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2005年7月~2006年11月 ベトナムのハノイに住んで、ベトナム生活を満喫しました。 帰国後は、身の回りのこと少し更新しています。良かったらお付き合い下さい。
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大阪と言っても かなり田舎なので、
自宅から50mぐらいの所に 牛舎があります。
乳牛を30頭ぐらい飼っておられます。

私がここに住むより以前から、ありました。

私が住み始めた35年ぐらい前、周りは、田んぼがいっぱい。
娘とあぜ道を歩きながら、タンポポやレンゲをつんだり。
息子は、蛙やカブトエビを捕まえて持って帰ってきたり・・
本当に、豊かな自然がありました。

それが、徐々に住宅地に代わっていって、
今では、ほとんどが住宅地になってしまいました。

先日、その牛舎が、近所からの苦情があまりに多いということで
廃業することになったと聞きました。

確かに、風向きによっては、臭いもあるし、
ハエも多い。
牛の鳴き声も聞こえる(かわいく“モー”ではありません。)

でも、私は、のどかな この雰囲気が ちょっと気に入っていました。
残念だねぁ・・周りに家ばかりが建つのは。
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今回で2回目の参加となる「朗読会」。

漱石 生誕150年、没後100年ということで
今回は、夏目漱石「こころ」と「坊っちゃん」でした。

朗読と言っても、本を読むわけではなく、
「語って」くださるのです。

何役も一人で、語り分けをされるのです。
すぐにその作品に引き込まれていきます。
そして、頭の中にその光景が、不思議と
はっきり見えてくるのです。

日曜日の午後、図書館の2階で、素敵な時間を過ごしました。

ーーーー
「こころ」は、小学6年生の夏休みの読書感想文の
 とんでもない 思い出があります。

もう、時効だから話しちゃおう!

私が書いた 下手な読書感想文に伯父が、手を加えて
とても良いものになってしまったのです。
そして、それが 表彰されてしまい・・・
今さら、私が全部書いたものでは無い。
と言い出せなくて・・
とても、困った思い出があります。


昨夜(勤め帰り)は、10か月ぶりに 
カルチャースクールの歌(イタリヤ歌曲)に復帰。

変わらないメンバー
(いえ、お一人増えていました)に迎えてもらい、
思いっきり歌って、ストレス解消!?
月に2回だけど。


今日は、中之島 にある国立国際美術館 大阪「クラーナハ展」へ。
金曜日は、19時まで開館しているので。
土日より 人が少ないので じっくり鑑賞できる。
でも、閉館時間が気になる・・
だから、お目当ての作品を一番先に見てから、
他を時間の許す限り見る感じかなぁ。


地上には、モニュメントが出ているだけで
世界的にも珍しい完全地下型美術館。


地下鉄の改札付近に置いてあった入場料100円割引の葉書。
自由にだれでも、ピックアップできます。

美術館では、たいてい音声ガイドを借ります。
説明を読むのが面倒・・だから。

今日は節分。明日は立春。

「鬼は外、福は内」



ニュースの世界の短い紹介で
ベトナム テト(旧正月) ホーチミン市のフラワーロードが
紹介されていました。

ホーチミン市のグエンフエ通りで開催されます。
沢山のモニュメントが花で飾られます。

日中から日たくさんの人でにぎわい、
夜はライトアップされます。

ベトナム人にとっては、一年で最大の行事。
地方から出てきた人は、家族の元へ帰りお祝いします。

仕事も休み、商店も休み。

ニュースを見て思い出しました。
遺品を整理しようかと 主人のPCを見た時、
昨年、主人が一人で、夜のライトアップされたフラワーロードを
歩いて 自分撮りした写真が大量にありました。

あんなに、笑顔の素敵な人なのに
1枚も笑顔の写真がありませんでした。

あの時、もうあと50日で 日本に帰れると
言っていたなぁ。

華やかなテトの様子のニュースを見て
今日は、朝からちょっと辛くなりました。



 


今日は少年サッカーのお手伝い。
朝早くから、グラウンドへ。



帰宅したら、ポストに
お寺から「御年玉」と書かれた熨斗の中に
「御札(紙のおふだ)と布巾」、
「干支の色紙」、そして、
「平成29年度支配金と書かれた 4000円の領収書」。

お金も払ってないのに領収書?
それより、これって何の意味?

急いで、お寺に電話を入れる。

「ご主人が亡くなられて、檀家さんになられたので
お配りさせていただきました。
また、いつでも良いので、お納めください」
と、娘と同級生のお坊さんが言った。

その返事を聞きながら・・・
あーーー
戒名を貰って、仏式でお葬式をしたら、
檀家になるんやーーー
それは、そうやなぁ。
そんなことすら、考えてもいなかった。
と心の中で思った。

20年以上も前、主人の両親が亡くなったとき
主人の兄夫婦がしてくれたお寺とのかかわりは、
当然と思っていた。
きっちりすることが、そうあるべき、と思っていた。

でも、今、主人が亡くなってみて
お寺とのかかわりに、すごく抵抗を感じるのは何故だろう。

自分の心が、主人の死を受け入れられないから?
それとも、お寺の商売に思えてしまうから?
私の心の中に宗教を信じる気持ちが薄いから(無いから)?
20年前の自分より、気持ちが変わった?
こうでなければ、いけない。ということに、
最近、こだわらなくなったから?

そもそも 主人は、お寺さんにお経を上げて欲しいのでしょうか?
聞きようもないが・・

社会通念上、皆が行うから、私もしなくては、と思っているだけ?

どうすれば、良いのだろう?
今後、檀家寺との関係は・・

こんな、いいかげんなことでは、お寺にも失礼。
かと言って、いろいろな疑問のある心では、
積極的にかかわる気にもなれない・・
その都度、お金もかかるしね。・・


私の中でのいろいろなお寺の位置付けは、
観光、芸術(美術)、歴史な興味で今までは見ていたなぁ。



1/20(金)レーシック手術を受けた。

レーシック手術(屈折矯正手術)を受けようと思ったのは、
会社の親睦会で、レーシックを受けた2人が、
「今まで 一番、有効なお金の使い方だったと思う。
 本当に快適に生活できる。」と話していたことだった。

一人は、40歳。もう一人は、私と同い年で60歳手前。

そんなに良いのなら・・と勢いで申し込んだ。

きっちりとした検査を受け、

先生と相談。
「老眼がもうあるので、近視をきっちり矯正してしまうと
後が、しんどいので、1.0ぐらい見えたら十分。
というところにしましょう。
これから、老眼がすすみますからね。」と。

手術当日、手術台の上に上がり、覚悟を決めた。

点眼麻酔。
FSレーザーによるフラップ作成。
 この時、目に圧がかかり、恐怖で身体が動けなくなるほど硬直した。
 身体は、麻酔が効いていなので、
 医師や看護師の話は、良く聞こえる。
フラップを起こす。
 手術中、赤い点を見ていてと言われていたのが
 見えなくなり、光を感じるだけになる。
レーザーを照射。
 特に痛くはない。
フラップを戻す

これで手術は終わり。
手術時間にすれば、両目で20分ぐらいかなぁ。

目薬3種類処方され、時間通りにさすよう指示がある。
後は、痛み止め、と睡眠導入剤をもらう。

手術直後は、目の前が、ぼやーとしていて、はっきりしない。
娘に病院まで来てもらい、近くのホテルまで連れて行ってもらう。
翌日も診察があるので、遠い自宅には戻らなかった。

眼の保護のため、度の入っていない眼鏡を 
1日中 1週間かけるよう言われた。

夜、無意識に目をこすると いけないので、
寝ている間も、その眼鏡をかけるよう言われた。

しかし、これが、とても寝にくい。
寝返りをしようとすると、ベッドに眼鏡があたり、
すぐに、目が覚める。

TVもPC 携帯も
使用してはいけないと書かれていたが、
とても、使おうという気がしない。ちゃんと見えないし・・

ラジオを聞きながら、熟睡できず一晩過ごした。
でも、ウトウトは寝ていた。

翌朝、昨日とは打って変わって、
不思議なくらい良く見えている。
もともと、裸眼で0.05しかなかったのが、
眼鏡無で、見えている。
本当に驚いた!!

今日、手術3日目にして、初めてマジマジと
鏡をのぞき込んでみて思った。
眼は、毛細血管が切れているとかで 
白いところが、赤く何本も筋が入っていて、
見ていて、気持ちの良いものではない。

1週間ぐらいで、徐々に吸収されていくらしい。
すこし、目のゴロ付きがある。

老後、この手術の結果 どうなるかは、分からないけど、
今は、眼鏡をかけないで、こんなに見えるようになって
不思議な気持ちと、ありがたい気持ちでいっぱい!


先日、友人から「これ読む?」と手渡された本。
「老前整理」 坂岡洋子著。

私は、引っ越しを1回もしたことがなく、
結婚して35年。
物は、増える一方。
読まない古典全集も捨てられず、
結婚の時に両親が持たせてくれた着物も和ダンスも
大きな顔をして居座っている。
子ども達も独立し、主人も半年前に亡くなり。
生活がいっぺんした。
一人暮らし。

田舎なので、30年ぐらい前、収納小屋まで 建ててしまった。
なまじっか、収納できるのが、また、よくない。
いろいろ 捨てられなくて。
整理できない。

この本は、整理術のノウハウではありません。

よりよく生きるために、今からできること。
がテーマになっていました。

物が沢山あることが豊かで幸せな暮らしという幻想から、
本当に大切なものは何か?を考え、
ゆっくりと整理していく。
過去の自分と向き合い、これから自分が、前向きに
どのように生きていくかを考える。
というものでした。

遺族会の入会のときにもらった「エンディング ノート」と
通じるところがあると思いました。

残された遺族が、困らないように
生前から、どうのようにして欲しいのかを
残しておくノートです。
でもいざ、書こうとすると、1行も書けません。
自分の考えがまとまらない。のです。

きっと物を整理する前に、心の整理が必要。

もっと時間をおいてから ゆっくり整理していこう!



今日は凄い風の強い寒い日でした。

息子が家を建てることを決めたので
話が進んでいる 小さい分譲地を見にいきました。
(息子から「見に行く?」と声がかかったので)

サラリーマンが、一生に一度の高額の買い物になります。
住宅ローンも組んで退職するまで払い続けることでしょう。

でも、私の住んでいる、大阪府の南部のほぼ端からの出勤は、
息子にとっては、大変な負担になりますので
それも仕方のないことです。

ーーー

息子たちは 年末には、イタリアへの新婚旅行も行って来ました。

息子たちには、ミラノ スカラ座でオペラを鑑賞したい
と言う強い希望がありました。

関空発のプランでは、ミラノが初日で日程の変更が不可能だったので、
わざわざ伊丹から成田発にして、最終日にツアーを離団して
(旅行社に承諾を取り)ミラノにもう2連泊。
日本から発売日を調べて、その日にチケットをネットでゲット。
旅行に出る前「蝶々夫人」のDVDを買って、
二人で予習していったとか。

準備万端で、オペラを見たようでした。

「蝶々夫人」とても素晴らしかったと
お正月に来たとき、お土産話を沢山聞かせてくれました。

ヴァイオリンのふるさとのクレモナにも2人で行ってきたようでした。
趣味があった人と一緒になれて良かった。

実は息子は、お相手が決まる前から、
「新婚旅行はイタリア」と決めており、
イタリアを新婚旅行にとっておいて、
大学院卒業後、就職までの1ヶ月間、
ヨーロッパを一人で、計画を立てて旅行したほど。

同じツアーの多くの新婚旅行の人たちが、ブランド店に行って、
両手に持ちきれないほど買っている中、
ブランド店には、見向きもせず、観光していたようでした。

主人そっくり。

息子たちの幸せを祈りつつ、何も口出しせず、見守もろうっと。
(書いておかないと、ついつい 口出ししたくなるので)


心斎橋の勤務先に、部屋のオーナーさんが、来られ、
難波の百貨店7Fで開催されている書道展の招待状をくださった。

あまり興味もないし・・
今日でなくても良かったけど、
せっかく頂いたので
行ってみようかと思い、帰りに寄った。

百貨店7Fのエレベータの扉が開いたら、
目の前に、友人が立っていた。
お互いビックリ!

1週間ほど前、「どうしてる?元気?」と電話を頂いたところだった。

彼女は、書道展を見て帰るところだった。
こんな偶然あるのかしら・・・
1年振りぐらいの再会。

「1分違ったら、会っていなかったね。久しぶり。」
ということで、書道展をさっと見た後、ゆっくり一緒に食事。
楽しい時間だった。

では、また。
と別れて 地下鉄に乗ったら、
今度は、今日 勤務先でチケットをくださった
オーナーさんが、目の前に乗っていた。

また、びっくり!
地下鉄3分に1本、走っているし、
しかも、1列車は10両ぐらい繋いでいるし、
同じ扉になるなんて、本当に偶然。
オーナーさんは、室内楽のニューイヤーコンサートの帰りだった。
80歳を過ぎたおじいさん。

「偶然と思うことも、必然なんですよ」
とおっしゃられた。

家に帰って、主人の遺影を見ながら
“私たちが出会って夫婦になったのも
偶然ではなく、必然だったのよね。”
と話しかけてみた。返事は無いけど・・。


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