2005年7月~2006年11月 ベトナムのハノイに住んで、ベトナム生活を満喫しました。
帰国後は、身の回りのこと少し更新しています。良かったらお付き合い下さい。
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2009年2月3日(火)の節分
吉野蔵王堂では、鬼火の祭典が行われます。
全国から追われてきた悪い鬼に
修験者が「福は内、鬼も内」と唱えながら豆をまくと、
鬼が改心してひれ伏すという全国でも珍しい節分会の行事があります。
鬼の金棒や剣などで肩や頭に触れてもらい無病息災を祈ります。
吉野蔵王堂では、鬼火の祭典が行われます。
全国から追われてきた悪い鬼に
修験者が「福は内、鬼も内」と唱えながら豆をまくと、
鬼が改心してひれ伏すという全国でも珍しい節分会の行事があります。
鬼の金棒や剣などで肩や頭に触れてもらい無病息災を祈ります。
今年のテト(ベトナム旧正月)は2009年1月26日でした。
先日、ホーチミンからベトナム人のLさんが大阪のM先生のところに
来られましたので、私もおまけで参加させて頂きました。
Lさんが、
「Chuc mung nam moi! (チュック ムン ナン モーイ!)」
(あけまして おめでとう の意味)
と言って、ココナッツとフルーツのドライフルーツのお菓子を下さいました。
ベトナムではお正月は、旧正月で祝います。
その時は商店がほとんど休みで、あの喧騒な街もウソのように静かになります。
ハノイでは正月前になると街のあちこちで ピンクの花の桃と金柑の木が
玄関に置かれていました。
ホーチミンでは、黄色い梅の花だそうですが、気温30度のベトナム南部で
梅の花が咲くはずもありません。
ホアマイと称される黄色い花は、実際には梅ではないそうです。
ベトナム人のLさんと皆で、居酒屋さんへ。
その店では、オーダーを店員さんが聞きにくるのではなく、
自分でメニューに“ピッピッ”と、ペンで品物と数量をタッチしてオーダーします。
人件費削減かしら・・・・
そのペンには、MADE IN PRC と書かれ、
「PRCって どこの国?」と思ったら、
「People's Republic of China 中華人民共和国」ですって。
先日、ホーチミンからベトナム人のLさんが大阪のM先生のところに
来られましたので、私もおまけで参加させて頂きました。
Lさんが、
「Chuc mung nam moi! (チュック ムン ナン モーイ!)」
(あけまして おめでとう の意味)
と言って、ココナッツとフルーツのドライフルーツのお菓子を下さいました。
ベトナムではお正月は、旧正月で祝います。
その時は商店がほとんど休みで、あの喧騒な街もウソのように静かになります。
ハノイでは正月前になると街のあちこちで ピンクの花の桃と金柑の木が
玄関に置かれていました。
ホーチミンでは、黄色い梅の花だそうですが、気温30度のベトナム南部で
梅の花が咲くはずもありません。
ホアマイと称される黄色い花は、実際には梅ではないそうです。
ベトナム人のLさんと皆で、居酒屋さんへ。
その店では、オーダーを店員さんが聞きにくるのではなく、
自分でメニューに“ピッピッ”と、ペンで品物と数量をタッチしてオーダーします。
人件費削減かしら・・・・
そのペンには、MADE IN PRC と書かれ、
「PRCって どこの国?」と思ったら、
「People's Republic of China 中華人民共和国」ですって。
2009年1月1日
AM5:00 モーニングコール
6:00には荷物だしを言われていたので、寝ぼけながら準備をしていました。
5:45ごろ非常ベルが鳴り、ドアを開けると、一番近い階段を通じて下の階から白い煙が・・・
焦げ臭い臭いも・・・
スーツケースを閉めるよりも先に
パスポートと貴重品だけもって、反対側の階段で1階ロビーまで・・・
なぜか私達が一番乗り・・・
ホテルの従業員は、対処しようとしない・・・
宿泊客がゾロゾロと集まってきたけど・・・
誘導も説明もないまま、皆、ロビーで待機・・・
添乗員が、「荷物を廊下に出してきましたか?」
「????」
「こんな事情なので保険はおりるでしょうが・・・」
私達の部屋が、火元も直ぐ上にあり、敏感に反応したけど・・・
大きなホテルだったので、遠い部屋の人は、何の気配もなかったようで
のんびり構えていたようです。
火事騒ぎ(ボヤ)は、従業員のタバコの不始末が、キッチンの段ボールに
ついたのが原因だったそうですが・・・・
朝食をとり、気を取り直して、今回の旅行の最終日程へ出発。
・オールドカイロへ
・ガーマ・ムハンマド・アリ
オスマン朝様式の巨大ドームとミナレットをもつモスクへ
内装も大きなシャンデリアやランプがあり豪華でした。
![ムハンマドアリ2](https://blog.cnobi.jp/v1/blog/user/6aeefb952703e4d70fc4cdf6c7f908a4/1233543584?w=150&h=200)
![ムハンマドアリ4](https://blog.cnobi.jp/v1/blog/user/6aeefb952703e4d70fc4cdf6c7f908a4/1233543613?w=200&h=150)
右:中庭には、ルクソール神殿のオベリスクを贈ったお返しに、
フランス政府から贈られた時計が飾ってありました。
今は動いていませんが・・・。
高台にあるので、カイロの全景見渡せました。
・聖ジョージ修道院
![聖ジョージ修道院2](https://blog.cnobi.jp/v1/blog/user/6aeefb952703e4d70fc4cdf6c7f908a4/1233543992?w=150&h=200)
![聖ジョージ修道院4](https://blog.cnobi.jp/v1/blog/user/6aeefb952703e4d70fc4cdf6c7f908a4/1233544022?w=200&h=150)
・コシャリ
![コシャリ](https://blog.cnobi.jp/v1/blog/user/6aeefb952703e4d70fc4cdf6c7f908a4/1233544430?w=200&h=150)
エジプトの「混ぜご飯パスタ」のコシャリは、エジプトの定番のファーストフードです。
(ちょっと脂っこい)
デザートは、甘~い 甘~い シロップ漬けのパイ。
・カイロ博物館
館内は撮影禁止でした。
1階 ロゼッタストーンのレプリカ。
アクエンアテン王の巨像、ハトシェプスト女王のスフィンクス。
書記座像やカ・アペル像、ラーホテプとネフェルトの座像。
廊下にも通路ににも処狭しと展示されています。
とても時間がたりません。
ツタンカーメン王のものが、2階に展示されています。
王の中でも、副葬品か少ないほうだと言われていますが、
もの凄い!!!!!!!
一番有名なのは、ツタンカーメン王の黄金のマスク。
少し暗い展示室は、黄金の輝きを鮮明にします。
ラピスラズリという濃い青色の宝石も印象的です。
ツタンカーメン王の墓の入り口を守っていた2体の立像。
肘掛が翼になり、足はライオンの足をモチーフにしたツタンカーメン王の玉座。
本当に多くの品があります。
ラムセス2世を初め、多くのミーラもありました。
現在、ギザに新しい考古学博物館を建設中だそうです。
・ハンハリーバザール
![ハンアリーバザール5](https://blog.cnobi.jp/v1/blog/user/6aeefb952703e4d70fc4cdf6c7f908a4/1233544964?w=150&h=200)
細い迷路のように何本も道が分かれています。
金属細工や革製品、貝をモザイク模様に貼った工芸品などいろいろです。
![ハンアリーバザール3](https://blog.cnobi.jp/v1/blog/user/6aeefb952703e4d70fc4cdf6c7f908a4/1233544933?w=200&h=150)
趣のあるランプ
![ハンアリーバザール7](https://blog.cnobi.jp/v1/blog/user/6aeefb952703e4d70fc4cdf6c7f908a4/1233544992?w=200&h=150)
ラクダの皮のサンダル シーシャという水パイプ
この後、空港へ
シュクラン(ありがとう)
マッサラーマ(さようなら)
また、ドーハ経由で2009年1月2日 16:00ごろ関空へ着きました。
AM5:00 モーニングコール
6:00には荷物だしを言われていたので、寝ぼけながら準備をしていました。
5:45ごろ非常ベルが鳴り、ドアを開けると、一番近い階段を通じて下の階から白い煙が・・・
焦げ臭い臭いも・・・
スーツケースを閉めるよりも先に
パスポートと貴重品だけもって、反対側の階段で1階ロビーまで・・・
なぜか私達が一番乗り・・・
ホテルの従業員は、対処しようとしない・・・
宿泊客がゾロゾロと集まってきたけど・・・
誘導も説明もないまま、皆、ロビーで待機・・・
添乗員が、「荷物を廊下に出してきましたか?」
「????」
「こんな事情なので保険はおりるでしょうが・・・」
私達の部屋が、火元も直ぐ上にあり、敏感に反応したけど・・・
大きなホテルだったので、遠い部屋の人は、何の気配もなかったようで
のんびり構えていたようです。
火事騒ぎ(ボヤ)は、従業員のタバコの不始末が、キッチンの段ボールに
ついたのが原因だったそうですが・・・・
朝食をとり、気を取り直して、今回の旅行の最終日程へ出発。
・オールドカイロへ
・ガーマ・ムハンマド・アリ
オスマン朝様式の巨大ドームとミナレットをもつモスクへ
内装も大きなシャンデリアやランプがあり豪華でした。
右:中庭には、ルクソール神殿のオベリスクを贈ったお返しに、
フランス政府から贈られた時計が飾ってありました。
今は動いていませんが・・・。
高台にあるので、カイロの全景見渡せました。
・聖ジョージ修道院
・コシャリ
エジプトの「混ぜご飯パスタ」のコシャリは、エジプトの定番のファーストフードです。
(ちょっと脂っこい)
デザートは、甘~い 甘~い シロップ漬けのパイ。
・カイロ博物館
1階 ロゼッタストーンのレプリカ。
アクエンアテン王の巨像、ハトシェプスト女王のスフィンクス。
書記座像やカ・アペル像、ラーホテプとネフェルトの座像。
廊下にも通路ににも処狭しと展示されています。
とても時間がたりません。
ツタンカーメン王のものが、2階に展示されています。
王の中でも、副葬品か少ないほうだと言われていますが、
もの凄い!!!!!!!
一番有名なのは、ツタンカーメン王の黄金のマスク。
少し暗い展示室は、黄金の輝きを鮮明にします。
ラピスラズリという濃い青色の宝石も印象的です。
ツタンカーメン王の墓の入り口を守っていた2体の立像。
肘掛が翼になり、足はライオンの足をモチーフにしたツタンカーメン王の玉座。
本当に多くの品があります。
ラムセス2世を初め、多くのミーラもありました。
現在、ギザに新しい考古学博物館を建設中だそうです。
・ハンハリーバザール
細い迷路のように何本も道が分かれています。
金属細工や革製品、貝をモザイク模様に貼った工芸品などいろいろです。
趣のあるランプ
ラクダの皮のサンダル シーシャという水パイプ
この後、空港へ
シュクラン(ありがとう)
マッサラーマ(さようなら)
また、ドーハ経由で2009年1月2日 16:00ごろ関空へ着きました。
2008年12月31日
・ギザのピラミッド
![ピラミッド1](https://blog.cnobi.jp/v1/blog/user/6aeefb952703e4d70fc4cdf6c7f908a4/1233407077?w=200&h=150)
バスでホテルから10分ほど、街なみの間から、ピラミッドが見えてきます。
(バスの中からの写真です。)
ギザのピラミッドは、約4500円ほど前、古代エジプト王国第4王朝の
時代に造られました。
・クフ王のピラミッド
本来は高さが146mだったそうですが、頂上部分がなくなっていて、
10mほどの鉄の棒が建っています。
本来は、化粧岩で覆われていたようなのですが、今は下のほうにほんの少し残っているだけです。
![クフ王](https://blog.cnobi.jp/v1/blog/user/6aeefb952703e4d70fc4cdf6c7f908a4/1233406995?w=200&h=150)
![クフ王2](https://blog.cnobi.jp/v1/blog/user/6aeefb952703e4d70fc4cdf6c7f908a4/1233407032?w=200&h=150)
近づくと1つの石が、本当に大きい!
ピラミッドへの入り口は、盗掘用として開けられた穴です。
(右の写真の、真ん中あたりに人が集まっているところです)
プラミッドの外をそこまで登り、入り口から入ります。
内部は、急な傾斜で腰をかがまないと進めない低いところもあります。
玄室に向かう回廊は、見上げると石が積みあがっているのが良くわかります。
(内部は撮影禁止)
以前TVでここは、カーの通り道ではないか、というのを見たように思います。
一番奥の玄室は、暗い広い空間にになっていて空気穴がありました。
ピラミッドには、いまだ解明されないピラミッドパワーがあるそうです。
物が腐りにくいとか、怪我が早く良くなったとか?
・カフラ王ピラミッド
![カフラ王1](https://blog.cnobi.jp/v1/blog/user/6aeefb952703e4d70fc4cdf6c7f908a4/1233464393?w=200&h=150)
3つのピラミッドの真ん中にあり、高さ143m。
頂上部にには表面を覆っていた化粧岩も見えます。
・メンカフラ王プラミッド
![メンカフラ王](https://blog.cnobi.jp/v1/blog/user/6aeefb952703e4d70fc4cdf6c7f908a4/1233464479?w=200&h=150)
3大ピラミッドの一番奥にあり、高さ65.5mと3つの中では小さいです。
![らくだ](https://blog.cnobi.jp/v1/blog/user/6aeefb952703e4d70fc4cdf6c7f908a4/1233464748?w=200&h=150)
ちょっとだけラクダに乗って、気分を味わいます。
乗るとき、ラクダは足を曲げて座ってくれますが、立ち上がるとき、
急に高い位置になるので、落ちないように鞍についている前後の棒をつかみます。
・スフォンクス
![スフィンクス2](https://blog.cnobi.jp/v1/blog/user/6aeefb952703e4d70fc4cdf6c7f908a4/1233467199?w=200&h=150)
人面獣身で前長57m、高さ20m。
長いアゴヒゲは大英博物館にあるそうです。
ここでハプニング! 風が吹き、右目に砂が・・・・・・
痛くて目が開けられない!!!!!
急いでコンタクトを外しましたが、右目から涙が出るし、半日
ぼやけていました。
日本に帰ってから、眼科へ・・・
幸いたいしたことにはなっていなくてホットしました。
・ピラミッドの見えるレストランで昼食
![昼食](https://blog.cnobi.jp/v1/blog/user/6aeefb952703e4d70fc4cdf6c7f908a4/1233467440?w=200&h=150)
定番のパンの“アエーシ”
昼食後、バスで移動
・ダフシュールのプラミッド
ギザと違い、砂漠の中にあります。
イメージを大切にするため、この周りには、建物を建ててはいけないことになっているそうです。
・屈折ピラミッド
![屈折ピラミッド2](https://blog.cnobi.jp/v1/blog/user/6aeefb952703e4d70fc4cdf6c7f908a4/1233467574?w=200&h=150)
下部の傾斜は52度、上部の傾斜は43度。
理由ははっきりしないらいのですが、
真正ピラミッドが崩れて失敗したためとか、
王の死が近いので急いだからとか・・・・・
・赤ピラミッド
![赤ピラミッド2](https://blog.cnobi.jp/v1/blog/user/6aeefb952703e4d70fc4cdf6c7f908a4/1233526700?w=200&h=150)
赤い石が使われているので赤ピラミッドと呼ばれています。
断面が二等辺三角形の真正ピラミッドの中では最古だそうです。
中に入りました。
玄室までの階段は、けっこう急です。
それに、奥に行くしたがって、アンモニアの臭いがします。
これは、鳥の糞によるものだそうです。
・メンフィス
メンフィスは上下エジプトを統一したメネス王によって、紀元前3000年頃
首都になり、第6王朝時代が最盛期だったそうです。
現在遺跡の周辺は、農村があるだけです。
ラムセス2世の巨像
![メンフィス2](https://blog.cnobi.jp/v1/blog/user/6aeefb952703e4d70fc4cdf6c7f908a4/1233527450?w=200&h=150)
![メンフィス3](https://blog.cnobi.jp/v1/blog/user/6aeefb952703e4d70fc4cdf6c7f908a4/1233527467?w=200&h=158)
ラムセス2世像の手首にカルツーシュが彫られ、印をもっています。
像の方が建物の入り口より、大きい理由は、
もともと、この像があったところに、この建物を建てたそうです。
![メンフィス6](https://blog.cnobi.jp/v1/blog/user/6aeefb952703e4d70fc4cdf6c7f908a4/1233527516?w=150&h=200)
屋外にもいろいろな石造が展示されていました。
・カイロのホテルで年越し
2008年12月31日 年越しライブがホテルの中庭・プールサイドで行われます。
このホテルは、プールを囲むように建物が建っていて、殆どの部屋がプールに面しています。
ということは、どの部屋もかなりの音量で聞こえてきます。
TV撮影?が入っていました。 ベリーダンス
ホテルのシェフたちの気合の入れようが分かるようなお料理の数々
![ホテル8](https://blog.cnobi.jp/v1/blog/user/6aeefb952703e4d70fc4cdf6c7f908a4/1233527762?w=200&h=150)
疲れていたので、10時ごろには部屋に戻ってきましたよ。
明日の朝は、5時にモーニングコールがあるし。
部屋には、年越しライブに参加用のグッズがベットの上に置いてありました。
せめて、気分だけ・・・
![ホテル2](https://blog.cnobi.jp/v1/blog/user/6aeefb952703e4d70fc4cdf6c7f908a4/1233527673?w=184&h=228)
・ギザのピラミッド
バスでホテルから10分ほど、街なみの間から、ピラミッドが見えてきます。
(バスの中からの写真です。)
ギザのピラミッドは、約4500円ほど前、古代エジプト王国第4王朝の
時代に造られました。
・クフ王のピラミッド
本来は高さが146mだったそうですが、頂上部分がなくなっていて、
10mほどの鉄の棒が建っています。
本来は、化粧岩で覆われていたようなのですが、今は下のほうにほんの少し残っているだけです。
近づくと1つの石が、本当に大きい!
ピラミッドへの入り口は、盗掘用として開けられた穴です。
(右の写真の、真ん中あたりに人が集まっているところです)
プラミッドの外をそこまで登り、入り口から入ります。
内部は、急な傾斜で腰をかがまないと進めない低いところもあります。
玄室に向かう回廊は、見上げると石が積みあがっているのが良くわかります。
(内部は撮影禁止)
以前TVでここは、カーの通り道ではないか、というのを見たように思います。
一番奥の玄室は、暗い広い空間にになっていて空気穴がありました。
ピラミッドには、いまだ解明されないピラミッドパワーがあるそうです。
物が腐りにくいとか、怪我が早く良くなったとか?
・カフラ王ピラミッド
3つのピラミッドの真ん中にあり、高さ143m。
頂上部にには表面を覆っていた化粧岩も見えます。
・メンカフラ王プラミッド
3大ピラミッドの一番奥にあり、高さ65.5mと3つの中では小さいです。
ちょっとだけラクダに乗って、気分を味わいます。
乗るとき、ラクダは足を曲げて座ってくれますが、立ち上がるとき、
急に高い位置になるので、落ちないように鞍についている前後の棒をつかみます。
・スフォンクス
人面獣身で前長57m、高さ20m。
長いアゴヒゲは大英博物館にあるそうです。
ここでハプニング! 風が吹き、右目に砂が・・・・・・
痛くて目が開けられない!!!!!
急いでコンタクトを外しましたが、右目から涙が出るし、半日
ぼやけていました。
日本に帰ってから、眼科へ・・・
幸いたいしたことにはなっていなくてホットしました。
・ピラミッドの見えるレストランで昼食
定番のパンの“アエーシ”
昼食後、バスで移動
・ダフシュールのプラミッド
ギザと違い、砂漠の中にあります。
イメージを大切にするため、この周りには、建物を建ててはいけないことになっているそうです。
・屈折ピラミッド
下部の傾斜は52度、上部の傾斜は43度。
理由ははっきりしないらいのですが、
真正ピラミッドが崩れて失敗したためとか、
王の死が近いので急いだからとか・・・・・
・赤ピラミッド
赤い石が使われているので赤ピラミッドと呼ばれています。
断面が二等辺三角形の真正ピラミッドの中では最古だそうです。
中に入りました。
玄室までの階段は、けっこう急です。
それに、奥に行くしたがって、アンモニアの臭いがします。
これは、鳥の糞によるものだそうです。
・メンフィス
メンフィスは上下エジプトを統一したメネス王によって、紀元前3000年頃
首都になり、第6王朝時代が最盛期だったそうです。
現在遺跡の周辺は、農村があるだけです。
ラムセス2世の巨像
ラムセス2世像の手首にカルツーシュが彫られ、印をもっています。
像の方が建物の入り口より、大きい理由は、
もともと、この像があったところに、この建物を建てたそうです。
屋外にもいろいろな石造が展示されていました。
・カイロのホテルで年越し
2008年12月31日 年越しライブがホテルの中庭・プールサイドで行われます。
このホテルは、プールを囲むように建物が建っていて、殆どの部屋がプールに面しています。
ということは、どの部屋もかなりの音量で聞こえてきます。
TV撮影?が入っていました。 ベリーダンス
ホテルのシェフたちの気合の入れようが分かるようなお料理の数々
疲れていたので、10時ごろには部屋に戻ってきましたよ。
明日の朝は、5時にモーニングコールがあるし。
部屋には、年越しライブに参加用のグッズがベットの上に置いてありました。
せめて、気分だけ・・・
2008年12月30日
・ナイルエキスプレスで早朝ギザ駅に到着
![ナイルエクスプレス8](https://blog.cnobi.jp/v1/blog/user/6aeefb952703e4d70fc4cdf6c7f908a4/1233144750?w=200&h=150)
朝食(炭水化物がメイン)
![ギザ駅2](https://blog.cnobi.jp/v1/blog/user/6aeefb952703e4d70fc4cdf6c7f908a4/1233194930?w=150&h=200)
エジプト人はホームからホームへ線路をまたいで荷物を手渡ししていました。
きっと列車の本数がそんなに多くないのでしょう。
ここから、すぐバスに乗り、地中海沿岸のアレキサンドリアまで移動です。(ちょっとキツイかも)
・アレキサンドリア
アレキサンドリアは紀元前4世紀、アレクサンドロス大王によって建設された街です。
その王朝の最後の女王がクレオパトラはあまりにも有名です。
エジプトの人達の夏の避暑に訪れる場所だけあって、
冬(今)は寒い・・・・。
・コームッシュアーファーのカタコンベ
![カタコンベ2](https://blog.cnobi.jp/v1/blog/user/6aeefb952703e4d70fc4cdf6c7f908a4/1233196066?w=200&h=150)
今まで見た石棺とはずいぶん違い、レリーフがギリシャ風です。
蓋の間に隙間があり、その中に小さいお皿が沢山入っていました。
先祖に供物を備えたあと、その皿も、持ち帰らずそこに残すそうです。
中は撮影禁止でした。特にここは、バスの中にカメラを置いて行くよう
ガイドから指示がありました。
カタコンベとは古代の地下の墓所のことで、門を入って奧に、
庭に井戸のような入り口があり、階段を下りて行きます。
一番奥まったところに小さな部屋が3つコの字ようになっていました。
この時代は、名前を彫らなかったので、誰のお墓かわからないそうなのですが、
王家の谷で見たものと同じ、レリーフが描かれていたりするので、
クレオパトラとシーザーとその息子の3人の墓ではないかと、現在
調査中と言うことでした。
地下には後の集合墓地になった穴も沢山ありました。
・ポンペイの柱
![ポンペイの柱](https://blog.cnobi.jp/v1/blog/user/6aeefb952703e4d70fc4cdf6c7f908a4/1233196707?w=150&h=200)
小高い丘の上に建っています。
ローマ皇帝ディオクレティアヌス帝が建てた図書館の柱の1本と言われ、
高さ27m、アスワンの赤色花崗岩で出来ているそうです。
ガイドさんの話では、誤解から生まれた呼び名だということでしたが、
人物の関係がよくわかりませんでした。
地下に洞窟があり、図書館だった?通路が何本もありました。
・カーイトゥベーイの要塞
![カイトウベイ要塞2](https://blog.cnobi.jp/v1/blog/user/6aeefb952703e4d70fc4cdf6c7f908a4/1233198026?w=200&h=150)
15世紀スルタン・アシュラフ・カーイトゥーベーイによって建てられました。
現在は、海軍博物館になっているそうです。
時雨れてきて、波も高くとても寒かったですよ。
・アレキサンドリア国立博物館
2003年にオープンした博物館で、地下にはファラオの時代、
1Fはグレコローマン時代、2Fは近代とコプト教、イスラムについて
展示されていました。
フラッシュ無しの撮影が許可されていました。
![アレキサンドリア国立博物館1](https://blog.cnobi.jp/v1/blog/user/6aeefb952703e4d70fc4cdf6c7f908a4/1233198758?w=150&h=200)
アメンホテプ4世
![アレキサンドリア国立博物館](https://blog.cnobi.jp/v1/blog/user/6aeefb952703e4d70fc4cdf6c7f908a4/1233198780?w=200&h=150)
![国立博物館8](https://blog.cnobi.jp/v1/blog/user/6aeefb952703e4d70fc4cdf6c7f908a4/1233281787?w=150&h=200)
ミイラの臓器を入れるカノプス壺
ハトホル神 海底から発掘されたものも沢山ありました。
![国立博物館10](https://blog.cnobi.jp/v1/blog/user/6aeefb952703e4d70fc4cdf6c7f908a4/1233281813?w=200&h=150)
1Fはグレコローマン時代 2Fは近代とコプト教
また、バスに乗りカイロまでもどりました。
・ナイルクルーズ 船上でベリーダンス
夕食は、ナイルクルーズしながら、船内でベリーダンスを見ます。
![ベリーダンス](https://blog.cnobi.jp/v1/blog/user/6aeefb952703e4d70fc4cdf6c7f908a4/1233200546?w=200&h=150)
腹部(belly)の特徴的な動きからベリーダンスと言われています。
名のある踊り手は、とっても高給取りだそうです。
タンヌーラ (スーフィーダンスの名前でも知られる旋舞)
![タンヌーラ](https://blog.cnobi.jp/v1/blog/user/6aeefb952703e4d70fc4cdf6c7f908a4/1233200572?w=200&h=150)
ドーナツ状のスカートをくるくる回しながら上下に移動させたり、
頭にかぶったり、とっても技術がいりそうな踊りでした。
最初のパンフレットの案内では、アレキサンドリアは最終日で、
そこから帰国の予定でしたが、その日の便が無いと言うことで
日程が入れ替わりました。
ですから今日は、夜行でギザに着いた上に、
アレキサンドリア往復となりました。
カイロ市内は、交通渋滞がすごいです。
おまけに、夕食はベリーダンスのナイトクルーズだったので
盛りだくさんで 皆、ちょっと疲れ気味・・・。
・ナイルエキスプレスで早朝ギザ駅に到着
朝食(炭水化物がメイン)
エジプト人はホームからホームへ線路をまたいで荷物を手渡ししていました。
きっと列車の本数がそんなに多くないのでしょう。
ここから、すぐバスに乗り、地中海沿岸のアレキサンドリアまで移動です。(ちょっとキツイかも)
・アレキサンドリア
アレキサンドリアは紀元前4世紀、アレクサンドロス大王によって建設された街です。
その王朝の最後の女王がクレオパトラはあまりにも有名です。
エジプトの人達の夏の避暑に訪れる場所だけあって、
冬(今)は寒い・・・・。
・コームッシュアーファーのカタコンベ
今まで見た石棺とはずいぶん違い、レリーフがギリシャ風です。
蓋の間に隙間があり、その中に小さいお皿が沢山入っていました。
先祖に供物を備えたあと、その皿も、持ち帰らずそこに残すそうです。
中は撮影禁止でした。特にここは、バスの中にカメラを置いて行くよう
ガイドから指示がありました。
カタコンベとは古代の地下の墓所のことで、門を入って奧に、
庭に井戸のような入り口があり、階段を下りて行きます。
一番奥まったところに小さな部屋が3つコの字ようになっていました。
この時代は、名前を彫らなかったので、誰のお墓かわからないそうなのですが、
王家の谷で見たものと同じ、レリーフが描かれていたりするので、
クレオパトラとシーザーとその息子の3人の墓ではないかと、現在
調査中と言うことでした。
地下には後の集合墓地になった穴も沢山ありました。
・ポンペイの柱
小高い丘の上に建っています。
ローマ皇帝ディオクレティアヌス帝が建てた図書館の柱の1本と言われ、
高さ27m、アスワンの赤色花崗岩で出来ているそうです。
ガイドさんの話では、誤解から生まれた呼び名だということでしたが、
人物の関係がよくわかりませんでした。
地下に洞窟があり、図書館だった?通路が何本もありました。
・カーイトゥベーイの要塞
15世紀スルタン・アシュラフ・カーイトゥーベーイによって建てられました。
現在は、海軍博物館になっているそうです。
時雨れてきて、波も高くとても寒かったですよ。
・アレキサンドリア国立博物館
2003年にオープンした博物館で、地下にはファラオの時代、
1Fはグレコローマン時代、2Fは近代とコプト教、イスラムについて
展示されていました。
フラッシュ無しの撮影が許可されていました。
アメンホテプ4世
ミイラの臓器を入れるカノプス壺
ハトホル神 海底から発掘されたものも沢山ありました。
1Fはグレコローマン時代 2Fは近代とコプト教
また、バスに乗りカイロまでもどりました。
・ナイルクルーズ 船上でベリーダンス
夕食は、ナイルクルーズしながら、船内でベリーダンスを見ます。
腹部(belly)の特徴的な動きからベリーダンスと言われています。
名のある踊り手は、とっても高給取りだそうです。
タンヌーラ (スーフィーダンスの名前でも知られる旋舞)
ドーナツ状のスカートをくるくる回しながら上下に移動させたり、
頭にかぶったり、とっても技術がいりそうな踊りでした。
最初のパンフレットの案内では、アレキサンドリアは最終日で、
そこから帰国の予定でしたが、その日の便が無いと言うことで
日程が入れ替わりました。
ですから今日は、夜行でギザに着いた上に、
アレキサンドリア往復となりました。
カイロ市内は、交通渋滞がすごいです。
おまけに、夕食はベリーダンスのナイトクルーズだったので
盛りだくさんで 皆、ちょっと疲れ気味・・・。
2008年12月29日
・ナセル湖から登る感動的な朝日
![ナセル湖2](https://blog.cnobi.jp/v1/blog/user/6aeefb952703e4d70fc4cdf6c7f908a4/1233128543?w=200&h=150)
アブシンベル神殿の前で夜明けを待ちます。
(寒いので結構、着込んできました。)
ナセル湖から朝日が出てそれに照らされるアブシンベル神殿は感動的でした。
・アスワンハイダム
エジプトのナセル大統領がソ連の支援を受けて、1960年に起工、その後
完成まで10年以上をかけてアスワン・ハイ・ダムが国家的事業として
建設されました。
高さ111m、全長3,600mの巨大なダムです。
アスワン・ハイ・ダムの完成によって、毎年のように起こっていたナイル川の
氾濫を防止し、水力発電で大きな電力を供給も可能になりましたが、
ナイル川の生態バランスを破壊したなどの批判もあるそうです。
![アスワン2](https://blog.cnobi.jp/v1/blog/user/6aeefb952703e4d70fc4cdf6c7f908a4/1233143513?w=200&h=150)
完成を記念した塔が湖畔に建てられています。
![アスワン4](https://blog.cnobi.jp/v1/blog/user/6aeefb952703e4d70fc4cdf6c7f908a4/1233143549?w=200&h=150)
良いお天気で、気持ちの良い風が吹いていました。
・サハラ砂漠の砂
バスが砂漠の真ん中で停まり、添乗員の方が、
「ここの砂漠の砂は持ち帰ってもいいですよ」と言ったので、
皆、少しずつビニール袋に入れて持ち帰りました。
さらさらとして、靴の中にいっぱい入ってきます。
![サハラ砂漠の砂](https://blog.cnobi.jp/v1/blog/user/6aeefb952703e4d70fc4cdf6c7f908a4/1233191884?w=150&h=200)
カイロでお土産に買った高さ10cmほどの小さなガラスの香水ビンに入れて飾っています。
・イシス神殿
フェイラ島は、古代エジプトの聖なる島とされていました。
イシス神がホルス神を生んだ島だそうです。
この島もアスワンハイダムのために水没するため、隣のアレギルキア島に1980年移転されました。
小さい舟で島に渡ります。
後に建てられた教会の遺跡もあって、コプト十字も壁に残っていました。
![イシス神殿2](https://blog.cnobi.jp/v1/blog/user/6aeefb952703e4d70fc4cdf6c7f908a4/1233144199?w=200&h=150)
![イシス神殿6](https://blog.cnobi.jp/v1/blog/user/6aeefb952703e4d70fc4cdf6c7f908a4/1233144259?w=150&h=200)
![イシス神殿7](https://blog.cnobi.jp/v1/blog/user/6aeefb952703e4d70fc4cdf6c7f908a4/1233144274?w=150&h=200)
・寝台列車(アスワン → キザ)
![ナイルエキスプレス2](https://blog.cnobi.jp/v1/blog/user/6aeefb952703e4d70fc4cdf6c7f908a4/1233144604?w=150&h=200)
アスワン駅 アスワン駅の構内
![ナイルエキスプレス3](https://blog.cnobi.jp/v1/blog/user/6aeefb952703e4d70fc4cdf6c7f908a4/1233144618?w=200&h=156)
アスワン駅ホーム エジプト国鉄のマーク
![ナイルエキスプレス6](https://blog.cnobi.jp/v1/blog/user/6aeefb952703e4d70fc4cdf6c7f908a4/1233144666?w=150&h=200)
左:寝台列車の中のキャビン 扉を開けると小さい洗面台が付いています。
右:機内食のような夕食が終わると、担当の乗務員さんが、
手際よく座席の下にある簡易のハシゴを取り出し、2段ベッドに早変わり。
揺れましたが、思っていたより快適でした。
・ナセル湖から登る感動的な朝日
アブシンベル神殿の前で夜明けを待ちます。
(寒いので結構、着込んできました。)
ナセル湖から朝日が出てそれに照らされるアブシンベル神殿は感動的でした。
・アスワンハイダム
エジプトのナセル大統領がソ連の支援を受けて、1960年に起工、その後
完成まで10年以上をかけてアスワン・ハイ・ダムが国家的事業として
建設されました。
高さ111m、全長3,600mの巨大なダムです。
アスワン・ハイ・ダムの完成によって、毎年のように起こっていたナイル川の
氾濫を防止し、水力発電で大きな電力を供給も可能になりましたが、
ナイル川の生態バランスを破壊したなどの批判もあるそうです。
完成を記念した塔が湖畔に建てられています。
良いお天気で、気持ちの良い風が吹いていました。
・サハラ砂漠の砂
バスが砂漠の真ん中で停まり、添乗員の方が、
「ここの砂漠の砂は持ち帰ってもいいですよ」と言ったので、
皆、少しずつビニール袋に入れて持ち帰りました。
さらさらとして、靴の中にいっぱい入ってきます。
カイロでお土産に買った高さ10cmほどの小さなガラスの香水ビンに入れて飾っています。
・イシス神殿
フェイラ島は、古代エジプトの聖なる島とされていました。
イシス神がホルス神を生んだ島だそうです。
この島もアスワンハイダムのために水没するため、隣のアレギルキア島に1980年移転されました。
小さい舟で島に渡ります。
後に建てられた教会の遺跡もあって、コプト十字も壁に残っていました。
・寝台列車(アスワン → キザ)
アスワン駅 アスワン駅の構内
アスワン駅ホーム エジプト国鉄のマーク
左:寝台列車の中のキャビン 扉を開けると小さい洗面台が付いています。
右:機内食のような夕食が終わると、担当の乗務員さんが、
手際よく座席の下にある簡易のハシゴを取り出し、2段ベッドに早変わり。
揺れましたが、思っていたより快適でした。
2008年12月28日
庭には花が咲き乱れ、ナセル湖も見渡せて、とても素敵なコテージタイプのホテルでした。
![ホテル2](https://blog.cnobi.jp/v1/blog/user/6aeefb952703e4d70fc4cdf6c7f908a4/1233011660?w=200&h=150)
・切り出しのオベリスク
![オベリスク2](https://blog.cnobi.jp/v1/blog/user/6aeefb952703e4d70fc4cdf6c7f908a4/1233011934?w=200&h=150)
何らかの理由で切り出しかけたオベリスクがそのままになっている
石切り場です。いかに大きいかがわかります。
石を切り出すときは、石に切り込みをつけそこに木のクサビを打ち込み
クサビを水で濡らすと、クサビの膨張により石が割れるそうです。
アスワンからアブシンベルへバスで3時間
アスワンの大きなターミナルに集まります。
テロがあって以来、ここからは、アブシンベルへ向かうバスや車は、
警察の警護の下、一列に固まって走ります。
私たちのバスは、一番最後だったので、バスの中の一番前の席に
長い銃を持った警察官が、乗り込みました。
毎日、バスの中は公平になるよう席替えがあります。
その日は、たまたま前から2列目。
私たちの前の席に、その警察官が座ったのでちょっと緊張しましたよ。
見渡す限り砂漠の中を1本の舗装された道路が貫いています。
バスで1時間半ほど走ったところで、蜃気楼が見えました。
![蜃気楼](https://blog.cnobi.jp/v1/blog/user/6aeefb952703e4d70fc4cdf6c7f908a4/1233019492?w=200&h=150)
本当に水があるように見えるのです。
でも、その後バスが進み近づいても何もありませんでした。
道路の上を走っていても、何の目印もありません。
こんな所を、ラクダで旅をしていたら、本当に迷ってしまうかも・・・
と思うぐらい、砂漠の中でした。
・アブシンベル
アブシンベルは北回帰線を越えて、もう後、30kmでスーザンの国境です。
アブシンベル神殿は、アスワンハイダムの建設時に水没するため
ユネスコが国際キャンペーンをして、もとの位置より60m上に移動させたものです。
・アブシンベル大神殿
![アブシンベル2](https://blog.cnobi.jp/v1/blog/user/6aeefb952703e4d70fc4cdf6c7f908a4/1233019725?w=200&h=150)
左:大神殿正面の4体のラムセス2世像は高さ20mもあり、その大きさに圧倒されるばかりです。
左から2つ目の座像は、元の場所でラムセス2世が建築して何年か後に
地震で崩れたもので、そのままの姿で移築してあるそうです。
右:巨像の上に、日の出を喜ぶ22体のヒヒの像が並んでいます。
中は撮影禁止でした。
大列柱室のレリーフは、ヒッタイトとの戦闘場面を描いています。
前室には、ラー神に捧げ物をするラムセス2世と王妃ネフェルタリのレリーフ。
神殿の一番奥にある至聖所には、4体の神像が並びます。
右からラー・ホルアクティ神、神格化したラムセス2世、
アムン・ラー神、プタハ神です。
春分の日と秋分の日には奥の神像に光が届きます。
一番左のプタハ神だけは、ほんの少し離れています。
この神には光があたらないそうです。
・アブシンベル小神殿
最愛の王妃ネフェルタリのために建てた神殿です。
正面にラムセス2世の立像4体とネフェルタリ2体
その足もとに子ども達の像が刻まれています。
内部のレリーフでは、ハトホル柱が印象的でした。
![幸福の鍵](https://blog.cnobi.jp/v1/blog/user/6aeefb952703e4d70fc4cdf6c7f908a4/1233197832?w=200&h=135)
右:神殿の鍵で「幸福の鍵」と言います。
出口で「幸福の鍵」を持って写真を撮るよう薦められ、
後で、1ドル要求されました。
写真を撮らせてもらったチップと思えば良いのですね。
![アブシンベル5](https://blog.cnobi.jp/v1/blog/user/6aeefb952703e4d70fc4cdf6c7f908a4/1233019762?w=200&h=150)
夕日を見ながら、いったんホテルに戻り、また、夕食後
「音と光のショー」を見にきます。
・音と光のショー
ライトアップされた神殿
![アブシンベル7](https://blog.cnobi.jp/v1/blog/user/6aeefb952703e4d70fc4cdf6c7f908a4/1233019792?w=200&h=150)
ラムセス2世の生涯をアブシンベル神殿をスクリーンに見立てて映し出します。
![アブシンベル9](https://blog.cnobi.jp/v1/blog/user/6aeefb952703e4d70fc4cdf6c7f908a4/1233019814?w=200&h=150)
音声ガイドもありましたが、ラッキーにも今回は日本人が多いということで、
スピーカーから流れてくる言語は日本語でした。
ちょっと寒かったけど、沢山着込んで見ていました。
壮大なショーで見ごたえがありました。
庭には花が咲き乱れ、ナセル湖も見渡せて、とても素敵なコテージタイプのホテルでした。
・切り出しのオベリスク
何らかの理由で切り出しかけたオベリスクがそのままになっている
石切り場です。いかに大きいかがわかります。
石を切り出すときは、石に切り込みをつけそこに木のクサビを打ち込み
クサビを水で濡らすと、クサビの膨張により石が割れるそうです。
アスワンからアブシンベルへバスで3時間
アスワンの大きなターミナルに集まります。
テロがあって以来、ここからは、アブシンベルへ向かうバスや車は、
警察の警護の下、一列に固まって走ります。
私たちのバスは、一番最後だったので、バスの中の一番前の席に
長い銃を持った警察官が、乗り込みました。
毎日、バスの中は公平になるよう席替えがあります。
その日は、たまたま前から2列目。
私たちの前の席に、その警察官が座ったのでちょっと緊張しましたよ。
見渡す限り砂漠の中を1本の舗装された道路が貫いています。
バスで1時間半ほど走ったところで、蜃気楼が見えました。
本当に水があるように見えるのです。
でも、その後バスが進み近づいても何もありませんでした。
道路の上を走っていても、何の目印もありません。
こんな所を、ラクダで旅をしていたら、本当に迷ってしまうかも・・・
と思うぐらい、砂漠の中でした。
・アブシンベル
アブシンベルは北回帰線を越えて、もう後、30kmでスーザンの国境です。
アブシンベル神殿は、アスワンハイダムの建設時に水没するため
ユネスコが国際キャンペーンをして、もとの位置より60m上に移動させたものです。
・アブシンベル大神殿
左:大神殿正面の4体のラムセス2世像は高さ20mもあり、その大きさに圧倒されるばかりです。
左から2つ目の座像は、元の場所でラムセス2世が建築して何年か後に
地震で崩れたもので、そのままの姿で移築してあるそうです。
右:巨像の上に、日の出を喜ぶ22体のヒヒの像が並んでいます。
中は撮影禁止でした。
大列柱室のレリーフは、ヒッタイトとの戦闘場面を描いています。
前室には、ラー神に捧げ物をするラムセス2世と王妃ネフェルタリのレリーフ。
神殿の一番奥にある至聖所には、4体の神像が並びます。
右からラー・ホルアクティ神、神格化したラムセス2世、
アムン・ラー神、プタハ神です。
春分の日と秋分の日には奥の神像に光が届きます。
一番左のプタハ神だけは、ほんの少し離れています。
この神には光があたらないそうです。
・アブシンベル小神殿
最愛の王妃ネフェルタリのために建てた神殿です。
正面にラムセス2世の立像4体とネフェルタリ2体
その足もとに子ども達の像が刻まれています。
内部のレリーフでは、ハトホル柱が印象的でした。
右:神殿の鍵で「幸福の鍵」と言います。
出口で「幸福の鍵」を持って写真を撮るよう薦められ、
後で、1ドル要求されました。
写真を撮らせてもらったチップと思えば良いのですね。
夕日を見ながら、いったんホテルに戻り、また、夕食後
「音と光のショー」を見にきます。
・音と光のショー
ライトアップされた神殿
ラムセス2世の生涯をアブシンベル神殿をスクリーンに見立てて映し出します。
音声ガイドもありましたが、ラッキーにも今回は日本人が多いということで、
スピーカーから流れてくる言語は日本語でした。
ちょっと寒かったけど、沢山着込んで見ていました。
壮大なショーで見ごたえがありました。
2008年12月27日
ナイル中流域
●ホルス神殿
エドフという街にあります。
塔門に刻まれたレリーフもとても大きな物です。
門の下に小さく見えているホルス神ですが、近づくと右の写真のように
人よりかなり大きい像です。
![ホルス神殿2](https://blog.cnobi.jp/v1/blog/user/6aeefb952703e4d70fc4cdf6c7f908a4/1232972013?w=149&h=200)
壁面のレリーフの保存状態が良い神殿でした。
レリーフは彫るほうが簡単なのだそうですが、ここのはレリーフが浮き出しています。
![ホルス神殿6](https://blog.cnobi.jp/v1/blog/user/6aeefb952703e4d70fc4cdf6c7f908a4/1232946248?w=200&h=150)
プトレマイオス朝のものだっそうです。
至聖所の手前の前室の天井が黒くすすけているのは、後にキリスト教徒が
台所として使ったためだとガイドさんが言っていました。
![ホルス神殿3](https://blog.cnobi.jp/v1/blog/user/6aeefb952703e4d70fc4cdf6c7f908a4/1232946199?w=200&h=150)
●コム・オンボ神殿
コムオンボにあります。地名はアラビア語でオリンポスという意味だそうです。
プトレマイオス朝に建てられ、ローマ皇帝アウグストス時代に完成し、
ギリシャ的な印象を受けます。
![コム・オンボ2](https://blog.cnobi.jp/v1/blog/user/6aeefb952703e4d70fc4cdf6c7f908a4/1232947269?w=200&h=150)
![コム・オンボ4](https://blog.cnobi.jp/v1/blog/user/6aeefb952703e4d70fc4cdf6c7f908a4/1232947298?w=200&h=150)
右:王は、この井戸でナイル川の水位を確かめたそうです。
●ファルーカでナイル川セーリング
![ファルーカ2](https://blog.cnobi.jp/v1/blog/user/6aeefb952703e4d70fc4cdf6c7f908a4/1232948046?w=200&h=150)
アスワン近くのナイル川でファールーカというエンジンなし小船に乗りました。
この辺は、ヌビア地方と言い、色黒でちぢれた髪をもつ人が増えます。
エジプトに支配されていましたが、独特の文化とヌビア語をもつそうです。
(話し言葉だけで、文字が無いとか・・)
舟を操っていたヌビア人の人が、タンバリンのようなものを叩きながら
ヌビア語の歌を歌ってくれました。
・昼食
![ミックスジュース](https://blog.cnobi.jp/v1/blog/user/6aeefb952703e4d70fc4cdf6c7f908a4/1232949161?w=200&h=150)
左:エジプトシチューのダーゲン(魚・牛・鶏)から選びます。
右:ミックスジュースを注文したら、3層に分かれたジュースがきました。確かにミックス。
![レストランで](https://blog.cnobi.jp/v1/blog/user/6aeefb952703e4d70fc4cdf6c7f908a4/1232949200?w=200&h=150)
レストラン入り口で手作りのものを売っていました。
アスワンまで移動
1年前のガソリン代は、1Lが20円だったのが、今は1Lが35円だそうです。
値上がりしたとは言え、日本より遥かに安いですね。
・アスワン
・ヌビア博物館
夜9時まで開館していましたので、アスワンにあるホテルにチャックインした後、
フリータイムにゆっくり見ることができました。
ユネスコの援助で1997年オープンした博物館で、ヌビアの視点からの歴史や、
アブ・シンベル神殿の移築作業の模型もありました。
![ヌビア博物館2](https://blog.cnobi.jp/v1/blog/user/6aeefb952703e4d70fc4cdf6c7f908a4/1232949454?w=200&h=150)
ナイル中流域
●ホルス神殿
エドフという街にあります。
塔門に刻まれたレリーフもとても大きな物です。
門の下に小さく見えているホルス神ですが、近づくと右の写真のように
人よりかなり大きい像です。
壁面のレリーフの保存状態が良い神殿でした。
レリーフは彫るほうが簡単なのだそうですが、ここのはレリーフが浮き出しています。
プトレマイオス朝のものだっそうです。
至聖所の手前の前室の天井が黒くすすけているのは、後にキリスト教徒が
台所として使ったためだとガイドさんが言っていました。
●コム・オンボ神殿
コムオンボにあります。地名はアラビア語でオリンポスという意味だそうです。
プトレマイオス朝に建てられ、ローマ皇帝アウグストス時代に完成し、
ギリシャ的な印象を受けます。
右:王は、この井戸でナイル川の水位を確かめたそうです。
●ファルーカでナイル川セーリング
アスワン近くのナイル川でファールーカというエンジンなし小船に乗りました。
この辺は、ヌビア地方と言い、色黒でちぢれた髪をもつ人が増えます。
エジプトに支配されていましたが、独特の文化とヌビア語をもつそうです。
(話し言葉だけで、文字が無いとか・・)
舟を操っていたヌビア人の人が、タンバリンのようなものを叩きながら
ヌビア語の歌を歌ってくれました。
・昼食
左:エジプトシチューのダーゲン(魚・牛・鶏)から選びます。
右:ミックスジュースを注文したら、3層に分かれたジュースがきました。確かにミックス。
レストラン入り口で手作りのものを売っていました。
アスワンまで移動
1年前のガソリン代は、1Lが20円だったのが、今は1Lが35円だそうです。
値上がりしたとは言え、日本より遥かに安いですね。
・アスワン
・ヌビア博物館
夜9時まで開館していましたので、アスワンにあるホテルにチャックインした後、
フリータイムにゆっくり見ることができました。
ユネスコの援助で1997年オープンした博物館で、ヌビアの視点からの歴史や、
アブ・シンベル神殿の移築作業の模型もありました。