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2005年7月~2006年11月 ベトナムのハノイに住んで、ベトナム生活を満喫しました。 帰国後は、身の回りのこと少し更新しています。良かったらお付き合い下さい。
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おととい、吉野で暑い一日が終わる夕方、雨が降ってきて外を見ると、

初めて見る二重虹!

二重虹 二重虹2
    裏の台所の窓から            表のお店から外を見ると

下の主虹は、はっきり見えていますが、上の副虹はちょっと薄いのと、
電線が邪魔になり、写真では上手く撮れていませんが・・・・
なんだかとても珍しいもの見て、いいことありそうな気がします。

主虹は、内側から紫・青・緑・黄・橙・赤の順です。
でも副虹は、赤が内側で紫が外側になり、逆の並びになっています。
主虹はプリズムなのですが、副虹は空気中の水蒸気に主虹が映って
いるから反対の並びなるとか・・・横で息子が言ったと思います。

あっと言う間に消えてしまいましたよ。
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2008年8月13日・14日・15日 吉野花灯火

花灯火は暖かい“明かりの桜”
病気で枯れてしまった桜の供養と再生を祈って火をつけます。

世界遺産に登録された4年前から始まったそうです。

吉野花灯火6 吉野花灯火1

夜7:00~9:30まで 吉野山の街並みに4,000本のロウソクがともります。
地域ごとにわかれて、住民皆でロウソクに火をつけます。

吉野花灯火2 吉野花灯火3
右の写真は「クロスフィルター」モードで撮影してみました。
光がキラキラと輝いて見えるでしょう。

吉野花灯火4 吉野花灯火5
銅の鳥居のところで

桜の模様が、ロウソクの光に揺らめいて、ちょっと幻想的。


良寛さん(1758-1831 江戸時代の曹洞宗の僧侶・歌人)の碑

良寛旅日記吉野紀行建碑

吉野山 南朝皇居跡のすぐ手前にある良寛さんの碑です。
皇居跡は、蔵王堂を正面に見て左へ階段を下りたところにあります。
ちょうど、脳天神社に下る手前です。

良寛さんの碑1 良寛さんの碑2
  碑の表面                  碑の裏面

この碑の裏に新潟県和島村の「和島村良寛会」が発願と書かれています。

良寛さんが壮年期に吉野を訪れたときの旅日記です。

里へくだれば 日は西のやまにいりぬ。
あやしの軒に立てて一夜の宿をこふ。
その板敷の上にぬまてふものをしきて臥す。
夜るのものさへなければ いとやすくねず。
よいのまは翁の松をともしてその火影にいとちひさき かたみくむ。
なにぞと問へば これなんよしのゝさとの花筐といふ。
蔵王権現の桜のちるをおしみて、ひろひて盛りたまふ。
そのいわれにはいまもよしのゝ里にてはいやしきものゝ家の業となす。
あるはわらはのもてあそびとなし また物種いれてまきそむれば 
秋よくみのる。
それもてるものは万のわざわひを まぬがるとかたる。
あわれにもやさしくもおぼひければ つとにせむ
よしのゝ里の花がたみ


良寛さんは、吉野の里で、老翁の家に泊めてもらいます。
ここで「万(よろず)の災いをまぬがる」という
吉野の里の花筐(花籠・はながたみ)をみやげとして買い求めます。

という内容のです。

今はありませんが、小さいころ、見た記憶があります。
1cm幅ほどの木を薄くすいたものを赤・黄・緑に染めて、
それを編んで、直径10cmほどの色鮮やかな籠にしたものです。
その編み方に特徴があって、表面のところどころに
三角にとがって立体的になっていたように思います。

あれは、「万(よろず)の災いをまぬがる」籠だったのですね。


Kさんから、数日前、お電話いただきました。
テレビ東京で「知花くららの地球サポーターでベトナムでるよ。」

調べると テレビ大阪は11日(月) 25:40~25:45。

ベトナム ハノイの交通マナーの向上を目指して、日本人が
活躍されている内容で5分間の番組でした。

ベトナムでの交通事故は日本の1.5倍。
なんと言っても、交通マナーを守らなければいけないという
意識が低いのです。

本当にバイクが押し寄せて来るという感じですものね。

ハノイのバイク
(私がベトナムに着いてすぐ、バイクの多さにビックリして撮った写真)

そして私がベトナムに着いた翌日、一番最初にアドバイスされたことは、
「交通事故に遭わないように。
もし、タクシーに乗っていて交通事故に遭ったら、
メーターより少し多めに運転手に払い、その場をすぐに立ち去るように・・
日本のように目撃証言しようなんてことは考えないようにね。
言葉が分からないということで、知らない間に不利益な立場に
勝手にされる可能性がありますから・・・・」というものでした。

幸い、交通事故には遭いませんでしたよ。

私が暮らしていた間にも、バイクも車も増えているのを実感しました。

帰国して、1年半、もっとバイクも車も増えているのでしょうね。


2008年8月9日(土)

思いがけなく、淀川花火大会の有料観覧席のチケットを頂戴し出かけました。

花火は7時50分から。
でもチケットには、「6時30分までにご入場ください。
それ以降は見物人が多くて入場出来ないことがあります。」と但し書き。

早めの5時50分にJR塚本駅(梅田から普通で1駅)に到着。
既に凄い人混み。花火会場の河川敷まで迷いようがないほど、人で・・・

淀川花火1 淀川花火2
 有料観覧席の入り口            サンバショウ

会場に入ると、前から3列目!(なんと良いお席!!)
目の前の淀川の真ん中で花火があがります。

有料観覧席でとっても助かるのは、トイレと椅子があることです。
なにせ、まだまだ始まりませんから。

夕暮れの淀川の風に吹かれながら、お弁当を頂き、
サンバショーや有名タレントなどのショーを聞きながら
(舞台からあまりに遠くて見えなくて、スピーカーからの音だけ)
時間を過ごしていたら・・・。
少し強い目の風が吹いてきて・・・・
雨雲が向こうのほうに現れ、遠くで稲光!!??

まさかね。・・・・

もうすぐ始まるころ。ポツポツ雨が・・・・・・

そして、舞台で「大阪府知事 橋下徹様 ご挨拶!」と言っている頃、本降りに・・・・・
誰も話なんか聞いていない・・・(聞いていられない)

みんな慌てて、そこいらにあったものを頭に乗せて雨をしのぎます。
天傘、日傘、ビニール、それから 発泡スチロールの箱、ビールの入れてあった段ボール箱・・・・何でも・・・

一向に雨がやまない中、花火は10分前倒しで始まりました。

本当に目の前で花火が次々上がる、上がる。

凄いの一言。

花火が近すぎて、大きすぎて カメラになんか収まりきらない・・・!!!

後ろで、2歳ぐらいの子供が、音と光に怖がってお母さんに抱きついて泣き叫んでいる声も、花火の音にかき消されてしまいます。

淀川花火4 淀川花火5

淀川花火6 淀川花火7

淀川花火8 淀川花火9

淀川花火10淀川花火11

フィナーレの花火は、写真では光しか映っていません。

花火が終わるころ、雨もやみ・・・
Tシャツは絞れるぐらい・・・

そして、会場から出るのに1時間ぐらいかかり、
服が濡れているせいで、帰りの電車の冷房が寒くて・・・

大変、思い出深い花火大会となりました。


家庭菜園をしている畑の間から、ドンドン生えてくる「赤紫蘇」と「青紫蘇」

始めは種を蒔いたけど、その後は、毎年、雑草のように勝手に生えてきます。

★梅干し
土用干しした梅を「赤紫蘇」で漬けました。

梅干し 赤紫蘇


★紫蘇ジュース
青紫蘇 青じそ

青紫蘇の葉を洗って、お湯のなかへ入れ5分程炊いて、
蜂蜜とお酢で味付けます。
冷やして飲めば、さっぱりしてなかなかの美味しさです。

暑い夏、乗り切るぞ~!
ちょっとは、夏痩せしたい体型だけど・・・


暑中、お見舞い申し上げます


7月25日は 大阪天神祭
船渡御(ふなとぎょ)と花火を見に、源八橋付近へ。

天神祭1 天神祭2
大阪締め
「う (打) ぅちまひょぉ <ちょん、ちょん>
もひとつせぇ <ちょん、ちょん>
い (祝) おうてさんど (三度) <ちょちょん、ちょん~> 」を
行き交う船同士や、橋の上などの見物人と一緒に言ってエールを送っているようです。

日が暮れて5000発の花火

天神祭3 天神祭4

花火を写真に撮るのは、難しいですね。

交通規制をしていましたが、源八橋の上は凄い人でした。


●法隆寺金堂展 於:奈良国立博物館

博物館内や2つのお寺の中は撮影禁止でした。

法隆寺金堂展1

あと、3日で終わりとなった、7月19日、思い立って行ってきました。
金堂に安置されてきた日本最古の四天王像(飛鳥時代)。
持国天、増長天、広目天、多聞天。

阿弥陀三尊像や再現された壁画・・・

かすかに残った彩色から、造られた当時の華やかさに思いをはせます。

奈良国立博物館のハス 奈良の鹿
国立博物館の前の池に咲いていた蓮  餌の持っていない私には近づいてこない鹿


●新薬師寺
新薬師寺1 バサラ
                      パンフレットに載っているバサラ  

新薬師寺は聖武天皇の病気平癒祈願のため、光明皇后によってたてられたものです。

「薬師如来坐像」を「十二神将」が囲みます。
十二神将は、土を素材に造られ、彩色されたもので
今でも、群青・緑・青・赤・金泊がかすかに見えます。
十二神将の中でも伐折羅(バサラ)のお顔は、目を見開き、
口を大きく開けて、見ていると吸い込まれそうになります。

お寺の隅で、造立された当時の復元作業のDVDが放映されていました。
本当に彩色豊かな十二神将でした。

当時の人は、こんな綺麗な色の十二神将を見ていたのですね。

新薬師寺の「新」は、「あたらしい」ではなく、「あらたかな」薬師寺と言う意味だそうです。

新薬師寺蛙
門の内側にあった蛙の置物
「無事に帰れますように」


●白毫寺(びゃくごうじ)
白毫寺2
参道に、1本だけ萩が咲いていました。
ここは、「萩」と「樹齢400年の五色椿」が綺麗なことで有名なお寺です。

高円山のふもとににあり、
両側が萩の参道を上がると、街が一望できます。
この季節、湿度が高くかすんでいますが、・・・
白毫寺1

お堂の中には、「閻魔様」。
迫力あるなぁ




毎年7月7日は、吉野山 蔵王堂で蛙跳び行事が行われます。
佐藤さんが、吉野山に行って来られて写真を送って下さいました。
ありがとうございます。

蛙跳び1
蛙の着ぐるみを乗せた御輿が蔵王堂に向かいます。

蛙跳び2 蛙跳び3
僧たちにお経をあげてもらいます。

蛙跳び4 蛙跳び5
改心して人間に戻ります。

この蛙跳び行事は伝説があります。

昔、神仏をあなどり、鷲にさらわれた山伏が、
金峯山寺の高僧に
「人間としては助けられないが、蛙にして助けてやろう」
と救ってもらい、その後、僧たちが護摩(ごま)をたき、
お経を読んで人間の姿に戻したと言う伝説に基づいて、
毎年7月7日に「蛙飛び行事」が、金峯山寺蔵王堂で行われています。

あの蛙の中に入っている人は、長い間、仁王門の前の理髪店(喫茶店)
のオジサンでしたが、年齢が高くなり、何年か前から
その前のお家の、お饅頭屋さんの息子さんに変わっています。


Kさん お帰り! お疲れ様!

ベトナムで3年間、お疲れ様でした。
お帰りが成田じゃなくて、関空トランジットで羽田なんて!
直行便がなくても、決められた日に帰任なんですものね。
ご不便でしょうけど・・・・
私たちに、「会いなさいよ~。」って言っているようですね。

ハノイから関空に無事AM5:36到着。
ご主人様とお二人の元気なお顔を久しぶりに見られて
・・嬉しかった。

今日は七夕。

今度は、お互い日本だし、いつでも会えそうで・・・・、
でも、関東と関西じゃ なかなか会えないかもしれないですね。


サミットで空港へ行く途中も検問してました。


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