2005年7月~2006年11月 ベトナムのハノイに住んで、ベトナム生活を満喫しました。
帰国後は、身の回りのこと少し更新しています。良かったらお付き合い下さい。
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2006年9月30日(Sat)
オープンツアーを申し込み日帰り 「古都ホアルーとタムコック」に参加。スペイン人、オランダ人、ラオス人、ドイツ人・・日本人は私達2人だけ。
ハノイから車で2時間。ニンビン(Ninh Binh)にあります。
ハノイを出ると直ぐに田園風景画広がり、村人総出で稲刈りの作業中。
田や畑の中に、時々現れる墓。ベトナムは土葬で、3年経ったら骨を掘り出すのだそうです。
下校中の中学生。道路の両脇は稲刈りした後の藁や米が干してあります。
道路一杯に干している藁。これは踏む以外に通れません。
駐車場でバスを降り、ディン・ティエン・ホアン祠の門の前に広場に米を広げて干しています。とにかくどこでも場所があれば干しているのです。
では、ここでホアルーについての説明を・・・
986年建都から1010年にタンロン(現ハノイ)に遷都されるまで
丁(ディン)朝(968~980)の都 と
前黎(レ)朝(980~1009)の都 が置かれた所です。
祠が2つありますが、いずれも小規模です。
●丁(ディン)朝(968~980)
ディン・ティエン・ホアン(丁先皇)(諡:おくりな:死後に尊んで付けられた称号)で、(諱:いみな:貴人の実名を敬っていう)は、ディン・ボ・リン(丁部領)と言います。
ディン・ティエン・ホアンは、10世紀半ば群雄割拠の中、北部ベトナムを統一し、ホアルー(華閭)を首都として国名をダイコーヴィエット(大瞿越)と定めました。
当時、ここはチャンアン(Trang An 長安)と呼ばれていました。
本殿の王像の柱には「長安・・」、扁額には「正統始」と書かれていました。
ディン・ティエン・ホアン祠
上の写真の門をくぐり中に入って行くと
本殿の前に龍のレリーフあります。そこにもたれて英語で説明している赤いシャツの女性が、本日のガイドさん(ベトナム人)。少しだけ日本語を話します。
英語の説明は(私に聞き取る能力がないため)サッパリ分からず、自宅に戻り資料を読んで整理しました。
ディン・ティエン・ホアン王。 横に控える皇族
※※※※※カワウソ伝説※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
(チビクロ777のコメントを頂いて追加します。)
ディン・ボ・リン(丁部領)には、さまざまな伝説が残っています。
『公余捷記』によれば、ディン・ボ・リンの母はある日、大きなカワウソと交わって男の子を生みました。これがディン・ボ・リンです。
このカワウソが村人によって殺されると、母はこの骨を拾ってディン・ボ・リンにこれが父の骨だと教えたと言います。
それ以外の伝説
○ディン・ボ・リンは気性の激しい人で、包囲した敵軍が自分の息子を人質にし、棒に縛りつけ、降参しないと殺すと言って脅かしたところ、
「志を持った男子たるもの、子供のために大事をまげられるか」
と言って、逆に息子めがけて矢を乱射したので、敵は驚き軍を引き返したといいます。
○帝位についてから、法を人に守らせる手段として城門に煮え立った油の入った大鍋と虎の入ったオリを置き、守らない者はそれらで処刑するとして、人々に恐れられたということです。
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
※「ディン・ティエン・ホアン通り(Pho Dinh Tien Hoang)」という通りがハノイにあるのをご存知でしょうか?
ちょうどホアンキエム湖の東側の通りと思ってください。
東京義塾(Dong Kinh Nghia Thuc)広場からハンバイ通り(Pho Hang Bai)の始点まで。
水牛を引いて行く人。のんびり時間が流れます。
●前黎(レ)朝(980~1009)
979年宮廷内部の抗争から長男のディン・リエンは毒殺されます。
一人残された6歳のディン・トゥエが帝位に就き、レ・ホアンが摂政になります。
しかし、中国の宋が侵略してくる気配を察した家来達の推挙により、レ・ホアンは皇帝(在位980~1005)となり、幼帝は廃止されました。
レ・ホアン(黎桓)は、一般的に レ・ダイハイン(黎大行 Le Dai Hanh)と呼ばれています。
レ・ダイハイン祠
レ・ダインハイン帝 レ・ロンディン帝
レ・ダイハインの死後、後を継いだ レ・ロンディン(黎龍鋌)は、残虐な性格に加え女色に溺れ痔疾になり、病の床に就きながら政務を執ったことから臥朝(がちょう)とあだ名されました。
1009年死去。
しかし、後継者がまだ幼かったため、臣下のりー・コン・ウォン(李公蘊)(別名:リータイトー・李太祖)が推挙され、1010年 帝位につきます。そして、都はタンロン(現:ハノイ)へ遷都します。
レ・ホアンから始まったレ朝はわずか3代、29年で滅びました。
タムコックまで車で20分。船着場の近くで昼食。
庶民的なベトナム料理。厚揚げや空芯菜など・・
鶏の串焼きに見えたのが、実はヤギ肉でした。
そう言えば少し硬かった。
タムコック Tam Coc
石灰岩の奇岩渓谷の中を穏やかな小川が流れ、小舟(手漕ぎ)でボートトリップをゆっくり2時間楽しみます。
穏やかな午後です。
船着き場から
日本でボートは後ろ向きに漕ぐと思うのですが、こちらでは櫂の使い方が反対で、前向きに進みます。
足で漕ぐ人もいました。なんと器用!!
タムコックとはベトナム語で「3つの洞窟」を意味するそうです。
舟で3つの鍾乳石の垂れ下がる洞窟を潜り貫けます。
長さは、HANG CA 127m、HANG HAI 60m、HANG BA 45m
高さは最初が30m 後の2つは18m。
洞窟に入って行きます。
途中であった竹の筏
岩にへばり付くように建っている民家の横を通った時、「ベトナムメゾン」と漕ぎ手のオバサンが説明してくれました。
「メゾンとな?」 どう見ても、あばら家。
ここで折り返し1時間。
折り返しを過ぎたところで、漕ぎ手のオバサンが急に漕ぐのを止めて、舟に積んであった梱りを開けました。
その中から、刺繍のテーブルセンターやら、袋、Tシャツ・・が出てきたのです。
「いらない」と言うと
「買って・・買って・・」と言い続けるのです。
買わないと舟を漕いでくれそうにもないので、根負けして買うことに・・・
値段が高かったので、値段交渉をしようとすると、
主人が「このオバサンの生活がかかっているから値切ったるな・・」
主人はベトナム人に甘い!
主人用の趣味の悪~いTシャツを買う羽目に・・・
いよいよ、岸に着くとき、また、後ろで漕ぎ手のオバサンが・・・
「チップ、チップ、チップ チップ・・・・・」
ボート代はちゃんと払っているのですが・・・
チップを払わないと、岸にボートを着けてくれそうにもないのです。
こういう時は、チップは付き物と割り切って・・
帰り道。道路の横を貨物列車が行きました。
その中に、人が乗っていたので・・・(こういうのも有り???)
落ちないように気をつけてください。
ハノイに戻り夕食。
チャーカーラーボン Cha Ca La Vong
雷魚のターメリック炒め
ハノイのチャーカーラー通りある元祖で100年続いているとか。
お店のトレードマークの木の彫り物は、雷魚を釣っているのかなぁ?
炭火の上に鍋が乗っていて、アツアツの雷魚の炒めたものが入っています。それに野菜を入れてかき混ぜます。
ブン麺と一緒に頂きます。
少し脂っこいので、ヌックマムと酢を合わせたタレを混ぜると脂っこさが減り、美味しさ増すように思いました。
ハノイの名物料理だと聞いていたので、一度は食べてみたいと思っていました。
オープンツアーを申し込み日帰り 「古都ホアルーとタムコック」に参加。スペイン人、オランダ人、ラオス人、ドイツ人・・日本人は私達2人だけ。
ハノイから車で2時間。ニンビン(Ninh Binh)にあります。
ハノイを出ると直ぐに田園風景画広がり、村人総出で稲刈りの作業中。
田や畑の中に、時々現れる墓。ベトナムは土葬で、3年経ったら骨を掘り出すのだそうです。
下校中の中学生。道路の両脇は稲刈りした後の藁や米が干してあります。
道路一杯に干している藁。これは踏む以外に通れません。
駐車場でバスを降り、ディン・ティエン・ホアン祠の門の前に広場に米を広げて干しています。とにかくどこでも場所があれば干しているのです。
では、ここでホアルーについての説明を・・・
986年建都から1010年にタンロン(現ハノイ)に遷都されるまで
丁(ディン)朝(968~980)の都 と
前黎(レ)朝(980~1009)の都 が置かれた所です。
祠が2つありますが、いずれも小規模です。
●丁(ディン)朝(968~980)
ディン・ティエン・ホアン(丁先皇)(諡:おくりな:死後に尊んで付けられた称号)で、(諱:いみな:貴人の実名を敬っていう)は、ディン・ボ・リン(丁部領)と言います。
ディン・ティエン・ホアンは、10世紀半ば群雄割拠の中、北部ベトナムを統一し、ホアルー(華閭)を首都として国名をダイコーヴィエット(大瞿越)と定めました。
当時、ここはチャンアン(Trang An 長安)と呼ばれていました。
本殿の王像の柱には「長安・・」、扁額には「正統始」と書かれていました。
ディン・ティエン・ホアン祠
上の写真の門をくぐり中に入って行くと
本殿の前に龍のレリーフあります。そこにもたれて英語で説明している赤いシャツの女性が、本日のガイドさん(ベトナム人)。少しだけ日本語を話します。
英語の説明は(私に聞き取る能力がないため)サッパリ分からず、自宅に戻り資料を読んで整理しました。
ディン・ティエン・ホアン王。 横に控える皇族
※※※※※カワウソ伝説※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
(チビクロ777のコメントを頂いて追加します。)
ディン・ボ・リン(丁部領)には、さまざまな伝説が残っています。
『公余捷記』によれば、ディン・ボ・リンの母はある日、大きなカワウソと交わって男の子を生みました。これがディン・ボ・リンです。
このカワウソが村人によって殺されると、母はこの骨を拾ってディン・ボ・リンにこれが父の骨だと教えたと言います。
それ以外の伝説
○ディン・ボ・リンは気性の激しい人で、包囲した敵軍が自分の息子を人質にし、棒に縛りつけ、降参しないと殺すと言って脅かしたところ、
「志を持った男子たるもの、子供のために大事をまげられるか」
と言って、逆に息子めがけて矢を乱射したので、敵は驚き軍を引き返したといいます。
○帝位についてから、法を人に守らせる手段として城門に煮え立った油の入った大鍋と虎の入ったオリを置き、守らない者はそれらで処刑するとして、人々に恐れられたということです。
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
※「ディン・ティエン・ホアン通り(Pho Dinh Tien Hoang)」という通りがハノイにあるのをご存知でしょうか?
ちょうどホアンキエム湖の東側の通りと思ってください。
東京義塾(Dong Kinh Nghia Thuc)広場からハンバイ通り(Pho Hang Bai)の始点まで。
水牛を引いて行く人。のんびり時間が流れます。
●前黎(レ)朝(980~1009)
979年宮廷内部の抗争から長男のディン・リエンは毒殺されます。
一人残された6歳のディン・トゥエが帝位に就き、レ・ホアンが摂政になります。
しかし、中国の宋が侵略してくる気配を察した家来達の推挙により、レ・ホアンは皇帝(在位980~1005)となり、幼帝は廃止されました。
レ・ホアン(黎桓)は、一般的に レ・ダイハイン(黎大行 Le Dai Hanh)と呼ばれています。
レ・ダイハイン祠
レ・ダインハイン帝 レ・ロンディン帝
レ・ダイハインの死後、後を継いだ レ・ロンディン(黎龍鋌)は、残虐な性格に加え女色に溺れ痔疾になり、病の床に就きながら政務を執ったことから臥朝(がちょう)とあだ名されました。
1009年死去。
しかし、後継者がまだ幼かったため、臣下のりー・コン・ウォン(李公蘊)(別名:リータイトー・李太祖)が推挙され、1010年 帝位につきます。そして、都はタンロン(現:ハノイ)へ遷都します。
レ・ホアンから始まったレ朝はわずか3代、29年で滅びました。
タムコックまで車で20分。船着場の近くで昼食。
庶民的なベトナム料理。厚揚げや空芯菜など・・
鶏の串焼きに見えたのが、実はヤギ肉でした。
そう言えば少し硬かった。
タムコック Tam Coc
石灰岩の奇岩渓谷の中を穏やかな小川が流れ、小舟(手漕ぎ)でボートトリップをゆっくり2時間楽しみます。
穏やかな午後です。
船着き場から
日本でボートは後ろ向きに漕ぐと思うのですが、こちらでは櫂の使い方が反対で、前向きに進みます。
足で漕ぐ人もいました。なんと器用!!
タムコックとはベトナム語で「3つの洞窟」を意味するそうです。
舟で3つの鍾乳石の垂れ下がる洞窟を潜り貫けます。
長さは、HANG CA 127m、HANG HAI 60m、HANG BA 45m
高さは最初が30m 後の2つは18m。
洞窟に入って行きます。
途中であった竹の筏
岩にへばり付くように建っている民家の横を通った時、「ベトナムメゾン」と漕ぎ手のオバサンが説明してくれました。
「メゾンとな?」 どう見ても、あばら家。
ここで折り返し1時間。
折り返しを過ぎたところで、漕ぎ手のオバサンが急に漕ぐのを止めて、舟に積んであった梱りを開けました。
その中から、刺繍のテーブルセンターやら、袋、Tシャツ・・が出てきたのです。
「いらない」と言うと
「買って・・買って・・」と言い続けるのです。
買わないと舟を漕いでくれそうにもないので、根負けして買うことに・・・
値段が高かったので、値段交渉をしようとすると、
主人が「このオバサンの生活がかかっているから値切ったるな・・」
主人はベトナム人に甘い!
主人用の趣味の悪~いTシャツを買う羽目に・・・
いよいよ、岸に着くとき、また、後ろで漕ぎ手のオバサンが・・・
「チップ、チップ、チップ チップ・・・・・」
ボート代はちゃんと払っているのですが・・・
チップを払わないと、岸にボートを着けてくれそうにもないのです。
こういう時は、チップは付き物と割り切って・・
帰り道。道路の横を貨物列車が行きました。
その中に、人が乗っていたので・・・(こういうのも有り???)
落ちないように気をつけてください。
ハノイに戻り夕食。
チャーカーラーボン Cha Ca La Vong
雷魚のターメリック炒め
ハノイのチャーカーラー通りある元祖で100年続いているとか。
お店のトレードマークの木の彫り物は、雷魚を釣っているのかなぁ?
炭火の上に鍋が乗っていて、アツアツの雷魚の炒めたものが入っています。それに野菜を入れてかき混ぜます。
ブン麺と一緒に頂きます。
少し脂っこいので、ヌックマムと酢を合わせたタレを混ぜると脂っこさが減り、美味しさ増すように思いました。
ハノイの名物料理だと聞いていたので、一度は食べてみたいと思っていました。
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盛り沢山!
な、更新でビックリ!いいですね、ホアルー&タムコック!ディン・ボ・リンさんはカワウソ君ですよね♪(伝説)。記事を拝見し、タムコックに一層行きたくなりましたよ。絶対行こう。
田園風景の写真いいですね~。働く子供や水牛の写真最高でした。充実した週末でしたね。お疲れ様でした~!
田園風景の写真いいですね~。働く子供や水牛の写真最高でした。充実した週末でしたね。お疲れ様でした~!
Re:コメント頂いてカワウソ伝説を追加しました。
チビクロ777さん
ホアルーのお寺は、規模の小さいものです。タムコックはゆっくり時間が流れます。機会があったら、あまり期待しないで行ってください。
そして、ディン・ボ・リンさんはカワウソ伝説があるんです。
コメントを頂いてこの伝説も追加しました。ありがとうございます。YU-
ホアルーのお寺は、規模の小さいものです。タムコックはゆっくり時間が流れます。機会があったら、あまり期待しないで行ってください。
そして、ディン・ボ・リンさんはカワウソ伝説があるんです。
コメントを頂いてこの伝説も追加しました。ありがとうございます。YU-