2005年7月~2006年11月 ベトナムのハノイに住んで、ベトナム生活を満喫しました。
帰国後は、身の回りのこと少し更新しています。良かったらお付き合い下さい。
カレンダー
01 | 2025/02 | 03 |
S | M | T | W | T | F | S |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | ||||||
2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 |
9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 |
16 | 17 | 18 | 19 | 20 | 21 | 22 |
23 | 24 | 25 | 26 | 27 | 28 |
カテゴリー
フリーエリア
最新CM
いいですね~(返信済)
(09/16)
羨ましい~(返信済)
(07/20)
そうですか~(返信済)
(07/10)
そうですか~(返信済)
(07/10)
犬?あらら・・・(返信済)
(07/09)
最新記事
(09/21)
(09/13)
(09/10)
(09/05)
(08/28)
(08/23)
(07/19)
(07/04)
(03/14)
(02/22)
最新TB
ブログ内検索
最古記事
(06/01)
(06/02)
(06/03)
(06/04)
(06/05)
(06/06)
(06/07)
(06/08)
(06/09)
(06/10)
カウンター
×
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
2年前に嫁いだ娘が、赤ちゃんに恵まれました。
“無事に元気な赤ちゃんが誕生しますように”と
安産祈願に吉野山の上千本にある子守神社にお祈りにいきました。
無事に生まれてくれることだけが、願いです。
この神社は、別名 水分神社 とも言い、
春にはお田植え祭りもあります。
きっと、田植えの水を分けていたのでしょう。
小さいけれど、桧皮葺の世界遺産です。
連休を利用して10日間 主人の任地のベトナム ホーチミン市へ
8年振りのベトナム
円高になってました。
8年前は100,000VND=700円=US$5
現在は、100,000VND=500円=US$5
8年前に比べて、お店での支払いが、ドル($)でなく、
ベトナムドン(VND)になっていました。
物価は上がっています。
でも はやり、日本に比べてリーズナブルなエステは魅力。
さっそく 3時間のトータル スキン コースへ
お店の入り口の床に、いらっしゃる神様。
お線香、お茶、果物などを供えて大事に祀られています。
バスの運転席にも。
歴史博物館 インドシナ様式の建物。
先史時代から現在までの、ベトナムの歴史の紹介と、
チャンパなどの遺跡や展示。
中庭に小さな池と鑑賞席があり、水上人形劇を久しぶりに鑑賞。
11:00~13:30のお昼休みがあり、締め出されてしまい、
隣の動植物園に
一番人気の象。家族連れですごく賑わってました。
園の中のステージで大音量の歌謡ショーがあり、大盛り上がり。
ーーーー
ビテスコ ファイナンシャル タワー 68階建ての超高層ビル
49階にスカイ デッキ(展望台)がありホーチミン市を360度眺望できます。
![](https://blog.cnobi.jp/v1/blog/user/6aeefb952703e4d70fc4cdf6c7f908a4/1400002349?w=200&h=150)
ホーチミン市内には、高層ビルが増えていましたが、
相変わらず、天秤棒を担いだ物売りの人もいました。
車も増えて バイクも洪水のように流れてくるので
道路を横断するのが とても危険。
怖くて足がすくんで なかなか横断できません。
ーーーーーー
ブンタウ へ
ホーチミン市から ベトナム人に交じって長距離バスで2時間。
遠浅の海、真っ青な空、気持ちの良い風が吹いて
絵にかいたようなビーチリゾート。
日差しは強烈。
泳ぐと あまり視界は良くないけど、これは砂を巻き上げているだけで
水質は悪く無いそうです。
ベトナムは、エネルギッシュでした。
8年振りのベトナム
円高になってました。
8年前は100,000VND=700円=US$5
現在は、100,000VND=500円=US$5
8年前に比べて、お店での支払いが、ドル($)でなく、
ベトナムドン(VND)になっていました。
物価は上がっています。
でも はやり、日本に比べてリーズナブルなエステは魅力。
さっそく 3時間のトータル スキン コースへ
お店の入り口の床に、いらっしゃる神様。
お線香、お茶、果物などを供えて大事に祀られています。
バスの運転席にも。
歴史博物館 インドシナ様式の建物。
先史時代から現在までの、ベトナムの歴史の紹介と、
チャンパなどの遺跡や展示。
中庭に小さな池と鑑賞席があり、水上人形劇を久しぶりに鑑賞。
11:00~13:30のお昼休みがあり、締め出されてしまい、
隣の動植物園に
一番人気の象。家族連れですごく賑わってました。
園の中のステージで大音量の歌謡ショーがあり、大盛り上がり。
ーーーー
ビテスコ ファイナンシャル タワー 68階建ての超高層ビル
49階にスカイ デッキ(展望台)がありホーチミン市を360度眺望できます。
ホーチミン市内には、高層ビルが増えていましたが、
相変わらず、天秤棒を担いだ物売りの人もいました。
車も増えて バイクも洪水のように流れてくるので
道路を横断するのが とても危険。
怖くて足がすくんで なかなか横断できません。
ーーーーーー
ブンタウ へ
ホーチミン市から ベトナム人に交じって長距離バスで2時間。
遠浅の海、真っ青な空、気持ちの良い風が吹いて
絵にかいたようなビーチリゾート。
日差しは強烈。
泳ぐと あまり視界は良くないけど、これは砂を巻き上げているだけで
水質は悪く無いそうです。
ベトナムは、エネルギッシュでした。
神戸市立博物館でターナー展を鑑賞。
19世紀に活躍したイギリスの風景画家。
ロンドンのテート美術館から約110点きたそうです。
ロンドンのナショナルギャラリーでもターナーの作品を
見たはずなのですが、あんまり、記憶に残っていないのです。
今回、日本語の音声ガイドや 日本語の説明を読みながらだったから
良くわかりました。
ーーーーーー
近くに とんぼ玉ミュージアムがあり、
体験工房で、とんぼ玉つくりに初挑戦。
親切に教えて頂いて、なんとか作品に。
火は、震災のあかり から。
ガラスが熱で溶けるのを、垂れないように回しながら、
丸めて小さい模様をはめ込み、形を整えて出来上がり。
1時間、さましてから、ストラップに仕上げました。
お世話になりました。
2013年12月25日~2014年1月1日
ツアーで ポルトガル と スペイン(サンティアゴ・デ・コンポステーラ)
世界遺産11をめぐる旅に行きました。
リスボンに着いたその夜、ファドを聞きに。
郷愁を誘うメロディーとギター(写真左の12弦のギター)が
独特でした。
(睡魔と闘いながら鑑賞・・・)
ーーーーーーーー
ロカ岬
ユーラシア大陸最西端
北緯38度47分、西経9度30分。
ポルトガルで、とっても有名な詩人“カモンイス”が詠んだ詩
“ここに地果て、海始まる”と刻まれています。
(カモンイスさんのお名前、初めて知りました。)
ーーーーーーーーーーー
世界遺産 アルコバサ修道院
2階の広間で Luis Pecas さん というイケメン男性が
Ombra mai fu を歌っておられ、
次の曲が Lascia ch'io piange。
知っている曲だったので・・
思わず一緒に歌わせて頂きました。
とっても心に残るシーンでした。
彼のCDを買って、サインして頂き
家に帰ってから聞いたら、その2曲しか 知りませんでした。
ーーーーーーーーー
スペイン サンティアゴ・デ・コンポステーラの
大聖堂の中の巡礼者を迎えてきた栄光の門の聖ヤコブ。
柱の下の方には5本の指のくぼみが付いて
白くなっています。
これは巡礼者たちが柱に触って祈りを捧げてきたので
だんだんすり減ったそうです。
(今は、囲いがあって直接触れられなくなっています。)
正面の祭壇の中央には金色の聖ヤコブ像が祀られていました。
後ろから上がるところがあり、皆、マントにキスしていました。
「サンティアゴ・デ・コンポステーラは、
祈りの町、学問の町、そして雨の町、」と
ガイドブックに書かれているとおり、
滞在した2日とも、雨でした。
ーーーー
ツアーだったので、スケジュールが決まっていて
殆ど自由時間がなく できませんでしたが、
ポルトガルのリスボンで レトロな市電に乗ってみたかったです。
雨の日に着る “カッパ”は、ポルトガルから来た言葉だそうで
コインブラ(大学生の町)で、大学生が黒いマントを羽織っていて
それを“カッパ”と言うと、ガイドさんが言っておられました。
もっとゆっくり見たい・・・と思いながら 帰国しました。
ツアーで ポルトガル と スペイン(サンティアゴ・デ・コンポステーラ)
世界遺産11をめぐる旅に行きました。
リスボンに着いたその夜、ファドを聞きに。
郷愁を誘うメロディーとギター(写真左の12弦のギター)が
独特でした。
(睡魔と闘いながら鑑賞・・・)
ーーーーーーーー
ロカ岬
ユーラシア大陸最西端
北緯38度47分、西経9度30分。
ポルトガルで、とっても有名な詩人“カモンイス”が詠んだ詩
“ここに地果て、海始まる”と刻まれています。
(カモンイスさんのお名前、初めて知りました。)
ーーーーーーーーーーー
世界遺産 アルコバサ修道院
2階の広間で Luis Pecas さん というイケメン男性が
Ombra mai fu を歌っておられ、
次の曲が Lascia ch'io piange。
知っている曲だったので・・
思わず一緒に歌わせて頂きました。
とっても心に残るシーンでした。
彼のCDを買って、サインして頂き
家に帰ってから聞いたら、その2曲しか 知りませんでした。
ーーーーーーーーー
スペイン サンティアゴ・デ・コンポステーラの
大聖堂の中の巡礼者を迎えてきた栄光の門の聖ヤコブ。
柱の下の方には5本の指のくぼみが付いて
白くなっています。
これは巡礼者たちが柱に触って祈りを捧げてきたので
だんだんすり減ったそうです。
(今は、囲いがあって直接触れられなくなっています。)
正面の祭壇の中央には金色の聖ヤコブ像が祀られていました。
後ろから上がるところがあり、皆、マントにキスしていました。
「サンティアゴ・デ・コンポステーラは、
祈りの町、学問の町、そして雨の町、」と
ガイドブックに書かれているとおり、
滞在した2日とも、雨でした。
ーーーー
ツアーだったので、スケジュールが決まっていて
殆ど自由時間がなく できませんでしたが、
ポルトガルのリスボンで レトロな市電に乗ってみたかったです。
雨の日に着る “カッパ”は、ポルトガルから来た言葉だそうで
コインブラ(大学生の町)で、大学生が黒いマントを羽織っていて
それを“カッパ”と言うと、ガイドさんが言っておられました。
もっとゆっくり見たい・・・と思いながら 帰国しました。
10,000人の第九、今年も終わりました。
今年は、新しいお友達ができたことが、大きな収穫。
アーレメンシェン ヴェルデン ブリューデル
「地球上のすべての人が、手をつないで、
兄弟のように 仲良く暮らせる世界をつくる」
第九 合唱の中のもっとも重要なメッセージです。
こんな風になったら、地球上から争いが無くなるのにね。
今年は、新しいお友達ができたことが、大きな収穫。
アーレメンシェン ヴェルデン ブリューデル
「地球上のすべての人が、手をつないで、
兄弟のように 仲良く暮らせる世界をつくる」
第九 合唱の中のもっとも重要なメッセージです。
こんな風になったら、地球上から争いが無くなるのにね。
ビルボードのLIVEを初体験。
お友達に誘われて・・・(夫婦3組で)
アーティストは、グレンミラー オーケストラ。
マンモス会場では味わえない親密な距離感でした。
良質の大人の遊び場・・という感じでしょうか。
プログラムは、「ムーンライト セレナーデ」や、「茶色の小瓶」など、
スタンダード ナンバーでしたので、
よけい 親近感があったのかもしれません。
お友達に誘われて・・・(夫婦3組で)
アーティストは、グレンミラー オーケストラ。
マンモス会場では味わえない親密な距離感でした。
良質の大人の遊び場・・という感じでしょうか。
プログラムは、「ムーンライト セレナーデ」や、「茶色の小瓶」など、
スタンダード ナンバーでしたので、
よけい 親近感があったのかもしれません。
和歌山の有田に、私が幹事で 17名 行きました。
昼食は 女将が、吉野出身ということで 紹介してもらって知り合いになった「橘屋」さん。
お食事も美味しかったし、カラオケも思いっきり・・・
その前に、立ち寄った「稲むら火の館」。
150年前、この地を襲った、地震の後の津波で村が、壊滅的になったとき、
濱口梧陵という人が、夜道 逃げる道が分かるようにと、稲わらに 火をつけて、
村人を助けた。そうです。
その後も、私財を投じて、防潮堤を築くことを雇用に結びつけた。そうです。
3Dを見た後、講話もお聞きしました。
自然災害は、本当に恐ろしいです。
「想定を設けて、安心せずに、情報を集めて、自分の身を守るために逃げる。」
ということでした。
昼食は 女将が、吉野出身ということで 紹介してもらって知り合いになった「橘屋」さん。
お食事も美味しかったし、カラオケも思いっきり・・・
その前に、立ち寄った「稲むら火の館」。
150年前、この地を襲った、地震の後の津波で村が、壊滅的になったとき、
濱口梧陵という人が、夜道 逃げる道が分かるようにと、稲わらに 火をつけて、
村人を助けた。そうです。
その後も、私財を投じて、防潮堤を築くことを雇用に結びつけた。そうです。
3Dを見た後、講話もお聞きしました。
自然災害は、本当に恐ろしいです。
「想定を設けて、安心せずに、情報を集めて、自分の身を守るために逃げる。」
ということでした。