2005年7月~2006年11月 ベトナムのハノイに住んで、ベトナム生活を満喫しました。
帰国後は、身の回りのこと少し更新しています。良かったらお付き合い下さい。
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2008年2月2日
知り合いの日本舞踊の先生が、大阪日本橋にある国立文楽劇場で
第1回「日本の未来を考える」 原点の日本舞踊
と題して、日本舞踊の会を開催されました。
重要無形文化財保持者(人間国宝)の特別出演もあり、伝統文化の美しさと奥深さに触れる一日でした。
撮影禁止でしたので、綺麗な舞姿をアップ出来ないのが残念です。
解説より抜粋
演目
★清元「山姥」
「山姥もの」というのは、山姥を源頼光の四天王の一人である坂田金時(怪童丸)の母として、足柄山中で怪童丸を育てるという筋立ての舞踊劇をさします。
常磐津やその他の「山姥もの」よりも後に出来ただけに、参考作品の長所を活かして作られています。
全曲は相当長く登場人物も山姥、怪童丸、山樵の3人が繰り広げる大曲ですが、今回はその中の一番の眼目の「山めぐり」の件を素踊り・独舞での上演です。
★長唄「外記猿」
子猿をつれた大道芸の猿回しが、とある屋敷に呼ばれて庭先で芸をします。
お染久松の物語の四つ竹という小道具を巧みに使って表現してみたり、狂言小舞の飛騨踊り等が踊られたりします。
★長唄「鷺娘」
しんしんと降りつもる雪、真夜中の水辺にはなぜか白無垢の美しい娘が一人たたずんでいます。
この娘は「白鷺の精」です。
その娘が一転、ハスっぱな江戸の娘に変わり、華やかに踊った後、最後は地獄の責め苦に苦悩する姿が描かれています。
「鷺娘」は衣装が5回変わります。その際、早変わる「引き抜き」もあり、視覚的にとても綺麗です。
いろいろな感情を踊りで表現されていて、見応えがありました。
長唄の中に
「・・・さしかけていざさらば 花見にごんせ吉野山
それえそれえ 匂いの桜花笠・・・」 とあります。
長唄、三味線、お囃子(太鼓、笛、鼓)も、勿論、生で舞台で演奏されます。
日本の伝統芸能ですね。
知り合いの日本舞踊の先生が、大阪日本橋にある国立文楽劇場で
第1回「日本の未来を考える」 原点の日本舞踊
と題して、日本舞踊の会を開催されました。
重要無形文化財保持者(人間国宝)の特別出演もあり、伝統文化の美しさと奥深さに触れる一日でした。
撮影禁止でしたので、綺麗な舞姿をアップ出来ないのが残念です。
解説より抜粋
演目
★清元「山姥」
「山姥もの」というのは、山姥を源頼光の四天王の一人である坂田金時(怪童丸)の母として、足柄山中で怪童丸を育てるという筋立ての舞踊劇をさします。
常磐津やその他の「山姥もの」よりも後に出来ただけに、参考作品の長所を活かして作られています。
全曲は相当長く登場人物も山姥、怪童丸、山樵の3人が繰り広げる大曲ですが、今回はその中の一番の眼目の「山めぐり」の件を素踊り・独舞での上演です。
★長唄「外記猿」
子猿をつれた大道芸の猿回しが、とある屋敷に呼ばれて庭先で芸をします。
お染久松の物語の四つ竹という小道具を巧みに使って表現してみたり、狂言小舞の飛騨踊り等が踊られたりします。
★長唄「鷺娘」
しんしんと降りつもる雪、真夜中の水辺にはなぜか白無垢の美しい娘が一人たたずんでいます。
この娘は「白鷺の精」です。
その娘が一転、ハスっぱな江戸の娘に変わり、華やかに踊った後、最後は地獄の責め苦に苦悩する姿が描かれています。
「鷺娘」は衣装が5回変わります。その際、早変わる「引き抜き」もあり、視覚的にとても綺麗です。
いろいろな感情を踊りで表現されていて、見応えがありました。
長唄の中に
「・・・さしかけていざさらば 花見にごんせ吉野山
それえそれえ 匂いの桜花笠・・・」 とあります。
長唄、三味線、お囃子(太鼓、笛、鼓)も、勿論、生で舞台で演奏されます。
日本の伝統芸能ですね。
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2006年2月16日(Fri)
ベトナムから研修に来られている2人。
愛媛からご一緒のMiさんと主人と私もおまけで大阪市内のご案内です。
先ずは大阪城から、
大阪城の梅林が満開。
お天気も良くて、アマチュアカメラマンが一杯。
梅林の向こうに大阪城天守閣が見えます。
古城 鶯宿(おうしゅく)
梅林の看板には「プラムガーデン」と書いていました。
梅林を出て天守閣の方に歩いていくと、レトロな雰囲気の
「ロードトレイン」が走っていました。
大阪城公園内の大手門から桜門までの移動できるようです。
機関車は、大阪城内では環境を考えLPガスのハイブリッドエンジンの車だそうです。でも、外観のデザインは、ピストンシリンダーが実際に駆動し、見た目は機関車そのもの。警笛も「汽笛音」でした。
大阪城天守閣
城内にある「金明水井戸屋形」
この井戸は水面まで33mあるそうで、のぞいても水面が見えませんでした。
井戸枠は1箇のくりぬき石だそうです。伝説では、豊臣秀吉が井戸水の毒気を抜くために黄金数枚を水に沈めたと言われていましたが、近年の調査によって、この井戸は豊臣時代の物ではなく、寛永元年(1624年)に掘られ、井戸屋形は同3年(1626年)に建てられたものどたと判明したそうです。
大阪城と言えば、豊臣秀吉を連想しますが、徳川2将軍秀忠によって元和6年(1620年)から、10年かけて全面的に再築されています。
城内には、南蛮屏風、大阪城夏の陣図屏風、黄金の茶室や、鎧甲、陣羽織などの数々の展示品がありますが、撮影は禁止でした。
8Fの展望台から大阪の街が見えます。
春霞がかかったような感じでしたが、遠くに通天閣も見えました。
写真は左から大阪歴史博物館、NHK、大阪府警です。
では、これから大阪歴史博物館へ
大阪歴史博物館
10Fの古代フロアは、奈良時代の難波宮(なにわのみや)の大極殿に入ります。
原寸大の復元された朱塗りの円柱や管人たちがいて、大スクリーンで新羅からの使者を迎える宮廷の儀式を映し出します。
何だかタイムスリップしたような気分になります。
そして、その映像が終わると、前方のスクリーンが静かに上がり、眼下に難波宮後の礎石が見えます。
9Fは、中世金背フロア
江戸時代の水都の景色
信長と戦った本願寺、江戸時代の街の賑わいを再現したミニチュア。
文楽人形などもあります。
7Fは近代フロア
大正末期から昭和初期にかけて。
6F あおもり縄文まほろば展
山内丸山遺跡などの特別展が開催されていました。
歴史博物館は4度目ですが、特別展を見れて嬉しかったです。
目を大きく強調した遮光器土偶
大型板状土偶 合掌土偶
狩猟文土器 縄文ポシェットとクルミ
青森県に行ったことがありませんが、縄文時代にちょっと触れたようなきがしました。
天保山の海遊館へ
海遊館と言えば太平洋をイメージした世界最大級の水槽にいる巨大なジンベイザメ
マンタ ケルプの森にいるユーモラスな顔のマンボウ
亀の呼吸を見ましたよ。
ふわふわ浮いているクラゲって、なんか癒されるなぁ・・・
世界最小の魚 「ドラーフ・フェアリー・ミノー」1Cmほどの魚でした。
海遊館のテーマは、ジェームズ・ラブロックの提唱する「ガイアの伝説」に基づくそうです。
ガイアの伝説とは:地球とそこに生きる全ての生き物は、互いに作用し合う一つの生命体である。という考え方です。
大観覧車
大観覧車に乗り15分の空中散歩。
すっかり日も落ちて、ライトアップされた大観覧車を天保山からみました。
天保山に登頂しました。
ご存じでしたでしょうか? 天保山 標高4.5mの山を!
天保山の三角点は大阪港護岸のすぐ内側にあります。
天保山(てんぽうざん)は、国土地理院発行の25000分の1地形図に
記載されている山の中で 日本一、標高の低い山なのです。
江戸時代の天保2年(1831年)から2年間、船の航路を確保するために
大阪港に接した安治川の土砂が積み上げられてできた山で当時の高さは
約20mあり、桜が植えられたり茶店が設けられるなど行楽の地として
賑わったそうです。
道頓堀で夕食
大阪は食い倒れの街。道頓堀千日前界隈は最も大阪らしい雰囲気を色濃く残しているところです。
「赤い火、青い火、道頓堀の~~」と歌が聞こえてきそうです。
ちょっと古い?
ミナミの名所と言えば、法善寺横丁。
道頓堀の南側の法善寺さんへ
現在は狭い境内になっていますが、水掛不動さんがあり、
いつも水を掛けられているので、お不動さんは苔むしています。
法善寺横町に「月の法善寺横町」の歌碑があります。
「包丁一本 晒しに巻いて~。旅に出るのも、板場の修行~
待っててこいさん, 哀しいだろが あぁあ~、若い二人の~
想い出にじむ 法善寺 月も未練な 十三夜」
またまた、古い歌が・・・・
因みに20代のMiさんは、この歌を知らないと言っていました。
本日の大阪のご案内は、これでお開きとなりました。
そうそう、「日本の印象はどうですか?」と聞いてみたのです。
「清潔。車が多い(バイクが少ない)。物価が高い。」でした。
私がハノイに行った時の第一印象の逆ですね。
ベトナムから研修に来られている2人。
愛媛からご一緒のMiさんと主人と私もおまけで大阪市内のご案内です。
先ずは大阪城から、
大阪城の梅林が満開。
お天気も良くて、アマチュアカメラマンが一杯。
梅林の向こうに大阪城天守閣が見えます。
古城 鶯宿(おうしゅく)
梅林の看板には「プラムガーデン」と書いていました。
梅林を出て天守閣の方に歩いていくと、レトロな雰囲気の
「ロードトレイン」が走っていました。
大阪城公園内の大手門から桜門までの移動できるようです。
機関車は、大阪城内では環境を考えLPガスのハイブリッドエンジンの車だそうです。でも、外観のデザインは、ピストンシリンダーが実際に駆動し、見た目は機関車そのもの。警笛も「汽笛音」でした。
大阪城天守閣
城内にある「金明水井戸屋形」
この井戸は水面まで33mあるそうで、のぞいても水面が見えませんでした。
井戸枠は1箇のくりぬき石だそうです。伝説では、豊臣秀吉が井戸水の毒気を抜くために黄金数枚を水に沈めたと言われていましたが、近年の調査によって、この井戸は豊臣時代の物ではなく、寛永元年(1624年)に掘られ、井戸屋形は同3年(1626年)に建てられたものどたと判明したそうです。
大阪城と言えば、豊臣秀吉を連想しますが、徳川2将軍秀忠によって元和6年(1620年)から、10年かけて全面的に再築されています。
城内には、南蛮屏風、大阪城夏の陣図屏風、黄金の茶室や、鎧甲、陣羽織などの数々の展示品がありますが、撮影は禁止でした。
8Fの展望台から大阪の街が見えます。
春霞がかかったような感じでしたが、遠くに通天閣も見えました。
写真は左から大阪歴史博物館、NHK、大阪府警です。
では、これから大阪歴史博物館へ
大阪歴史博物館
10Fの古代フロアは、奈良時代の難波宮(なにわのみや)の大極殿に入ります。
原寸大の復元された朱塗りの円柱や管人たちがいて、大スクリーンで新羅からの使者を迎える宮廷の儀式を映し出します。
何だかタイムスリップしたような気分になります。
そして、その映像が終わると、前方のスクリーンが静かに上がり、眼下に難波宮後の礎石が見えます。
9Fは、中世金背フロア
江戸時代の水都の景色
信長と戦った本願寺、江戸時代の街の賑わいを再現したミニチュア。
文楽人形などもあります。
7Fは近代フロア
大正末期から昭和初期にかけて。
6F あおもり縄文まほろば展
山内丸山遺跡などの特別展が開催されていました。
歴史博物館は4度目ですが、特別展を見れて嬉しかったです。
目を大きく強調した遮光器土偶
大型板状土偶 合掌土偶
狩猟文土器 縄文ポシェットとクルミ
青森県に行ったことがありませんが、縄文時代にちょっと触れたようなきがしました。
天保山の海遊館へ
海遊館と言えば太平洋をイメージした世界最大級の水槽にいる巨大なジンベイザメ
マンタ ケルプの森にいるユーモラスな顔のマンボウ
亀の呼吸を見ましたよ。
ふわふわ浮いているクラゲって、なんか癒されるなぁ・・・
世界最小の魚 「ドラーフ・フェアリー・ミノー」1Cmほどの魚でした。
海遊館のテーマは、ジェームズ・ラブロックの提唱する「ガイアの伝説」に基づくそうです。
ガイアの伝説とは:地球とそこに生きる全ての生き物は、互いに作用し合う一つの生命体である。という考え方です。
大観覧車
大観覧車に乗り15分の空中散歩。
すっかり日も落ちて、ライトアップされた大観覧車を天保山からみました。
天保山に登頂しました。
ご存じでしたでしょうか? 天保山 標高4.5mの山を!
天保山の三角点は大阪港護岸のすぐ内側にあります。
天保山(てんぽうざん)は、国土地理院発行の25000分の1地形図に
記載されている山の中で 日本一、標高の低い山なのです。
江戸時代の天保2年(1831年)から2年間、船の航路を確保するために
大阪港に接した安治川の土砂が積み上げられてできた山で当時の高さは
約20mあり、桜が植えられたり茶店が設けられるなど行楽の地として
賑わったそうです。
道頓堀で夕食
大阪は食い倒れの街。道頓堀千日前界隈は最も大阪らしい雰囲気を色濃く残しているところです。
「赤い火、青い火、道頓堀の~~」と歌が聞こえてきそうです。
ちょっと古い?
ミナミの名所と言えば、法善寺横丁。
道頓堀の南側の法善寺さんへ
現在は狭い境内になっていますが、水掛不動さんがあり、
いつも水を掛けられているので、お不動さんは苔むしています。
法善寺横町に「月の法善寺横町」の歌碑があります。
「包丁一本 晒しに巻いて~。旅に出るのも、板場の修行~
待っててこいさん, 哀しいだろが あぁあ~、若い二人の~
想い出にじむ 法善寺 月も未練な 十三夜」
またまた、古い歌が・・・・
因みに20代のMiさんは、この歌を知らないと言っていました。
本日の大阪のご案内は、これでお開きとなりました。
そうそう、「日本の印象はどうですか?」と聞いてみたのです。
「清潔。車が多い(バイクが少ない)。物価が高い。」でした。
私がハノイに行った時の第一印象の逆ですね。