中の観音堂の天井を見上げると、棟のところに書付がありました。
「仏歴二千五百四十九年建観音堂来大吉」
仏歴という言葉を始めてみました。
今年2006年と言うことは、西暦 BC543年が仏歴の始まりになりますが・・。
<<仏歴をネットで調べました。ウキペディアから一部抜粋>>
仏滅紀元(ぶつめつきげん)とは、釈迦が没した年を紀元とする暦法。仏暦とも言う。東南アジアの仏教徒の多い国などで用いられている。タイでは涅槃に入った年から一年たった年を仏歴紀元にしている。紀元前543年が仏暦紀元となる。
●ナムドン(Nam Dong:南同)教会
カトリック教会(レデンプトール修道会)です。
祭壇には117人の殉教者がイエスを囲んだ大きなレリーフあります。
教会内の壁にはビアドロローザ(十字架の道)の14枚の場面のレリーフがあります。
庭に葉が団扇のような3mほどある大きな「旅人の木」がありました。
旅人の木 : 暑い熱帯地方を旅する人が水がなくなり、渇き切った時に探す木で「旅人の木」と呼ばれ、この木を見つけた旅人がナイフで幹を切ると、冷たくおいしい水が泉のようにあふれ出て、旅人の命を救うそうです。
「渇いている者には、命の水の泉から価なしに飲ませよう」(ヨハネの黙示録21・6)とあり、イエス・キリストは十字架の木の上で、傷つけられた脇腹からあふれ出る命の水を注がれるのだそうです。
シツコイようですが、「歩こうハノイ6」に詳しく載せますので、出来上がったらお読み下さい。
●ドンダー(Dong Da)の丘
ドンダーの丘正面 丘の上にある慰霊碑
丘を反対側に降りて行くとグエン・ヴァン・フエ(阮文恵)のの大きな像があります。
1789年グエン・フエは「ドンダーの戦い」で清(中国)を打破し、クアン・チュン(光中)帝となります。
グエン・ヴァン・フエの像 博物館にあった凱旋の様子
このグエン・フエが清と戦ったとき、ベトナム軍を鼓舞するために呼んだ詩です。
現在のベトナム語 グエン・フエが作ったチューノム
チューノム
ベトナムはもともと漢字文化圏です。
しかし中国語とは違うため、新たなベトナム語を作りました。
その漢字は、意味とベトナム語の発音を組み合わせています。
たとえば、上の写真の一番上のセンテンスの4つ目「DAI」言葉。
ベトナム語で「長い」ことを「DAI:ザイ」と言います。
ベトナム語で「曳」を「ザイ」と発音しました。
そこで中国語の「長」に、ベトナム語の音の「曳」をくっつけて一つの文字としたわけです。
昨日で、私の歴史研究会への参加も終わりました。
私は教えていただくばかり・・・。
お世話になり有難うございました。
「歩こうハノイ6」が出来上がるのを日本で楽しみに待っています。
●チェ CHU
ローカルの「チェ サイゴン」と言うお店で チェ CHU を食べました。
いろいろ小豆やゼリー、果物などの甘いものを入れ、カキ氷を少し加えて混ぜて食べます。
3,000VND。小豆が日本の味に近くて、好きな味でした。
チェ屋さんの左隣の店は、歩道で豚肉をバンバン包丁で切り刻んでいました。
●イタリア料理 Luna d'autunaeo
ガーデンスタイルで、涼しくなってきたハノイでは、室内より外の方が気持ちの良い季節です。(ランチ)
モッツアレラ チーズが手作りでなかなかイケル。
目の前の石釜で焼くビザは絶品。
スパゲッティ 野菜のグリル
野菜だけを何の味付けもなく焼くというのも、素朴な野菜の旨みが引き立っていいですね。
ドライトマトも焼いていました。生のトマトより歯ごたえがあって酸味と旨みがありました。
私が「チェサイゴンもイタリアンのLuna d'autunaeoも行ったことない」
と言いましたら、Koさん、Morimoriさん、Iさん、Saさん、Yさんで
またお誘い頂いてありがとうございました。
お陰さまで、また、美味しい思い出が増えました。
お昼から 最後の歴史研究会
「歩こうハノイ6」は、ドンダーの丘を中心にそのあたりのお寺・亭・教会などを編集しています。
もう一度、見に行こうということになりました。
私は、途中から入ったため、見ていない所が沢山あり、今回見ることが出来て良かったです。
●ドンクアン(同光)寺 Chua Dong Quang
1つ目の門「同光寺」 2つ目の門「Chua Dong Quang」
タイソン通りのドンダーの丘の向かいです。
Thinh Quang 村とNan Dong 村の間に出来たお寺だから Dong Quangと言う名前がついたそうです。
境内にあった gac(ガック)という植物。
ヘチマのように棚からぶら下がって実を付けています。
今は、鮮やかなみどりですが、テトのころ赤くなり、その中の種とネトネトのところを餅米と混ぜ、ソイガックという赤いオコワを作ります。
そして、形に入れて(プリンのように)その後、お皿にひっくり返し仏様に供えます。(Sさんより)
中庭に恵みの水を持った観音様。
堂内では、女の人が30人ほど、黒のパンツに茶の上着というお揃いの服を着て、お経を上げていました。
旧暦の毎月7日は、このようなお寺の行事があるそうです。
クアンチュンを祀っています。(ホーチミンさんの写真の後ろ)
1788年、阮恵(グエン・フエ)が自ら帝位に就き、アンチュン(光中)帝と称し、ハノイを中心に北部ベトナムを統治しました。
このあたりの歴史背景は少し複雑ですので、「歩こうハノイ6」が出ましたら、お読み下さい。
左は中庭と本堂の間にあったものです。
写真では分かりにくいですが、鳳凰・龍・麒麟・亀が掘られています。
右は Ban Tho Ong Be と書かれていました。
Ban Tho は祭壇、Ongはおじいさん、Beは小さい子供 の意味だそうです。
確かに子供の顔と頭をしています。
この座り方も何か意味があるのでしょうか?
現在改築工事中の観音堂の天井を見上げると、棟のところに書付がありました。
「仏歴二千五百四十九年建観音堂来大吉」
仏歴という言葉を始めてみました。
今年2006年と言うことは、西暦 BC543年が仏歴の始まりになりますが・・。
<<仏歴をネットで調べました。ウキペディアから一部抜粋>>
仏滅紀元(ぶつめつきげん)とは、釈迦が没した年を紀元とする暦法。仏暦とも言う。東南アジアの仏教徒の多い国などで用いられている。タイでは涅槃に入った年から一年たった年を仏歴紀元にしている。紀元前543年が仏暦紀元となる。
●ナムドン(Nam Dong:南同)教会
カトリック教会(レデンプトール修道会)です。
祭壇には117人の殉教者がイエスを囲んだ大きなレリーフあります。
教会内の壁にはビアドロローザ(十字架の道)の14枚の場面のレリーフがあります。
庭に葉が団扇のような3mほどある大きな「旅人の木」がありました。
旅人の木 : 暑い熱帯地方を旅する人が水がなくなり、渇き切った時に探す木で「旅人の木」と呼ばれ、この木を見つけた旅人がナイフで幹を切ると、冷たくおいしい水が泉のようにあふれ出て、旅人の命を救うそうです。
「渇いている者には、命の水の泉から価なしに飲ませよう」(ヨハネの黙示録21・6)とあり、イエス・キリストは十字架の木の上で、傷つけられた脇腹からあふれ出る命の水を注がれるのだそうです。
シツコイようですが、「歩こうハノイ6」に詳しく載せますので、出来上がったらお読み下さい。
●ドンダー(Dong Da)の丘
ドンダーの丘正面 丘の上にある慰霊碑
丘を反対側に降りて行くとグエン・ヴァン・フエ(阮文恵)のの大きな像があります。
1789年グエン・フエは「ドンダーの戦い」で清(中国)を打破し、クアン・チュン(光中)帝となります。
グエン・ヴァン・フエの像 博物館にあった凱旋の様子
このグエン・フエが清と戦ったとき、ベトナム軍を鼓舞するために呼んだ詩です。
現在のベトナム語 グエン・フエが作ったチューノム
チューノム
ベトナムはもともと漢字文化圏です。
しかし中国語とは違うため、新たなベトナム語を作りました。
その漢字は、意味とベトナム語の発音を組み合わせています。
たとえば、上の写真の一番上のセンテンスの4つ目「DAI」言葉。
ベトナム語で「長い」ことを「DAI:ザイ」と言います。
ベトナム語で「曳」を「ザイ」と発音しました。
そこで中国語の「長」に、ベトナム語の音の「曳」をくっつけて一つの文字としたわけです。
昨日で、私の歴史研究会への参加も終わりました。
私は教えていただくばかり・・・。
お世話になり有難うございました。
「歩こうハノイ6」が出来上がるのを日本で楽しみに待っています。
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