2005年7月~2006年11月 ベトナムのハノイに住んで、ベトナム生活を満喫しました。
帰国後は、身の回りのこと少し更新しています。良かったらお付き合い下さい。
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2006年11月17日(Fri)
コーロア(古螺)城 Thand Co Lon
ハノイから北は車で40分ぐらいの所にドンアイン地域にある、紀元前2~3世紀にあったオーラック国の都のあったコーロアに、Kさんの車で連れて行ってもらいました。
あまり遺跡らしいものも残っていないのか、日本のガイドブックにも紹介されていないし、ミニツアーも企画されていないところです。
Kさんと以前、歴史博物館へ行った時の遺跡の発掘の写真を見たり、10月20日の歴史研究会の講演で、考古学者の西村さんが少しコーロアのことにもふれられたこともあり、一度行って見たいと思っていました。
オーラック国に関する年代記述はいろいろあり、一般的にアンズオン王の時代はBC257~208年とされています。
しかし司馬遷の「史記」によると、オーラック国はBC208年に建国されてたと書かれているそうです。
チョウダも実在の人物なのですが、秦の臣下とも漢の将軍とも記述されていて、伝説と現実が入り交じっています。
コーロアの城塞は、中国の直接支配下以前に築かれたもの、つまりべトナム独自の文化によって造営された城であること、そして、939年、それまでの約1000年にわたる中国支配から独立を勝ち取った英雄ゴクェンが、「真の統一国家べトナム」の首都に、再びこのコーロアを選んだ所だそうです。
紀元前697~682年ヴァンランという国が、フン王によって建国されたと伝説がありますが、史跡は発見されていないため、このコーロア城がベトナムのにおける最古の城の遺跡です。
ここは以前にも載せましたが、キムクイ(金亀)とミーチャウ(媚珠)姫の伝説が有名です。
●村の門を入ると
アンズオン王の銅像 バナナの木
池の中央が深い緑色をしています。そこに弓を引くアンズオン王の銅像が勇ましく私達を迎えてくれました。
池を右に曲がると学校があり、1クラス課外授業なのか、ピンクの服の先生と元気な子供たちの姿がありました。その隣にお寺があります。
●Cua Tam Quan noi ba quan trieu hoi
(Main Porch leading to the Court)三關門(百官上朝面聖之地)
お寺の三関門をくぐると正面に建物がり、その横にミーチャウを祀っていました。三関門は最近建て直されたのか非常に新しく、少しガッカリ。
中の正面には
Noi Vua ngu trieu di quy
Hall where the Court was chaired by the King)皇帝御朝之地
両脇のスペースは博物館のようになっていました。
Trong Dong チョンドンという銅の太鼓です。
ガラスケースに入っていたので、反射してうまくとれていませんが・・
左が横から、右は上からの写真です。
コーロア遺跡の発掘現場 2200年前~2500年前の銅製の斧
向かって左横の建物にミーチャウを祀っていました。
若い女性の黄色い衣を着た頭のない大きな石像です。
これが父親に殺されたミーチャウ姫の石像で、しかもそれが年々成長し、大きくなっているとか?
ミーチャウ姫の石像 Tuong da Cong Chua My Chau
●Cong den Co Loa (The Gate of Co Loa Temle) 蜀安陽王祠廟
車で3分ほど移動した所に、アンズオン王の像とキムクイ(金亀)の弓を祀るお寺があります。
左:伝説のキムクイを形にしたもの
Ban tho No Than Kim Quy (Kim Quy God Altar's Arbalest)
金龜弩神之神位
右:この黄色の服を着たお寺の関係者の奥にアンズオン王の銅像が
ありましたが、撮影禁止でした。
Ban tho Thuc An Duong Vuong (Thuc An Duong Vuong Altar)
蜀安陽王之神位
もう一度簡単に伝説を:
オウラク国の王はアンズオンと言いました。この国にはキムクイ(金亀)の爪から作った魔法の弓があり、どんな敵も倒し、とても栄えました。
チョウダはいくら戦っても勝てないため、息子のチョントイをアウズオンの娘ミーチャウと結婚させます。そしてチョントイは、ミーチャウからキムクイの秘密を知り、弓をすり替え、親が病気と偽って中国に帰っていきます。
この機会にチョウダは王ラク国を攻め滅ぼします。
チョントイが帰国する際、2人が離ればなれになったら、自分の通ったあとにガチョウの羽をまいて居場所を知らせると約束していたのでです。
海辺まで逃げてきたアンズオン王と娘のミーチャウ姫は、居場所を突き止められます。
アンズオン王は、キムクイから「裏切り者はミーチャウだ」と聞き、ミーチャウの首をはねてしまいます。
そして自分はキムクイとともに、海の中に去っていきました。
後を追ってきたチョントイは、首のないミーチャウを見て自分のしたことを悔やみ井戸に身を投げました。
ミーチャウの流した血は海に入って真珠となり、チョントイが自殺した井戸で洗うと輝きが増すそうです。
ある時、河をを下ってきた石を陸に引き上げようとしましたが、引き上げられず、コーロアの遺跡まで来たときやっと引き上げられたそうです。
それで、人々はこの石をミーチャウが家に戻って来たと思い祀ることしたそうです。
(歴史の散歩道より)
●お祭りの日には、こんな風になるそうです。
(展示されていた写真から)
●主人の会社で働いていた秘書さんから、夕食への招待を頂き、ご自宅におじゃましました。
ベトナムの家庭料理をご馳走になりました。ありがとうございました。
ご主人様も早く帰って来てくださって恐縮しています。
秘書さんは日本語を話してくださるので、本当に助かります。
帰りの飛行機のリコンファームもお願いしてしまいました。
優しいご主人様と どうぞ、これからも末永くお幸せに・・・
私の一般的なベトナム人に対する印象をまとめると、組織に対する忠誠心は日本人より低く、同郷の助け合いが強く、強いては家族を最も大切にしていると思います。それが、愛国心に繋がっているように思います。
人に対して思いやりがとてもあり、自分のプライドも高い人が多いように思います。
コーロア(古螺)城 Thand Co Lon
ハノイから北は車で40分ぐらいの所にドンアイン地域にある、紀元前2~3世紀にあったオーラック国の都のあったコーロアに、Kさんの車で連れて行ってもらいました。
あまり遺跡らしいものも残っていないのか、日本のガイドブックにも紹介されていないし、ミニツアーも企画されていないところです。
Kさんと以前、歴史博物館へ行った時の遺跡の発掘の写真を見たり、10月20日の歴史研究会の講演で、考古学者の西村さんが少しコーロアのことにもふれられたこともあり、一度行って見たいと思っていました。
オーラック国に関する年代記述はいろいろあり、一般的にアンズオン王の時代はBC257~208年とされています。
しかし司馬遷の「史記」によると、オーラック国はBC208年に建国されてたと書かれているそうです。
チョウダも実在の人物なのですが、秦の臣下とも漢の将軍とも記述されていて、伝説と現実が入り交じっています。
コーロアの城塞は、中国の直接支配下以前に築かれたもの、つまりべトナム独自の文化によって造営された城であること、そして、939年、それまでの約1000年にわたる中国支配から独立を勝ち取った英雄ゴクェンが、「真の統一国家べトナム」の首都に、再びこのコーロアを選んだ所だそうです。
紀元前697~682年ヴァンランという国が、フン王によって建国されたと伝説がありますが、史跡は発見されていないため、このコーロア城がベトナムのにおける最古の城の遺跡です。
ここは以前にも載せましたが、キムクイ(金亀)とミーチャウ(媚珠)姫の伝説が有名です。
●村の門を入ると
アンズオン王の銅像 バナナの木
池の中央が深い緑色をしています。そこに弓を引くアンズオン王の銅像が勇ましく私達を迎えてくれました。
池を右に曲がると学校があり、1クラス課外授業なのか、ピンクの服の先生と元気な子供たちの姿がありました。その隣にお寺があります。
●Cua Tam Quan noi ba quan trieu hoi
(Main Porch leading to the Court)三關門(百官上朝面聖之地)
お寺の三関門をくぐると正面に建物がり、その横にミーチャウを祀っていました。三関門は最近建て直されたのか非常に新しく、少しガッカリ。
中の正面には
Noi Vua ngu trieu di quy
Hall where the Court was chaired by the King)皇帝御朝之地
両脇のスペースは博物館のようになっていました。
Trong Dong チョンドンという銅の太鼓です。
ガラスケースに入っていたので、反射してうまくとれていませんが・・
左が横から、右は上からの写真です。
コーロア遺跡の発掘現場 2200年前~2500年前の銅製の斧
向かって左横の建物にミーチャウを祀っていました。
若い女性の黄色い衣を着た頭のない大きな石像です。
これが父親に殺されたミーチャウ姫の石像で、しかもそれが年々成長し、大きくなっているとか?
ミーチャウ姫の石像 Tuong da Cong Chua My Chau
●Cong den Co Loa (The Gate of Co Loa Temle) 蜀安陽王祠廟
車で3分ほど移動した所に、アンズオン王の像とキムクイ(金亀)の弓を祀るお寺があります。
左:伝説のキムクイを形にしたもの
Ban tho No Than Kim Quy (Kim Quy God Altar's Arbalest)
金龜弩神之神位
右:この黄色の服を着たお寺の関係者の奥にアンズオン王の銅像が
ありましたが、撮影禁止でした。
Ban tho Thuc An Duong Vuong (Thuc An Duong Vuong Altar)
蜀安陽王之神位
もう一度簡単に伝説を:
オウラク国の王はアンズオンと言いました。この国にはキムクイ(金亀)の爪から作った魔法の弓があり、どんな敵も倒し、とても栄えました。
チョウダはいくら戦っても勝てないため、息子のチョントイをアウズオンの娘ミーチャウと結婚させます。そしてチョントイは、ミーチャウからキムクイの秘密を知り、弓をすり替え、親が病気と偽って中国に帰っていきます。
この機会にチョウダは王ラク国を攻め滅ぼします。
チョントイが帰国する際、2人が離ればなれになったら、自分の通ったあとにガチョウの羽をまいて居場所を知らせると約束していたのでです。
海辺まで逃げてきたアンズオン王と娘のミーチャウ姫は、居場所を突き止められます。
アンズオン王は、キムクイから「裏切り者はミーチャウだ」と聞き、ミーチャウの首をはねてしまいます。
そして自分はキムクイとともに、海の中に去っていきました。
後を追ってきたチョントイは、首のないミーチャウを見て自分のしたことを悔やみ井戸に身を投げました。
ミーチャウの流した血は海に入って真珠となり、チョントイが自殺した井戸で洗うと輝きが増すそうです。
ある時、河をを下ってきた石を陸に引き上げようとしましたが、引き上げられず、コーロアの遺跡まで来たときやっと引き上げられたそうです。
それで、人々はこの石をミーチャウが家に戻って来たと思い祀ることしたそうです。
(歴史の散歩道より)
●お祭りの日には、こんな風になるそうです。
(展示されていた写真から)
●主人の会社で働いていた秘書さんから、夕食への招待を頂き、ご自宅におじゃましました。
ベトナムの家庭料理をご馳走になりました。ありがとうございました。
ご主人様も早く帰って来てくださって恐縮しています。
秘書さんは日本語を話してくださるので、本当に助かります。
帰りの飛行機のリコンファームもお願いしてしまいました。
優しいご主人様と どうぞ、これからも末永くお幸せに・・・
私の一般的なベトナム人に対する印象をまとめると、組織に対する忠誠心は日本人より低く、同郷の助け合いが強く、強いては家族を最も大切にしていると思います。それが、愛国心に繋がっているように思います。
人に対して思いやりがとてもあり、自分のプライドも高い人が多いように思います。
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