2005年7月~2006年11月 ベトナムのハノイに住んで、ベトナム生活を満喫しました。
帰国後は、身の回りのこと少し更新しています。良かったらお付き合い下さい。
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●法隆寺金堂展 於:奈良国立博物館
博物館内や2つのお寺の中は撮影禁止でした。
![法隆寺金堂展1](https://blog.cnobi.jp/v1/blog/user/6aeefb952703e4d70fc4cdf6c7f908a4/1216621007?w=185&h=246)
あと、3日で終わりとなった、7月19日、思い立って行ってきました。
金堂に安置されてきた日本最古の四天王像(飛鳥時代)。
持国天、増長天、広目天、多聞天。
阿弥陀三尊像や再現された壁画・・・
かすかに残った彩色から、造られた当時の華やかさに思いをはせます。
![奈良の鹿](https://blog.cnobi.jp/v1/blog/user/6aeefb952703e4d70fc4cdf6c7f908a4/1216621071?w=200&h=149)
国立博物館の前の池に咲いていた蓮 餌の持っていない私には近づいてこない鹿
●新薬師寺
![バサラ](https://blog.cnobi.jp/v1/blog/user/6aeefb952703e4d70fc4cdf6c7f908a4/1216767384?w=185&h=246)
パンフレットに載っているバサラ
新薬師寺は聖武天皇の病気平癒祈願のため、光明皇后によってたてられたものです。
「薬師如来坐像」を「十二神将」が囲みます。
十二神将は、土を素材に造られ、彩色されたもので
今でも、群青・緑・青・赤・金泊がかすかに見えます。
十二神将の中でも伐折羅(バサラ)のお顔は、目を見開き、
口を大きく開けて、見ていると吸い込まれそうになります。
お寺の隅で、造立された当時の復元作業のDVDが放映されていました。
本当に彩色豊かな十二神将でした。
当時の人は、こんな綺麗な色の十二神将を見ていたのですね。
新薬師寺の「新」は、「あたらしい」ではなく、「あらたかな」薬師寺と言う意味だそうです。
![新薬師寺蛙](https://blog.cnobi.jp/v1/blog/user/6aeefb952703e4d70fc4cdf6c7f908a4/1216621120?w=200&h=99)
門の内側にあった蛙の置物
「無事に帰れますように」
●白毫寺(びゃくごうじ)
![白毫寺2](https://blog.cnobi.jp/v1/blog/user/6aeefb952703e4d70fc4cdf6c7f908a4/1216621264?w=200&h=156)
参道に、1本だけ萩が咲いていました。
ここは、「萩」と「樹齢400年の五色椿」が綺麗なことで有名なお寺です。
高円山のふもとににあり、
両側が萩の参道を上がると、街が一望できます。
この季節、湿度が高くかすんでいますが、・・・
![白毫寺1](https://blog.cnobi.jp/v1/blog/user/6aeefb952703e4d70fc4cdf6c7f908a4/1216621248?w=200&h=149)
お堂の中には、「閻魔様」。
迫力あるなぁ
博物館内や2つのお寺の中は撮影禁止でした。
あと、3日で終わりとなった、7月19日、思い立って行ってきました。
金堂に安置されてきた日本最古の四天王像(飛鳥時代)。
持国天、増長天、広目天、多聞天。
阿弥陀三尊像や再現された壁画・・・
かすかに残った彩色から、造られた当時の華やかさに思いをはせます。
国立博物館の前の池に咲いていた蓮 餌の持っていない私には近づいてこない鹿
●新薬師寺
パンフレットに載っているバサラ
新薬師寺は聖武天皇の病気平癒祈願のため、光明皇后によってたてられたものです。
「薬師如来坐像」を「十二神将」が囲みます。
十二神将は、土を素材に造られ、彩色されたもので
今でも、群青・緑・青・赤・金泊がかすかに見えます。
十二神将の中でも伐折羅(バサラ)のお顔は、目を見開き、
口を大きく開けて、見ていると吸い込まれそうになります。
お寺の隅で、造立された当時の復元作業のDVDが放映されていました。
本当に彩色豊かな十二神将でした。
当時の人は、こんな綺麗な色の十二神将を見ていたのですね。
新薬師寺の「新」は、「あたらしい」ではなく、「あらたかな」薬師寺と言う意味だそうです。
門の内側にあった蛙の置物
「無事に帰れますように」
●白毫寺(びゃくごうじ)
参道に、1本だけ萩が咲いていました。
ここは、「萩」と「樹齢400年の五色椿」が綺麗なことで有名なお寺です。
高円山のふもとににあり、
両側が萩の参道を上がると、街が一望できます。
この季節、湿度が高くかすんでいますが、・・・
お堂の中には、「閻魔様」。
迫力あるなぁ
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2008年6月6日
リ マ → ロサンゼルス 8時間30分
ロサンゼルス → 関 空 12時間
時差の関係で帰国するのに、二日もかかってしまいます。
2008年6月7日 16:05 無事 関空に到着しました。
●高山病
○高山病予防薬
高山病の薬で“ダイヤモックス”というのがあるとガイドブックで見つけて、
この旅行の出発前に病院へ。(市販されていません)
医師:(分厚い本を広げながら)
「この薬は、緑内障やてんかんの治療薬で高山病に効くとは、どこにもかいていません。
高山病に処方の仕方も書いていません。
飲まない方が良いですよ。
利尿作用が強いという副作用もあります。
保険が利きません。自費です。」
結局、
「お守り代わりに持って行って、なるべく服用しない。
どうしても服用するときは、添乗員に相談する」
という約束で処方してもらいました。
ひどい頭痛などの高山病の症状は出ましたが、幸い飲むこともなく、
この薬の効果の程は分かりませんでした。
○高山病は、年齢と関係ある?
ガイドブックには、
「年齢と共に身体が対応しにくくなるので、年齢が高いほど高山病にかかりやすい」
と書いていたけど・・・
このツアーのメンバーで一番苦しそうだったのは、一番若い新婚さんでした。
比較的元気だったのが、メンバーの中で最高齢の70歳のおばあさんでした。
「若い人は、新陳代謝が活発なので、かかりやすい」
と言った人もいましたが・・・
年齢と高山病は関係があるのでしょうか?
○高山病の初期に酸素が足りなくて頭痛になったとき、
現地ガイドのシマチャンが対処方を教えてくれました。
「大きく息を吸って、停めて・・。
自分の呼吸をコントロール出来たら、ゆっくり息を吐く。」
ようは、深呼吸です。
何度も深呼吸をしましたが、頭痛は取れませんでした。
酸素のカンも売っているのですが・・・・・、
添乗員さんが、
「身体を甘やかしたくないので、なるべく我慢してください。」
と言われ、ひたすら頭痛に耐えていました。(頭痛薬はのみましたが、)
ツアーのメンバーで酸素のお世話になる人はいませんでした。
●紫外線
○持って行って使わなかったものは、サングラスでした。
というのも、体調不良でコンタクトレンズが入らなかったため、
ずっと眼鏡で過ごしていたからです。
そんなわけで、目の紫外線対策が出来ませんでした。
○パスポート
どこの空港か忘れましたが、私のパスポートの写真のページの真ん中
あたりに、小さい懐中電灯のようなもので光を当てていました。
するとそこに、貼ってある顔写真と同じ大きさで、色のない陰影の付いた
同じ顔のものが、浮かび上がってきました。
偽造防止のためだそうです。
当てていた光は、紫外線でした。
●フォルクローレを奏でる楽器
プーノのホテルで夕食の時の生演奏です。
![楽器チャランゴ](https://blog.cnobi.jp/v1/blog/user/6aeefb952703e4d70fc4cdf6c7f908a4/1213592170?w=143&h=200)
チャランゴCharango
![楽器ボンボ](https://blog.cnobi.jp/v1/blog/user/6aeefb952703e4d70fc4cdf6c7f908a4/1213592251?w=200&h=150)
サンポーニャZampona ボンボBombo
フォルクローレというと「コンドルは飛んでいく」が定番のようです。
サンポーニャの風のような響きが、今も耳に残っています。
リ マ → ロサンゼルス 8時間30分
ロサンゼルス → 関 空 12時間
時差の関係で帰国するのに、二日もかかってしまいます。
2008年6月7日 16:05 無事 関空に到着しました。
●高山病
○高山病予防薬
高山病の薬で“ダイヤモックス”というのがあるとガイドブックで見つけて、
この旅行の出発前に病院へ。(市販されていません)
医師:(分厚い本を広げながら)
「この薬は、緑内障やてんかんの治療薬で高山病に効くとは、どこにもかいていません。
高山病に処方の仕方も書いていません。
飲まない方が良いですよ。
利尿作用が強いという副作用もあります。
保険が利きません。自費です。」
結局、
「お守り代わりに持って行って、なるべく服用しない。
どうしても服用するときは、添乗員に相談する」
という約束で処方してもらいました。
ひどい頭痛などの高山病の症状は出ましたが、幸い飲むこともなく、
この薬の効果の程は分かりませんでした。
○高山病は、年齢と関係ある?
ガイドブックには、
「年齢と共に身体が対応しにくくなるので、年齢が高いほど高山病にかかりやすい」
と書いていたけど・・・
このツアーのメンバーで一番苦しそうだったのは、一番若い新婚さんでした。
比較的元気だったのが、メンバーの中で最高齢の70歳のおばあさんでした。
「若い人は、新陳代謝が活発なので、かかりやすい」
と言った人もいましたが・・・
年齢と高山病は関係があるのでしょうか?
○高山病の初期に酸素が足りなくて頭痛になったとき、
現地ガイドのシマチャンが対処方を教えてくれました。
「大きく息を吸って、停めて・・。
自分の呼吸をコントロール出来たら、ゆっくり息を吐く。」
ようは、深呼吸です。
何度も深呼吸をしましたが、頭痛は取れませんでした。
酸素のカンも売っているのですが・・・・・、
添乗員さんが、
「身体を甘やかしたくないので、なるべく我慢してください。」
と言われ、ひたすら頭痛に耐えていました。(頭痛薬はのみましたが、)
ツアーのメンバーで酸素のお世話になる人はいませんでした。
●紫外線
○持って行って使わなかったものは、サングラスでした。
というのも、体調不良でコンタクトレンズが入らなかったため、
ずっと眼鏡で過ごしていたからです。
そんなわけで、目の紫外線対策が出来ませんでした。
○パスポート
どこの空港か忘れましたが、私のパスポートの写真のページの真ん中
あたりに、小さい懐中電灯のようなもので光を当てていました。
するとそこに、貼ってある顔写真と同じ大きさで、色のない陰影の付いた
同じ顔のものが、浮かび上がってきました。
偽造防止のためだそうです。
当てていた光は、紫外線でした。
●フォルクローレを奏でる楽器
プーノのホテルで夕食の時の生演奏です。
チャランゴCharango
サンポーニャZampona ボンボBombo
フォルクローレというと「コンドルは飛んでいく」が定番のようです。
サンポーニャの風のような響きが、今も耳に残っています。
2008年6月5日
いよいよナスカの地上絵を見られます。
「誰が、何のために描いたのか」未だに不明ということです。
100年から800年、海岸から80kmほどのこの乾燥地帯に文化が栄え、200程も絵を描いたそうです。
●3人乗りのセスナでフライト。
「待っている間、地上絵以外にも、沢山線があって分かり難いので、
壁にある地上絵の地図を見て、配置とフライト順番を記憶し、
イメージを膨らませてください」
と、添乗員さん。
![ナスカ地図2](https://blog.cnobi.jp/v1/blog/user/6aeefb952703e4d70fc4cdf6c7f908a4/1213582828?w=144&h=192)
いよいよ私達順番が来ました。期待が膨らむ!
![セスナ2](https://blog.cnobi.jp/v1/blog/user/6aeefb952703e4d70fc4cdf6c7f908a4/1213585089?w=200&h=149)
パイロットのガブリエルさん、
サービス精神旺盛で、私達に少しでも地上絵がよく見えるようにと、
右へ左へ急旋回・・・・、
日本語で地図の番号「イチバン」「ニバン」・・と叫んでくれます。
![クジラ](https://blog.cnobi.jp/v1/blog/user/6aeefb952703e4d70fc4cdf6c7f908a4/1213587511?w=133&h=200)
クジラ
![宇宙飛行士](https://blog.cnobi.jp/v1/blog/user/6aeefb952703e4d70fc4cdf6c7f908a4/1213587586?w=148&h=200)
宇宙飛行士
![猿](https://blog.cnobi.jp/v1/blog/user/6aeefb952703e4d70fc4cdf6c7f908a4/1213587638?w=197&h=200)
猿
![コンドル](https://blog.cnobi.jp/v1/blog/user/6aeefb952703e4d70fc4cdf6c7f908a4/1213587700?w=180&h=200)
コンドル
![クモ](https://blog.cnobi.jp/v1/blog/user/6aeefb952703e4d70fc4cdf6c7f908a4/1213587757?w=195&h=200)
クモ
![オウム](https://blog.cnobi.jp/v1/blog/user/6aeefb952703e4d70fc4cdf6c7f908a4/1213588224?w=126&h=200)
オウム
![手](https://blog.cnobi.jp/v1/blog/user/6aeefb952703e4d70fc4cdf6c7f908a4/1213588274?w=198&h=200)
手
![木](https://blog.cnobi.jp/v1/blog/user/6aeefb952703e4d70fc4cdf6c7f908a4/1213588313?w=173&h=200)
木
写真は、セスナの窓に固定してシャッターを押したけど、
後で見ると光の加減やらで、何を撮ってか分からない写真ばかり・・・。
上空1000mの飛行は、20分ほどで、あっと言う間に終わりました。
「あのテレビで見た地上絵のいくつかを、自分の目で確かめた」
と言う事実だけが残りました。
飛行機酔いこそしませんでしたが、ホント怖かった。
とにかくお天気で良かったです。
天候が悪く霧がでたりすると飛ばないこともあるそうです。
ハイシーズンは10月11月で、ハワイと見間違うほど、日本人だらけだそうで、
そのときは、10人乗りが多いので、真ん中に座ると見えにくいとか・・。
●ミラドールからの地上絵
![ミラドール](https://blog.cnobi.jp/v1/blog/user/6aeefb952703e4d70fc4cdf6c7f908a4/1213593656?w=183&h=182)
ミラドール(観測塔)
地上絵の中をパンアメリカン・ハイウエイが走っていて、その中に高さ20mのミラドール(観測塔)があります。
そこに登ると、真下に、「手」と「木」が見えます。
そこに、エトル・ガルシア・ルカスさんと言うおじいさんがいて、
唯一 政府の許可をとり、ナスカの石に地上を彫って売っています。
★★マリア・ライヘ女史は私財をなげうって、「ナスカ地上絵」の保護と調査をし、砂漠に住んで保存のため箒を持って地上絵を掃いていたそうです。
●帰路につくためリマ空港へ、460kmまたバスで移動です。
Adios アディオス (さよなら)
いよいよナスカの地上絵を見られます。
「誰が、何のために描いたのか」未だに不明ということです。
100年から800年、海岸から80kmほどのこの乾燥地帯に文化が栄え、200程も絵を描いたそうです。
●3人乗りのセスナでフライト。
「待っている間、地上絵以外にも、沢山線があって分かり難いので、
壁にある地上絵の地図を見て、配置とフライト順番を記憶し、
イメージを膨らませてください」
と、添乗員さん。
いよいよ私達順番が来ました。期待が膨らむ!
パイロットのガブリエルさん、
サービス精神旺盛で、私達に少しでも地上絵がよく見えるようにと、
右へ左へ急旋回・・・・、
日本語で地図の番号「イチバン」「ニバン」・・と叫んでくれます。
クジラ
宇宙飛行士
猿
コンドル
クモ
オウム
手
木
写真は、セスナの窓に固定してシャッターを押したけど、
後で見ると光の加減やらで、何を撮ってか分からない写真ばかり・・・。
上空1000mの飛行は、20分ほどで、あっと言う間に終わりました。
「あのテレビで見た地上絵のいくつかを、自分の目で確かめた」
と言う事実だけが残りました。
飛行機酔いこそしませんでしたが、ホント怖かった。
とにかくお天気で良かったです。
天候が悪く霧がでたりすると飛ばないこともあるそうです。
ハイシーズンは10月11月で、ハワイと見間違うほど、日本人だらけだそうで、
そのときは、10人乗りが多いので、真ん中に座ると見えにくいとか・・。
●ミラドールからの地上絵
ミラドール(観測塔)
地上絵の中をパンアメリカン・ハイウエイが走っていて、その中に高さ20mのミラドール(観測塔)があります。
そこに登ると、真下に、「手」と「木」が見えます。
そこに、エトル・ガルシア・ルカスさんと言うおじいさんがいて、
唯一 政府の許可をとり、ナスカの石に地上を彫って売っています。
★★マリア・ライヘ女史は私財をなげうって、「ナスカ地上絵」の保護と調査をし、砂漠に住んで保存のため箒を持って地上絵を掃いていたそうです。
●帰路につくためリマ空港へ、460kmまたバスで移動です。
Adios アディオス (さよなら)
2008年6月4日
世界遺産リマ歴史地区観光
●アルマス広場
旧市街の中心地
![アルマス広場](https://blog.cnobi.jp/v1/blog/user/6aeefb952703e4d70fc4cdf6c7f908a4/1213573513?w=123&h=92)
![アルマス広場](https://blog.cnobi.jp/v1/blog/user/6aeefb952703e4d70fc4cdf6c7f908a4/1213573233?w=200&h=149)
カテドラル:征服者のフランシスコ・ピサロが礎石を置いたペルーでもっとも古くい教会。
カテドラルの左面に細かく彫刻された木製のバルコニーが古くて立派でした。
![アルマス広場](https://blog.cnobi.jp/v1/blog/user/6aeefb952703e4d70fc4cdf6c7f908a4/1213573339?w=200&h=149)
大統領府 リマ市役所が重厚な建物が並んでいます。
●ミラフローレンス地区
緑に囲まれた高級住宅地で南太平洋が一望できますが、あいにく曇天。
![ミラフローレンス2](https://blog.cnobi.jp/v1/blog/user/6aeefb952703e4d70fc4cdf6c7f908a4/1213574347?w=200&h=150)
「恋人達の公園」
公園の真ん中に恋人が抱き合ってキスをしている巨大なモニュメントがあります。
ガイドさんの話では、週末は、目をどこに向けたらいいのと思うほど、カップルで溢れるそうです。
訪れた日は、平日の昼だったので、人出もまばらでした。
●ワカ・プクヤーナ HUACA PUCLLANA
予定になかったのですが、昼食まで少し時間が余ったということで、
ミラフローレンス地区にあるワカ・プクヤーナ遺跡の入り口だけ入場。
![ワカ・プクヤーナ2](https://blog.cnobi.jp/v1/blog/user/6aeefb952703e4d70fc4cdf6c7f908a4/1213575325?w=200&h=149)
この200年から700年頃に栄えたリマ文明の遺跡。
アドへ(日干しレンガ)を積み重ねて造られていて、宗教的な場所だったと言われています。
現在も発掘中。
●飲み物
![クスケーニャビール](https://blog.cnobi.jp/v1/blog/user/6aeefb952703e4d70fc4cdf6c7f908a4/1213577849?w=200&h=149)
ペルービールの銘柄は、クスケーニャCusquena、クリスタルCristal、アレキペーニャArequipenaとあり、いずれも、栓抜きなしで、手でねじって開けます。(ビックリ!)
![チチャモラータ](https://blog.cnobi.jp/v1/blog/user/6aeefb952703e4d70fc4cdf6c7f908a4/1213577917?w=200&h=149)
チチャモラータChicha morada
紫トウモロコシとシナモンとグローブで煮てこしたものに、レモンを加えた飲み物。なかなか美味しい。
![コーラの看板](https://blog.cnobi.jp/v1/blog/user/6aeefb952703e4d70fc4cdf6c7f908a4/1213578050?w=200&h=150)
インカコーラInca kola 街中で見かけた人形付きのコーラの看板
ソフトドリンクと言えば出てきます。かなり甘い。
●黄金博物館
実業家ミゲル・ムヒカ・ガーヨさん個人のコレクションと聞いて驚きました。
地下が黄金を展示する黄金博物館、1Fが武器を集めた武器博物館。
メインの黄金品はモチェ文化、チムー文化、インカ文化などです。
![黄金博物館1](https://blog.cnobi.jp/v1/blog/user/6aeefb952703e4d70fc4cdf6c7f908a4/1213579934?w=200&h=138)
撮影禁止でした。 博物館入り口
ミイラや手術痕のある頭蓋骨や変形された頭蓋骨も展示されていました。
黄金製品では目からエメラルドの涙を流している仮面が有名です。
![黄金博物館3](https://blog.cnobi.jp/v1/blog/user/6aeefb952703e4d70fc4cdf6c7f908a4/1213579969?w=200&h=140)
入場券 絵はがき
●ナスカまで480km バス移動です。
世界遺産リマ歴史地区観光
●アルマス広場
旧市街の中心地
カテドラル:征服者のフランシスコ・ピサロが礎石を置いたペルーでもっとも古くい教会。
カテドラルの左面に細かく彫刻された木製のバルコニーが古くて立派でした。
大統領府 リマ市役所が重厚な建物が並んでいます。
●ミラフローレンス地区
緑に囲まれた高級住宅地で南太平洋が一望できますが、あいにく曇天。
「恋人達の公園」
公園の真ん中に恋人が抱き合ってキスをしている巨大なモニュメントがあります。
ガイドさんの話では、週末は、目をどこに向けたらいいのと思うほど、カップルで溢れるそうです。
訪れた日は、平日の昼だったので、人出もまばらでした。
●ワカ・プクヤーナ HUACA PUCLLANA
予定になかったのですが、昼食まで少し時間が余ったということで、
ミラフローレンス地区にあるワカ・プクヤーナ遺跡の入り口だけ入場。
この200年から700年頃に栄えたリマ文明の遺跡。
アドへ(日干しレンガ)を積み重ねて造られていて、宗教的な場所だったと言われています。
現在も発掘中。
●飲み物
ペルービールの銘柄は、クスケーニャCusquena、クリスタルCristal、アレキペーニャArequipenaとあり、いずれも、栓抜きなしで、手でねじって開けます。(ビックリ!)
チチャモラータChicha morada
紫トウモロコシとシナモンとグローブで煮てこしたものに、レモンを加えた飲み物。なかなか美味しい。
インカコーラInca kola 街中で見かけた人形付きのコーラの看板
ソフトドリンクと言えば出てきます。かなり甘い。
●黄金博物館
実業家ミゲル・ムヒカ・ガーヨさん個人のコレクションと聞いて驚きました。
地下が黄金を展示する黄金博物館、1Fが武器を集めた武器博物館。
メインの黄金品はモチェ文化、チムー文化、インカ文化などです。
撮影禁止でした。 博物館入り口
ミイラや手術痕のある頭蓋骨や変形された頭蓋骨も展示されていました。
黄金製品では目からエメラルドの涙を流している仮面が有名です。
入場券 絵はがき
●ナスカまで480km バス移動です。
2008年6月3日
プーノはペルー南部、アンデスのほぼ中央に位置し標高3,855m。
汽船が就航する湖では、世界で最も高地にあるティティカカ湖があります。
ティティカカ湖は60%がペルーで40%がボリビアで、国境をまたいでいます。
面積は琵琶湖の12倍。
インカの創始者マンコ・カバックがその妹とともに湖に現れ、太陽の島に降り立った・・・・・という伝説があります。
今日も良い天気!! 紫外線が強そう。
しっかり日焼け止めを塗って・・・
プーノの桟橋からモーターボートに乗ってウロス島へ。
現地ガイドさんが、ケチュア語の挨拶の仕方を教えてくれましたで、早速言ってみました。
「ワリキ」 と言うと
「カミ・サラキ」と返してくれました。
“やあ! お元気ですか”の意味だそうです。
ケチュア語は、スペイン人が入って来る前、インカ帝国で使われて言葉です。
今でも、ペルー山岳地帯からボリビアのラ・パスにかけて話されいて、
ウロス島の人々が日常使っている言葉です。
![ウロス島2](https://blog.cnobi.jp/v1/blog/user/6aeefb952703e4d70fc4cdf6c7f908a4/1213333807?w=200&h=150)
左:トトラと呼ばれる葦を積み重ねた“浮島”です。
トトラが群生する中に大小40程の島が浮いています。
右:島の作り方を説明して下さっています。
島に降り立つと、ふわふわして何だか変な感触。
島の人は、裸足で上手に歩きます。
島の全てがトトラでできているので、火災が一番心配だそうです。
島の住民は、皆 協力して生活しています。
誰かが島で決めたルールに違反すると、その人の住まいの下のトトラを
ノコギリで切り離すのだそうです。
![ウロス島5](https://blog.cnobi.jp/v1/blog/user/6aeefb952703e4d70fc4cdf6c7f908a4/1213333869?w=200&h=163)
物々交換の様子 3歳ぐらいの男の子
(袋に詰めてってきた穀類や魚) (いけすの魚を見ています)
![ウロス島7](https://blog.cnobi.jp/v1/blog/user/6aeefb952703e4d70fc4cdf6c7f908a4/1213333901?w=200&h=149)
見張り台 家の前で衣装を借りてハイポーズ
(上下別の色を着るのがおしゃれなのだそうです)
家の屋根にソーラーパネルが付いている家があり、家の中には、テレビもありました。
![ウロス島3](https://blog.cnobi.jp/v1/blog/user/6aeefb952703e4d70fc4cdf6c7f908a4/1213333830?w=200&h=144)
歯磨きにもこのトトラの皮を剥き、しがみます。
![ウロス島9](https://blog.cnobi.jp/v1/blog/user/6aeefb952703e4d70fc4cdf6c7f908a4/1213333944?w=200&h=150)
バルサというトトラで作られた舟に乗り、別の島にある小学校を訪問。
最近ではバルサも中にペットボトルを使っているそうです。
訪問した教室は、1年生と2年生。
普段の生活では、ケチュア語を使っているので、学校ではスペイン語を勉強していました。
ケチュア語とスペイン語で歌を歌ってくれたあと、日本語の歌も元気よく歌ってくれました。
「ショッ ショッ ショジジ ショジジノニハハ・・・・・」
元の歌とはかなり違っていたけど、とても元気よく楽しそうに歌ってくれました。
私達も全員で“ミカンの花咲く丘”をお返しに歌いました。
●プーノからフリアカまでバス移動。
フリアカから飛行機でアレキパ経由でリマへ
やっと低地に戻ってきて、嘘のように頭痛と吐き気が治りました。
高山病は高度を下げると嘘のように治るのですね。
プーノはペルー南部、アンデスのほぼ中央に位置し標高3,855m。
汽船が就航する湖では、世界で最も高地にあるティティカカ湖があります。
ティティカカ湖は60%がペルーで40%がボリビアで、国境をまたいでいます。
面積は琵琶湖の12倍。
インカの創始者マンコ・カバックがその妹とともに湖に現れ、太陽の島に降り立った・・・・・という伝説があります。
今日も良い天気!! 紫外線が強そう。
しっかり日焼け止めを塗って・・・
プーノの桟橋からモーターボートに乗ってウロス島へ。
現地ガイドさんが、ケチュア語の挨拶の仕方を教えてくれましたで、早速言ってみました。
「ワリキ」 と言うと
「カミ・サラキ」と返してくれました。
“やあ! お元気ですか”の意味だそうです。
ケチュア語は、スペイン人が入って来る前、インカ帝国で使われて言葉です。
今でも、ペルー山岳地帯からボリビアのラ・パスにかけて話されいて、
ウロス島の人々が日常使っている言葉です。
左:トトラと呼ばれる葦を積み重ねた“浮島”です。
トトラが群生する中に大小40程の島が浮いています。
右:島の作り方を説明して下さっています。
島に降り立つと、ふわふわして何だか変な感触。
島の人は、裸足で上手に歩きます。
島の全てがトトラでできているので、火災が一番心配だそうです。
島の住民は、皆 協力して生活しています。
誰かが島で決めたルールに違反すると、その人の住まいの下のトトラを
ノコギリで切り離すのだそうです。
物々交換の様子 3歳ぐらいの男の子
(袋に詰めてってきた穀類や魚) (いけすの魚を見ています)
見張り台 家の前で衣装を借りてハイポーズ
(上下別の色を着るのがおしゃれなのだそうです)
家の屋根にソーラーパネルが付いている家があり、家の中には、テレビもありました。
歯磨きにもこのトトラの皮を剥き、しがみます。
バルサというトトラで作られた舟に乗り、別の島にある小学校を訪問。
最近ではバルサも中にペットボトルを使っているそうです。
訪問した教室は、1年生と2年生。
普段の生活では、ケチュア語を使っているので、学校ではスペイン語を勉強していました。
ケチュア語とスペイン語で歌を歌ってくれたあと、日本語の歌も元気よく歌ってくれました。
「ショッ ショッ ショジジ ショジジノニハハ・・・・・」
元の歌とはかなり違っていたけど、とても元気よく楽しそうに歌ってくれました。
私達も全員で“ミカンの花咲く丘”をお返しに歌いました。
●プーノからフリアカまでバス移動。
フリアカから飛行機でアレキパ経由でリマへ
やっと低地に戻ってきて、嘘のように頭痛と吐き気が治りました。
高山病は高度を下げると嘘のように治るのですね。
2008年6月2日
クスコ(海抜3,400m)からシルスタニ遺跡を通りプーノ(海抜3,827m)にバスで向かいます。
バスの走行距離は370Kmです。
●オロペサのパン
クスコから25kmの所にオロペサという街があります。
ここのパンは地元でも大変美味しいことで有名だそうです。
わざわざバスを停めて、現地ガイドさんが丁度焼きたてを2つ買ってきてくれて、皆で分けました。
顔より2回りぐらい大きなパンで、素朴で噛みしめるほど良い味がしました。
![オロペサのパン](https://blog.cnobi.jp/v1/blog/user/6aeefb952703e4d70fc4cdf6c7f908a4/1213323696?w=200&h=149)
●車窓
![瓦工場](https://blog.cnobi.jp/v1/blog/user/6aeefb952703e4d70fc4cdf6c7f908a4/1213323721?w=200&h=149)
瓦 煉瓦を作る工場が並んでいました。
●アンデスの動物
トイレ休憩に寄ったお土産やさんは、アンデスの高地に順応したラクダ科に属するビクーニャ・リャマ・アルパカなどに餌をあげられます。
どれがどれかよく分かりませんでした。
![アルパカ2](https://blog.cnobi.jp/v1/blog/user/6aeefb952703e4d70fc4cdf6c7f908a4/1213323761?w=200&h=148)
ビクーニャが希少価値があり高級で、アルパカの中でもベビーアルパカが高級品だそうです。
![モルモット](https://blog.cnobi.jp/v1/blog/user/6aeefb952703e4d70fc4cdf6c7f908a4/1213323800?w=200&h=146)
右の写真は、普段使われている台所です。
モルモットが沢山飼われていて、これも食用にするのだそうです。
●車窓
![電車](https://blog.cnobi.jp/v1/blog/user/6aeefb952703e4d70fc4cdf6c7f908a4/1213325705?w=200&h=149)
左:フジモリ元大統領の政策で、貧しい人々にもトイレを提供したそうです。
右:3日に1回しか走らない列車、今は観光客専用だそうです。
●ラ・ラヤ
4,335m クスコとプーノの境です。
この旅で一番標高の高いところにいます。
![ラ・ラヤ1](https://blog.cnobi.jp/v1/blog/user/6aeefb952703e4d70fc4cdf6c7f908a4/1213325738?w=200&h=149)
![ラ・ラヤ4](https://blog.cnobi.jp/v1/blog/user/6aeefb952703e4d70fc4cdf6c7f908a4/1213325784?w=200&h=150)
左:山には雪があり、青い空が広がって、空気が薄いです。
冬物のジャンバーを着ていて丁度良いぐらいです。
バスを降りると、抱えきれないほどの商品を持って売りにきます。
右:先ほどの列車が、何もないラ・ラヤ駅に到着しました。
プーノまで行くそうです。
●屋根の上の置物
![屋根の置物](https://blog.cnobi.jp/v1/blog/user/6aeefb952703e4d70fc4cdf6c7f908a4/1213327521?w=200&h=160)
沖縄のシーサーと似ている?
●フリアカ
飛行場があり、ボリビアとの貿易も盛んらしい。
ボリビアの方が物価が低いので、ボリビアの安い商品を買ってペルーで売るそうです。
![アレキパ](https://blog.cnobi.jp/v1/blog/user/6aeefb952703e4d70fc4cdf6c7f908a4/1213327592?w=200&h=149)
日常的な市民の足 道路工事中
●シルスタニ遺跡
プレ・インカ時代からインカ時代にかけてつくられた石塔のお墳墓。
![シレスタニ遺跡4](https://blog.cnobi.jp/v1/blog/user/6aeefb952703e4d70fc4cdf6c7f908a4/1213328820?w=200&h=149)
左:遺跡にウマヨ湖が隣接していて、その中の島に1組の家族が住んでいるそうです。
右:崩れかけた古墳群
![シレスタニ遺跡2](https://blog.cnobi.jp/v1/blog/user/6aeefb952703e4d70fc4cdf6c7f908a4/1213328735?w=200&h=153)
左:巨石を積み上げて作られていて、12mあります。
右:お墓の守りとして彫られています。
東側に小さな窓があり、6月21日の冬至(南半球ですから)に窓から太陽が差し込むそうです。
●プーノ着
標高3,855m。今回宿泊地として、一番高い。
高山病の症状の頭痛、吐き気、食欲不振、睡眠障害 いろいろでました。
旅行社の計らいで、“おかゆ”が出たのが嬉しでした。
クスコ(海抜3,400m)からシルスタニ遺跡を通りプーノ(海抜3,827m)にバスで向かいます。
バスの走行距離は370Kmです。
●オロペサのパン
クスコから25kmの所にオロペサという街があります。
ここのパンは地元でも大変美味しいことで有名だそうです。
わざわざバスを停めて、現地ガイドさんが丁度焼きたてを2つ買ってきてくれて、皆で分けました。
顔より2回りぐらい大きなパンで、素朴で噛みしめるほど良い味がしました。
●車窓
瓦 煉瓦を作る工場が並んでいました。
●アンデスの動物
トイレ休憩に寄ったお土産やさんは、アンデスの高地に順応したラクダ科に属するビクーニャ・リャマ・アルパカなどに餌をあげられます。
どれがどれかよく分かりませんでした。
ビクーニャが希少価値があり高級で、アルパカの中でもベビーアルパカが高級品だそうです。
右の写真は、普段使われている台所です。
モルモットが沢山飼われていて、これも食用にするのだそうです。
●車窓
左:フジモリ元大統領の政策で、貧しい人々にもトイレを提供したそうです。
右:3日に1回しか走らない列車、今は観光客専用だそうです。
●ラ・ラヤ
4,335m クスコとプーノの境です。
この旅で一番標高の高いところにいます。
左:山には雪があり、青い空が広がって、空気が薄いです。
冬物のジャンバーを着ていて丁度良いぐらいです。
バスを降りると、抱えきれないほどの商品を持って売りにきます。
右:先ほどの列車が、何もないラ・ラヤ駅に到着しました。
プーノまで行くそうです。
●屋根の上の置物
沖縄のシーサーと似ている?
●フリアカ
飛行場があり、ボリビアとの貿易も盛んらしい。
ボリビアの方が物価が低いので、ボリビアの安い商品を買ってペルーで売るそうです。
日常的な市民の足 道路工事中
●シルスタニ遺跡
プレ・インカ時代からインカ時代にかけてつくられた石塔のお墳墓。
左:遺跡にウマヨ湖が隣接していて、その中の島に1組の家族が住んでいるそうです。
右:崩れかけた古墳群
左:巨石を積み上げて作られていて、12mあります。
右:お墓の守りとして彫られています。
東側に小さな窓があり、6月21日の冬至(南半球ですから)に窓から太陽が差し込むそうです。
●プーノ着
標高3,855m。今回宿泊地として、一番高い。
高山病の症状の頭痛、吐き気、食欲不振、睡眠障害 いろいろでました。
旅行社の計らいで、“おかゆ”が出たのが嬉しでした。
2008年6月1日
Hola! オラー (やあ!)
高原列車ペルーレイルでマチュピチュへ
マチュピチュはクスコからウルバンバ川に沿って114Km進んだジャングルの中にあります。
![マチュピチュ1](https://blog.cnobi.jp/v1/blog/user/6aeefb952703e4d70fc4cdf6c7f908a4/1213248708?w=200&h=149)
クスコのサン・ペドロ駅からスイッチバックをしながら、4時間、
ゆっくり進み、マチュピチュ村のアグアス・カリエン駅へ。
そこから「ハイラム・ビンガム・ロード」と言われるつづら折りの路をバスで30分登って行きます。
バス乗り場に新しい綺麗なホテルがありました。
現地ガイドさんが、
「ここは、マチュピチュに行くのに便利だけど、絶対泊まりたくない。
だってここは、雨期に洪水が起こって流される危険があるからね。」
と言っていました。
バスを降り、マチュピチュの入場料を払い、虫除けを塗ってさあ出発!
くねくねと山道を徒歩で30分登りつめると、目の前に突然視界が開け、
「空中都市」マチュピチュの風景が広がります。
「マチュピチュ」とは「老いた峰」と言う意味で写真の反対側になり、
写真の山は「ワイナピチュ」と呼ばれ「新しい峰」と言う意味です。
●ワイナピチュ登山
この「ワイナピチュ」に登るコースもあり、入り口管理小屋で名前を書いて朝から7:00ぐらいから登り、夕方16:00には戻って来なくてはならないそうです。凄い絶景でしょうね。
![マチュピチュ7](https://blog.cnobi.jp/v1/blog/user/6aeefb952703e4d70fc4cdf6c7f908a4/1213251982?w=200&h=153)
マチュピチュ 遺跡でのんびりしているリャマ
遺跡の中で芝生に座り、ゆっくり過ごされている欧米人もいました。
ツアーは、忙しいけれど・・・・あのような時間の過ごし方も良いですね。
●マチュピチュの発見
インカの都市はスペイン軍に征服されましたが、2400mにあったマチュピチュは、見つかることなくほぼ無傷で残りました。
インカ滅亡から400年経った1911年、ハイラム・ビンガムによって発見されました。
遺跡の最も古い部分は、プレインカ時代のものがあるそうで、
建造目的もはっきりとは分かっていないらしいのです。
要塞説、神殿説などがありますが、インカ9代皇帝パチャクチィの離宮
という説が有力だそうです。
●上から見ていましたが、遺跡の中に降りていきます。
![マチュピチュ5](https://blog.cnobi.jp/v1/blog/user/6aeefb952703e4d70fc4cdf6c7f908a4/1213251356?w=184&h=246)
段々畑 市街地への入り口
![マチュピチュ9](https://blog.cnobi.jp/v1/blog/user/6aeefb952703e4d70fc4cdf6c7f908a4/1213254250?w=200&h=150)
太陽の神殿 神聖な広場と3つの窓の神殿
![マチュピチュ11](https://blog.cnobi.jp/v1/blog/user/6aeefb952703e4d70fc4cdf6c7f908a4/1213254606?w=200&h=149)
インティワナ(日時計) 水に太陽や星を写し天文の勉強をしたとか
![マチュピチュ20](https://blog.cnobi.jp/v1/blog/user/6aeefb952703e4d70fc4cdf6c7f908a4/1214267091?w=200&h=156)
コンドルの神殿と牢獄 シュウカイドウに似た花がさいていました
●インカ路のトレッキング
ペルーレイルの車窓から、インカ道を歩くトレッキングコースを歩く人が見えました。
現地ガイドさんの話では、3泊4日のツアーであるそうです。
毎日の入山者が500人(ガイドさんを含む)までと決まっていて、しかも公認登山ガイドさんを付けなければならないそうで、ハイシーズンは一年ぐらい前から予約をして入山するそうです。
●マチュピチュのグッバイボーイ
「マチュピチュの帰り道、つづら折りの道をバスがカーブを曲が度に、インカの衣装を着た少年が、近道して“グッバーイ”と言いながら現れるのです。
子供がグッバイボーイによるチップを稼ぐあまり、親が学校へ行かせなくなり、行政から禁止令が出ました。
学校が休みの日は、ひょっとしたら会えるかもしれません。」
という話でした。
ちょうど日曜日であえるかなぁと期待しましたが、現れませんでした。
●ペルーレイル
列車のグレードが3種類あります。
私達の行きは、「バックパッカー」というクラスで車両がとてもシンプルでリーズナブル(一番安い)。
帰りは、「ビスタドーム」というクラスでもっとも一般的列車です。
車両の上部がガラス張りになり、パノラマの風景がたのしめました。
お菓子とドリンク付き。
![マチュピチュ14](https://blog.cnobi.jp/v1/blog/user/6aeefb952703e4d70fc4cdf6c7f908a4/1213255813?w=184&h=246)
車内で白いマスクを被り、小さなリャマの人形を持って踊る「リャマ使いの踊り」が始まりました。
興味深く見ていると、いきなり列車の乗務員さんによるアルパカのセーターなどのファッションショーが始まり、その後ショーで着ていた服の車内販売となりました。
道理で綺麗な乗務員さんだと思いましたよ。(採用の条件に容姿が含まれるそうです)
ハイグレードの列車は「ハイラム・ビンガム・トレイン」という名前で
列車の中でブランチとカクテルがでる豪華列車だそうです。
残念ながら、私達はこの列車ではありませんでした。
●南十字星
ペルーレイルを降り、ホテルまでバスで移動中、クスコの街が見渡せる高台でクスコの夜景と星★をみました。
南十字星が綺麗にみえました。(南半球ですから)
マチュピチュ、良いお天気で良かったです。
雨期に来られた人が、ガスがかかり1m先が見えないほどだったというのを聞いたことがあったので、本当にお天気に感謝します。
●夕食
![マチュピチュ16](https://blog.cnobi.jp/v1/blog/user/6aeefb952703e4d70fc4cdf6c7f908a4/1213256732?w=200&h=149)
ピスコ・サワー ロモ・サルタード
ピスコ・サワーは、葡萄の蒸留酒ピスコに卵白とレモンを加えてシェイクした飲み物。
(高山病が心配で、なめるだけにしましたが、口当たりのよいお酒でした)
Salud サルー (乾杯!)
ロモ・サルタートはペルーの代表料理で、牛肉とピーマン、タマネギ、フライドポテトと炒めています。
日本人の口にも良く合います。
Hola! オラー (やあ!)
高原列車ペルーレイルでマチュピチュへ
マチュピチュはクスコからウルバンバ川に沿って114Km進んだジャングルの中にあります。
クスコのサン・ペドロ駅からスイッチバックをしながら、4時間、
ゆっくり進み、マチュピチュ村のアグアス・カリエン駅へ。
そこから「ハイラム・ビンガム・ロード」と言われるつづら折りの路をバスで30分登って行きます。
バス乗り場に新しい綺麗なホテルがありました。
現地ガイドさんが、
「ここは、マチュピチュに行くのに便利だけど、絶対泊まりたくない。
だってここは、雨期に洪水が起こって流される危険があるからね。」
と言っていました。
バスを降り、マチュピチュの入場料を払い、虫除けを塗ってさあ出発!
くねくねと山道を徒歩で30分登りつめると、目の前に突然視界が開け、
「空中都市」マチュピチュの風景が広がります。
「マチュピチュ」とは「老いた峰」と言う意味で写真の反対側になり、
写真の山は「ワイナピチュ」と呼ばれ「新しい峰」と言う意味です。
●ワイナピチュ登山
この「ワイナピチュ」に登るコースもあり、入り口管理小屋で名前を書いて朝から7:00ぐらいから登り、夕方16:00には戻って来なくてはならないそうです。凄い絶景でしょうね。
マチュピチュ 遺跡でのんびりしているリャマ
遺跡の中で芝生に座り、ゆっくり過ごされている欧米人もいました。
ツアーは、忙しいけれど・・・・あのような時間の過ごし方も良いですね。
●マチュピチュの発見
インカの都市はスペイン軍に征服されましたが、2400mにあったマチュピチュは、見つかることなくほぼ無傷で残りました。
インカ滅亡から400年経った1911年、ハイラム・ビンガムによって発見されました。
遺跡の最も古い部分は、プレインカ時代のものがあるそうで、
建造目的もはっきりとは分かっていないらしいのです。
要塞説、神殿説などがありますが、インカ9代皇帝パチャクチィの離宮
という説が有力だそうです。
●上から見ていましたが、遺跡の中に降りていきます。
段々畑 市街地への入り口
太陽の神殿 神聖な広場と3つの窓の神殿
インティワナ(日時計) 水に太陽や星を写し天文の勉強をしたとか
コンドルの神殿と牢獄 シュウカイドウに似た花がさいていました
●インカ路のトレッキング
ペルーレイルの車窓から、インカ道を歩くトレッキングコースを歩く人が見えました。
現地ガイドさんの話では、3泊4日のツアーであるそうです。
毎日の入山者が500人(ガイドさんを含む)までと決まっていて、しかも公認登山ガイドさんを付けなければならないそうで、ハイシーズンは一年ぐらい前から予約をして入山するそうです。
●マチュピチュのグッバイボーイ
「マチュピチュの帰り道、つづら折りの道をバスがカーブを曲が度に、インカの衣装を着た少年が、近道して“グッバーイ”と言いながら現れるのです。
子供がグッバイボーイによるチップを稼ぐあまり、親が学校へ行かせなくなり、行政から禁止令が出ました。
学校が休みの日は、ひょっとしたら会えるかもしれません。」
という話でした。
ちょうど日曜日であえるかなぁと期待しましたが、現れませんでした。
●ペルーレイル
列車のグレードが3種類あります。
私達の行きは、「バックパッカー」というクラスで車両がとてもシンプルでリーズナブル(一番安い)。
帰りは、「ビスタドーム」というクラスでもっとも一般的列車です。
車両の上部がガラス張りになり、パノラマの風景がたのしめました。
お菓子とドリンク付き。
車内で白いマスクを被り、小さなリャマの人形を持って踊る「リャマ使いの踊り」が始まりました。
興味深く見ていると、いきなり列車の乗務員さんによるアルパカのセーターなどのファッションショーが始まり、その後ショーで着ていた服の車内販売となりました。
道理で綺麗な乗務員さんだと思いましたよ。(採用の条件に容姿が含まれるそうです)
ハイグレードの列車は「ハイラム・ビンガム・トレイン」という名前で
列車の中でブランチとカクテルがでる豪華列車だそうです。
残念ながら、私達はこの列車ではありませんでした。
●南十字星
ペルーレイルを降り、ホテルまでバスで移動中、クスコの街が見渡せる高台でクスコの夜景と星★をみました。
南十字星が綺麗にみえました。(南半球ですから)
マチュピチュ、良いお天気で良かったです。
雨期に来られた人が、ガスがかかり1m先が見えないほどだったというのを聞いたことがあったので、本当にお天気に感謝します。
●夕食
ピスコ・サワー ロモ・サルタード
ピスコ・サワーは、葡萄の蒸留酒ピスコに卵白とレモンを加えてシェイクした飲み物。
(高山病が心配で、なめるだけにしましたが、口当たりのよいお酒でした)
Salud サルー (乾杯!)
ロモ・サルタートはペルーの代表料理で、牛肉とピーマン、タマネギ、フライドポテトと炒めています。
日本人の口にも良く合います。
Buenos dias. ブエノス ディアス!(おはよう)
昨日リマに着いたとき、夜だったので分からなかったのですが・・・
朝、空港まで向かう間の道路を見ていると、オンボロ車の多いこと・・・
我が家の年季の入った車が、綺麗に見えるほど・・・・
リマ(標高100m)から空路クスコ(標高3,300m)へ 1時間15分。
![クスコ空港2](https://blog.cnobi.jp/v1/blog/user/6aeefb952703e4d70fc4cdf6c7f908a4/1213234399?w=200&h=150)
空港でカラフルな民族衣装と音楽でお出迎え。
空港のロビーで日焼け止めクリームを塗り直します。
空港の外に出ると、やはり陽ざしが強くまぶしいです。
赤茶けたオレンジ色の屋根がアンデスの山々へと続いています。
クスコは3,000m以上の高地なので高山病に注意です。
「食事は普段の6分目、暑いお風呂は入らずシャワーのみ。
大声を出さず、ゆっくり歩き深呼吸をする。
水分を多めにとる。」などの注意を守りながら・・・
![クスコ4](https://blog.cnobi.jp/v1/blog/user/6aeefb952703e4d70fc4cdf6c7f908a4/1213236552?w=200&h=149)
![クスコ5](https://blog.cnobi.jp/v1/blog/user/6aeefb952703e4d70fc4cdf6c7f908a4/1213235969?w=200&h=160)
世界遺産クスコ市内を観光。
●サント・ドミンゴ教会(コリカンチャ=太陽の神殿)
![クスコ9](https://blog.cnobi.jp/v1/blog/user/6aeefb952703e4d70fc4cdf6c7f908a4/1213237916?w=200&h=150)
![クスコ8](https://blog.cnobi.jp/v1/blog/user/6aeefb952703e4d70fc4cdf6c7f908a4/1213236882?w=184&h=246)
現在サント・ドミンゴ教会になっているこの場所は、インカ帝国時代にはコリカンチャと呼ばれる太陽の神殿でした。
コリとは黄金、カンチャとは居所を表します。
神殿内は広場を囲む月、太陽、稲妻、虹、星などの部屋からなっていて、部屋は美しい石組みで囲まれ、壁には台形のへこみがあり、そこには金や銀の像が飾られていたそうです。
スペイン人がインカ帝国を滅ぼして、宮殿にあった黄金を持ち去ったそうです。そして、宮殿の上部を壊し、カトリック教会を建てたそうです。
●昼食のレストラン
![クスコ12](https://blog.cnobi.jp/v1/blog/user/6aeefb952703e4d70fc4cdf6c7f908a4/1213238272?w=200&h=150)
だんだん、高山病の軽い症状が出始めました。
食欲が落ちてきています。
右の写真はコカ茶です。高山病予防のため、ホテルやレストランでおいています。(ティーパックのもあります)
独特の香りがありますが、少しでも高山病が防げるのなら、と思い飲みました。
トウモロコシ料理がでました。日本のトウモロコシの4倍ぐらいある大きな粒です。
●タンボ・マチャイ Tambo Machay
バスを降りて遺跡に向かう登り坂の途中に「3765m」の標識を見て、深呼吸しながら一歩一歩ゆっくり登って行きます。空気が薄く感じられます。(富士山と10mぐらいしか違わない)
![クスコ14](https://blog.cnobi.jp/v1/blog/user/6aeefb952703e4d70fc4cdf6c7f908a4/1213239132?w=200&h=149)
聖なる泉と呼ばれ、雨期・乾期に同じ量で水が湧いて、インカ時代の沐浴場だったそうです。
水源は未だに分かっていないそうで、サイフォンの原理で遠くから水を引いているとのことでした。
この水は、美味しいと言って現地の人は飲みますが、止めた方が良いと言われました。
●サクサイワマン城塞 Sacsayhuaman
![クスコ16](https://blog.cnobi.jp/v1/blog/user/6aeefb952703e4d70fc4cdf6c7f908a4/1213242850?w=200&h=149)
クスコの北西にある堅固な要塞跡。
3層の巨石が22回のジグザグを描きながら、360mに渡って続いています。
クスコの街がピューマの形をしていて、その頭の部分にあたります。
この広場で、毎年6月24日 「太陽の祭り インティ・ライミ」
インカ儀式が行われる写真を見せてもらいました。
インカ帝国復活の日の宗教的儀式で南米の三大祭りの一つだそうです。
皇帝が直接司宰するお祭りだそうです。
●大聖堂 カテドラル
![クスコ18](https://blog.cnobi.jp/v1/blog/user/6aeefb952703e4d70fc4cdf6c7f908a4/1213244510?w=200&h=150)
だんだん日も暮れて・・・街の中心にあるアルマス広場に面して建つカテドラルにつきました。
インカ時代のビラコチャ神殿跡に建てられたもので、祭壇やマルコス・サパタが描いた「最後の晩餐」が素晴らしいらしいのですが、入館時間を過ぎていたため、見学できませんでした。
1659年に付けられた南米で一番大きな金が屋根についています。
向かって左が、ヘスス・マリア教会、右がエル・トリウンフォ教会で1536年の建立で、クスコで最初の教会です。
●十二角石
![クスコ19](https://blog.cnobi.jp/v1/blog/user/6aeefb952703e4d70fc4cdf6c7f908a4/1213244948?w=200&h=149)
すっかり日も落ちて、インカの石組みが残る細い路地へ入ると、宗教美術博物館(旧ロカ宮殿)のインカの石壁の中に、あえて12角に石を切った石がありました。
カミソリの刃一枚すら入らないと評判です。
左の写真の現地ガイドさんの左側の大きな石です。
右の写真は、すぐ近くに、インカの王の衣装を着た人が、壁に触らないように見張っています。一緒に写真も撮れます。
●夜ホテルにもどると、高山病の症状の一つである吐き気がして気分が悪くなりました。
夕食は、アンデスの民族音楽フォルクローレを聴きながらの企画でしたがキャンセルして、ホテルで休むことにしました。
見に行きたい気持ちはあるのですが、身体がついてきません。。(涙)
●マラスの塩田
クスコ北西にあるマラス標高3,000mの高地の山間に、プレ・インカ時代から続くマラスの塩田が、棚田のようにあるそうです。
その時代、給料は塩で支払われていたほど貴重な物だったようです。
![マラスの塩2](https://blog.cnobi.jp/v1/blog/user/6aeefb952703e4d70fc4cdf6c7f908a4/1214531501?w=200&h=149)
時間的に行くことは叶いませんでしたが、
「ミネラルが豊富な天然塩で食べても美味しいし、美容にも良い」
と現地ガイドさんが薦めるので、買ってみました。
ほんのりピンクがかって、天然の味がしました。
昨日リマに着いたとき、夜だったので分からなかったのですが・・・
朝、空港まで向かう間の道路を見ていると、オンボロ車の多いこと・・・
我が家の年季の入った車が、綺麗に見えるほど・・・・
リマ(標高100m)から空路クスコ(標高3,300m)へ 1時間15分。
空港でカラフルな民族衣装と音楽でお出迎え。
空港のロビーで日焼け止めクリームを塗り直します。
空港の外に出ると、やはり陽ざしが強くまぶしいです。
赤茶けたオレンジ色の屋根がアンデスの山々へと続いています。
クスコは3,000m以上の高地なので高山病に注意です。
「食事は普段の6分目、暑いお風呂は入らずシャワーのみ。
大声を出さず、ゆっくり歩き深呼吸をする。
水分を多めにとる。」などの注意を守りながら・・・
世界遺産クスコ市内を観光。
●サント・ドミンゴ教会(コリカンチャ=太陽の神殿)
現在サント・ドミンゴ教会になっているこの場所は、インカ帝国時代にはコリカンチャと呼ばれる太陽の神殿でした。
コリとは黄金、カンチャとは居所を表します。
神殿内は広場を囲む月、太陽、稲妻、虹、星などの部屋からなっていて、部屋は美しい石組みで囲まれ、壁には台形のへこみがあり、そこには金や銀の像が飾られていたそうです。
スペイン人がインカ帝国を滅ぼして、宮殿にあった黄金を持ち去ったそうです。そして、宮殿の上部を壊し、カトリック教会を建てたそうです。
●昼食のレストラン
だんだん、高山病の軽い症状が出始めました。
食欲が落ちてきています。
右の写真はコカ茶です。高山病予防のため、ホテルやレストランでおいています。(ティーパックのもあります)
独特の香りがありますが、少しでも高山病が防げるのなら、と思い飲みました。
トウモロコシ料理がでました。日本のトウモロコシの4倍ぐらいある大きな粒です。
●タンボ・マチャイ Tambo Machay
バスを降りて遺跡に向かう登り坂の途中に「3765m」の標識を見て、深呼吸しながら一歩一歩ゆっくり登って行きます。空気が薄く感じられます。(富士山と10mぐらいしか違わない)
聖なる泉と呼ばれ、雨期・乾期に同じ量で水が湧いて、インカ時代の沐浴場だったそうです。
水源は未だに分かっていないそうで、サイフォンの原理で遠くから水を引いているとのことでした。
この水は、美味しいと言って現地の人は飲みますが、止めた方が良いと言われました。
●サクサイワマン城塞 Sacsayhuaman
クスコの北西にある堅固な要塞跡。
3層の巨石が22回のジグザグを描きながら、360mに渡って続いています。
クスコの街がピューマの形をしていて、その頭の部分にあたります。
この広場で、毎年6月24日 「太陽の祭り インティ・ライミ」
インカ儀式が行われる写真を見せてもらいました。
インカ帝国復活の日の宗教的儀式で南米の三大祭りの一つだそうです。
皇帝が直接司宰するお祭りだそうです。
●大聖堂 カテドラル
だんだん日も暮れて・・・街の中心にあるアルマス広場に面して建つカテドラルにつきました。
インカ時代のビラコチャ神殿跡に建てられたもので、祭壇やマルコス・サパタが描いた「最後の晩餐」が素晴らしいらしいのですが、入館時間を過ぎていたため、見学できませんでした。
1659年に付けられた南米で一番大きな金が屋根についています。
向かって左が、ヘスス・マリア教会、右がエル・トリウンフォ教会で1536年の建立で、クスコで最初の教会です。
●十二角石
すっかり日も落ちて、インカの石組みが残る細い路地へ入ると、宗教美術博物館(旧ロカ宮殿)のインカの石壁の中に、あえて12角に石を切った石がありました。
カミソリの刃一枚すら入らないと評判です。
左の写真の現地ガイドさんの左側の大きな石です。
右の写真は、すぐ近くに、インカの王の衣装を着た人が、壁に触らないように見張っています。一緒に写真も撮れます。
●夜ホテルにもどると、高山病の症状の一つである吐き気がして気分が悪くなりました。
夕食は、アンデスの民族音楽フォルクローレを聴きながらの企画でしたがキャンセルして、ホテルで休むことにしました。
見に行きたい気持ちはあるのですが、身体がついてきません。。(涙)
●マラスの塩田
クスコ北西にあるマラス標高3,000mの高地の山間に、プレ・インカ時代から続くマラスの塩田が、棚田のようにあるそうです。
その時代、給料は塩で支払われていたほど貴重な物だったようです。
時間的に行くことは叶いませんでしたが、
「ミネラルが豊富な天然塩で食べても美味しいし、美容にも良い」
と現地ガイドさんが薦めるので、買ってみました。
ほんのりピンクがかって、天然の味がしました。
2008年5月30日 1日目 リマ着
ツアーでペルー旅行。
関空からロサンゼルスへ10時間15分。
ロサンゼルスで4時間のトランジット。
ロサンゼルスからペルーの首都リマのチャベス国際空港まで8時間30分。
アメリカ経由は、「スーツケースの鍵はかけないように」と添乗員さんに言われました。
防犯のため鍵を壊してでも中身を確認するそうです。
リマは南半球のため秋です。
![チャベス国際空港](https://blog.cnobi.jp/v1/blog/user/6aeefb952703e4d70fc4cdf6c7f908a4/1213233515?w=200&h=150)
空気がよどんだ感じがしました。
ちょうど、乾期が始まったところでした。
空港でUS$から現地通貨のソルS/.に両替します。
US$1=S/. 3.39
リマ市内のホテルに夜中01時30分到着。
長旅でクタクタになりながら、部屋に入ると、
ペンキまみれの作業中の脚立が、置き忘れられていました。
安いツアーだからホテルは期待できないことを再認識。
ツアーでペルー旅行。
関空からロサンゼルスへ10時間15分。
ロサンゼルスで4時間のトランジット。
ロサンゼルスからペルーの首都リマのチャベス国際空港まで8時間30分。
アメリカ経由は、「スーツケースの鍵はかけないように」と添乗員さんに言われました。
防犯のため鍵を壊してでも中身を確認するそうです。
リマは南半球のため秋です。
空気がよどんだ感じがしました。
ちょうど、乾期が始まったところでした。
空港でUS$から現地通貨のソルS/.に両替します。
US$1=S/. 3.39
リマ市内のホテルに夜中01時30分到着。
長旅でクタクタになりながら、部屋に入ると、
ペンキまみれの作業中の脚立が、置き忘れられていました。
安いツアーだからホテルは期待できないことを再認識。
6月30日、ペルーへ旅行に行くため、お昼の12時に関空へ。
そしたら、いつもと違う凄い警備。
2Fの通路も全部目張りがしてあり、1Fが見えないようにしてあります。
いったい 何の騒ぎ???
1Fの到着ロビーにオバサマ方が大集合。
写真は4Fから、1Fの集まった人の4分の1を撮ったものです。
ペ・ヨンジュンさんが、6月1日 大阪京セラ ドームで開かれる
「『太王四神記』プレミアム イベント2008 in Japan」に参加するため、
今日、来日するとか・・・・
たまたま4Fにいたヨン様を見にきたオバサンのお友達が、
朝8時から来て1Fで待っているそうです。
そして11時30分の飛行機で来なかったので、
次の16時の飛行機まで待つそうです。
私は興味がないけど・・・凄い人気で~す。